第三十七話 オクレール家のシルキー
数日後。
ジュンの元にリカルド・オクレールから招待状が届く。
「来ましたね。待っていましたよ」
横でレオが不服そうな顔をする。
「俺には来ねぇし」
「来たら困りますよ。やって欲しい事があるんですから」
ジュンはそう言うと、白い石が額に来るように、赤い皮ひもを頭に締める。
「あれ。赤は思っていたより目立ちますね」
そう言うと、額の部分だけ出して、皮ひもを髪で隠す。
「茶会に行く時のおしゃれか?」
「違います! レオ、これを手に持って、そしてこれは耳の中にこうして入れておいて」
いきなり耳に何かを入れられ、レオは慌てる。
「うわっ! 何するんだよ!」
「ごめん、そのままで、ここにいてくださいね?」
ジュンは屋敷の庭に出るとレオに話し掛ける。
『レオ。聞こえる?』
『え? 聞こえるけど、どこにいる?!』
『手の中のスライムで、花が見えるでしょ?』
『あん? あぁ! お、おぉ見える』
ジュンはレオの元に戻ると言う。
「この額の石で僕の見ている物が分かるようにしました。レオにやって欲しい事があるんです。万が一の時にはマドニア城やギルドに飛んでもらいたいんです。長に転送陣を使う許可を、もらっておいてください。それと僕が助けを求めるまで、何があっても突っ込んで来ないと約束してください」
レオは不安気に、ジュンをのぞき込む。
「それは良いけど、大丈夫か?」
「あちらの出方を見ていたんです。ただのお茶会に一人は怪し過ぎます。おそらく何かを仕掛けてきます。僕の額にある石の映像は、王城やギルドに行ったら、レオの手にあるスライムを一度水晶に付けてください。そうするとつながって、全員で見る事ができるし声も聴けます」
ジュンに言われて、レオは手の中にある名刺サイズのスライムを、不思議そうに眺めて首をかしげた。
翌日。
迎えの馬車に揺られて、ジュンは小声でレオに話かける。
『レオ、長を連れて王城で水晶を。御者と従者は人じゃない。アンデッドです』
『分かった。大丈夫なんだな』
『全容が分かるまで、動いちゃ駄目ですよ。台無しにしないでくださいね』
マドニアの建物はどこも柔らかな白緑なのだが、オクレール家は自然な石でできた、重厚な屋敷だった。
応接間に通されると、茶色の髪と瞳の知的な面立ちの老人が現れる。
「お待ちしておりましたよ。リカルド・オクレールです」
「ご招待をいただき、ありがとうございます。お初にお目に掛かります。ジュンと申します」
上等なお茶と手の込んだ数種の菓子が出され、ジュンは左目で安全を確かめてから、口を付けるという、失礼な事を内緒でしながら、リカルドと何食わぬ顔で会話をする。
四日後に、妖精湖の魔物を退治する事が決まったと、リカルドが告げる。
それまでジュンは、オクレール家で休養を取る事になったと説明を受ける。
ルマール家は不幸があったばかりなのに、戻った孫は病弱で手が掛かり、ヘルネーの王子までが滞在して、正直、ジュンにまで気が回らないと、ルチアーノに泣きつかれたと言う。
(そんな訳ないよね。嘘には真実を少し混ぜるって、定説を知らないの?)
リカルドが席を離れた時、ジュンはレオに話しかける。
『レオ、彼はワイトだ。本物がどうなったか調べるが、この家ではアンデットしかみていない』
『なんだって?! ワイトだってぇ?! あぁ、はいはぃ。ルチアーノ様が、全部嘘だと伝言しろってよ』
『分かっていますよ。ただしばらくは安全そうです』
緊迫感のある会話には、ならなかった……。
(こんな時に……。女性はよく分からないよね?)
ジュンが案内された部屋は、風呂もトイレもある立派な部屋に見える。しかし、ジュンの左目には、たくさんの魔法の鍵が掛けられたろう屋に見える。
用事がある時はテーブルのベルを鳴らせと言われ、ジュンは無表情でうなずく。
(不自由をさせなければ、逃げないとでも思ったの?)
静かな部屋に絹がすれる音がかすかにして、ジュンは左目を凝らす。
(えぇ! シルキー? なぜ?)
「君は屋敷の侍女妖精、シルキーなの?」
「どうして、それを? 私が見えるのですか?」
「うん。僕と同じシルバーの髪と、かわいい空色の瞳だね。深い青のドレスがよく似合っているよ。この屋敷は長いの?」
「そうよ。ここにエルフが来る前からいたわ」
「エルフ族の前には誰がいたの?」
「妖精を大事にしてくださる、尊いお方がいらしたわ。でも今は眠りにつかれてしまったわ」
「少し話ができる? 退屈していたんだ」
思いの外、話しやすいシルキーから、ジュンは情報を得る事にしたようだ。
「今夜はご主人が戻らないからいいわよ?」
ジュンの言葉に妖精はその姿を現し、かわいらしく笑う。
「長くこの家を守って来たんだね? 一度もここを離れようとはしなかったの?」
「離れようとしたわ。でも、もう離れられない……」
「今のご主人はリカルド・オクレール様じゃないよね?」
「リカルド様がお生まれになった日も、私はおそばにいたわ。エルフだって、永遠の命じゃないんだもの……。幾度ご主人様を見送ったかしら……」
シルキーは悲しそうにうつむく。
「リカルドさんは、亡くなったの? ご家族は?」
「リカルド様が奥さまに選ばれた女は、子供の世話もせずに警備兵たちと遊びほうけていたので、私が嫌がらせをして、怖がらせて追い出しちゃったの。子供は置いて行くと思ったのに……」
予想外の出来事だったのだろう、彼女は少し唇をかむ。
「リカルドさんは怒らなかった?」
「うん。あの女は王都の屋敷で暮らしているの。ここにはこないわ」
シルキーは家に害をなす者を排除する性質がある。ジュンはリカルドを思ったのか少し微妙な顔をする。
「今のリカルド様は、ワイトだよね?」
「半年ほど前よ。ご主人様が老衰で亡くなられて、すぐにご遺体に入り込んだの。私は彼の生前を知っているわ。尊いお方のお命を狙っていた者たちの一人だったわ」
「それは? エルフ族の前の話だよね? 彼は何者なの? 見事にリカルド様になり切っているけど」
ワイトは人化をしても、知能は低く会話ができないと図鑑には載っている。
「召喚魔術師だったわ。彼は戦いに敗れた時に、その場で自分の体を捨てたって、尊いお方がおっしゃっていたから覚えていたのよ。リカルド様を完全に維持するためには、たくさんの魔力が必要なの。そうしなければ人間に見破られてしまうわ」
ジュンはその言葉で、ようやく疑問の全てがつながった。
「それでニーズヘッグなんだね?」
「彼の召喚獣よ。世界樹と妖精湖は私の生まれた場所なのよ……。悲しいわ」
「この家を出たら?」
「私はリカルド様と契約をしていたのよ。リカルド様の魔力がかすかにでもあれば、この家を出る事はできないの」
シルキーの表情は、彼女の今の状況は本意ではないと語っている。
「君には悪いけど、妖精湖と世界樹を守るために、僕はワイトと戦うよ?」
「満月よ。満月になるとニーズヘッグがこの屋敷にくるわ。ワイトに魔力を分けている時、彼は無防備になるのよ。でも、あなたはその後で体を取られるわ。リカルド様よりあなたは魔力の器が大きいのよ」
シルキーはそう言うと、ジュンをいたわるように見つめた。
「心配してくれるんだね? 取られないように頑張るよ。それより、いいのかい? 君のご主人様とは会えなくなるよ?」
「お優しい方だったのよ。ご主人様はこんな事を決して望まれないわ。お体を解放していただきたいの。お願いします」
シルキーは切なそうに頭を下げる。
「君の協力が必要なんだけど。いいかな?」
シルキーはよほど今が嫌なのだろう、大きな瞳を輝かせる。
「なんでもするわ」
「手紙をここに届けて欲しい。そうしなければ、僕は勝てないんだ。頼める?」
「ええ。満月まではあと二日。きっと間に合わせるわ」
ジュンは野菜と薬を数種類、届けて欲しいとミゲルに手紙を書く。
シルキーは妖精。妖精は気まぐれなので、おそらく彼らには気付かれない。食事を食べさせるように言われていたようだったので、ジュンは食料を倉庫から出して見せて、大丈夫だと伝える。
シルキーが部屋を出て、一息入れた所でレオの声が届いた。
『ジュン、あんな物が必要なら、届けさせるぞ?』
『シルキーを避難させただけですよ? 彼女に戦闘は無理でしょうしね』
『まぁ、そうだな』
ジュンは妖精を初めて見たのだ。悲しい別れしかない生き方を聞いて、彼女を巻き込みたくはないと考えたようだ。
『二日後。月が出なきゃどうなるんだ?』
『見えなくても、満月に違いはないんですよ?』
『王女様が、満月に兵を出すそうだ』
『やめて! あぁ、ごめんなさい。困るんですよ。彼らは魔力の流れに敏感なんです。僕のマントを見たでしょう。あれ、そういう事ですからね。それに、ニーズヘッグは火魔法を使いますし、飛行も出来るんです。森が大変な事になります』
レオは王女たちの答えを聞いてから、返事をする。
『そうか分かった。無理はするなよ?』
『うん。ありがとう』
(負けられないよ。これは負けてはいけない戦い。守るために……)




