第三十四話 ルマール家のミーナ
ヘルネー城の転移陣から、マドニア城の転移陣に到着した三人。
ジュンは黒いマントの片側を肩に掛け、真っ赤なマントのミーナを抱いている。
レオはといえば、濃い茶色のマント姿で、エレノアから持たされた大きな箱を抱えて、機嫌は最悪といった顔で立っている。どうやら出立の際に王妃から言われた、さまざまな諸注意に、うんざりとしているのだろう。
「レオ、そろそろ機嫌を直さないと、誰かが来ますよ?」
「あぁ、わりぃ。俺は一生結婚なんてしないと思うぜ……」
ジュンは小さく肩をすぼめる。
レオの親子喧嘩に、今更口出しをする気はない。
出立前にジュンは、ミーナの前で繰り広げられたその騒ぎの間中、ミーナから視線を外す事はしなかった。王妃は年齢も性格も、ミーナの母親とはかなり違っていたのだろう、彼女は親子のやり取りに関心を示さなかった。その事にジュンは胸をなで下ろし、何も言わずに親子を放置したのである。
転移の場所に侍従と警備兵が現れ、三人は応接間に通される。
王女アルラーモは真っすぐな銀の長髪で、深い緑の瞳と透き通るような肌をしていて、エルフ族特有のとがった耳が印象的な美人だった。
ジュンとレオがあいさつを終え、レオが王女への手土産と手紙を侍従に手渡す。
王女と少しの時間お茶を飲みながら歓談した後、三人は予定通りにルマール領へ送られる。
ルマール家の転移の部屋は、人がいるのに静まり返っている。
「ミーナ。あなたの祖母です。よく帰ってきましたね、待っていましたよ」
出迎えたのは、ミーナの祖母であるルチアーノ・ルマール。
「ミーナ、おばあ様だよ? 大丈夫、お父様のお母様だから、きっとお優しい」
ジュンはそうささやくと、ミーナの背を押す。
ミーナは振り向き、ジュンがうなずいたのを見てから、ルチアーノの元に行く。
ルチアーノはしゃがみ込み、孫を優しく抱き締めると、ミーナと同じ緑の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
息子夫婦の忘れ形見。事件のいきさつを知り、どんなに心を痛めていたのかと思うと、ジュンもレオも熱いものがこみ上げてきたようだ。
改めて別室でのあいさつを終えると、前もって連絡があったようで、ミーナの部屋の横に用意されていた二人の部屋に通される。
少しの間、レオにミーナを頼み、ジュンはルチアーノと侍従長のエーベルに、話をする時間をもらう事にしたようだ。
オードリーの私物は、彼女の妹であるロルフ近衛騎士団長の母親に渡したが、その時に業務ノートを、ジュンが託されていたのだ。
ルチアーノがノートを大事そうになでる姿は、まるでオードリーと話でもしているかのようで、ジュンはその悲しい再会に目を伏せる。
ようやく顔を上げた、ルチアーノの視線を受けて、ジュンは話を始める。
「そちらにも書いてある通り、ミーナは単語を少し話す程度です。何度か回復魔法をかけながら、体の異常を調べてみたのですが、異常は見当たりませんでした。知能に問題もないようなので、おそらくは事件の衝撃が強すぎたのだと思います」
二人は顔を見合わせて、切なそうにうなずく。
「それでも生きていてくれた事に、連れてきてくださった事に感謝をしています。ゆっくりと心が癒える日を、私は待つ事にいたしましょう」
「それと、言葉と同様に、食事にも影響が出ているようで細いのです」
ジュンは出会った時の様子から、ここに来るまでの食事の状況を細かく話し、苦肉の策で考え出したミーナの食器を出す。
エーベルは驚いたように、食器を手にする許可を求めたが、この先ジュンには必要のない物なので、受け取ってもらう事にしたようだ。
「こんなにあの子を大切に守って下さっていたとは……。感謝の言葉もありません」
頭を下げるルチアーノの前にジュンはマジックボックスを差し出す。
「いいえ、お礼を言って欲しくて、お話をしたのではありません。今のミーナは目に見えない傷を、たくさん背負っている事をまず、知っていただきたかったのです。このボックスはアルベルト様の物です」
ジュンの言葉に、ルチアーノが言う。
「ジュン殿。私たちは王城でギルド本部から渡された、記録を全部拝見いたしました。どんなに感謝しても、したりないと思っております。ジュン様が命をかけた品です。私が認証を解除いたします。多少の財産はあると思いますので、お持ちください」
「いりません。あ、失礼しました。これを取り返した時、僕はミーナの大切な物を取り返せたと思いました。ミーナの両親の思い出を、失くさずに済んだと思いました。今はまだ無理だと思います。ミーナはまだ、両親の話もオードリーさんの話もしません。ミーナがいつか今の状況を乗り越えた時に、形見を渡してあげて欲しいのです。僕は既にアイテムボックスのたぐいは持っておりますので、これはそちらにお任せしたいと思います。ルチアーノ様にとっても、大切なご子息の形見だと思いますので」
ルチアーノはアイテムボックスであるかばんに手を伸ばすと、ゆっくり抱き締めて涙をこぼす。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ジュン殿」
主人にハンカチを渡しながら、エーベルは無言でジュンに頭を下げた。
それから二日後。
何人かの女性がミーナの身の回りの世話をしたが、ミーナが笑顔を向けたのはハンナという女性だけだった。
「なるほど、ハンナは若奥さまに面影が少し似ております。賢い娘なのでミーナ様のおそばに、ふさわしいかもしれません」
エーベルはそう言って、優し気にミーナを見る。
ジュンとレオは少しずつ、ミーナがハンナといる時間を増やしていくようにし、
ハンナはジュンとレオに話を聞きながら、ミーナを見守るように接している。
ジュンたちはその距離の取り方を見て、ミーナを託せると思ったようだ。
ルチアーノは本当に忙しいようで、執務室で仕事をしている時間が長く、外出も多かったが、朝の食事の時間だけは、ミーナと共に過ごしていた。
ルマール家にいる者の中で、ミーナとの距離が一番遠いのが、ルチアーノのような気がしていたのは、ジュンだけではなかったようで、レオが口を開く。
「長だから、忙しいのは分かるけどよ、働き過ぎじゃないか? あれじゃあ、いつか体を壊してしまうぜ」
「今は、妖精の湖と世界樹の様子が良くないので、四人の長たちは皆さん、お忙しいのです。お疲れでいらっしゃいますが、私たちではお手伝いができないのです」
レオの言葉に、ハンナは寂しそうに言う。
不可侵の魔法が掛けられているから、エルフの森は、地図上では単なる森になっている。
この森は、妖精湖の中心にある島にそびえる一本の世界樹を中心に、ルチアーノが収めるルマール領、エルノー領、アルロー領、オクレール領と、四つに分けられている。
「ねぇレオ。エルフの森に、妖精はいるのでしょうか?」
ジュンの質問に、レオはしげしげとジュンを見る。
「はぁ? ジュンの事だから、本気で聞いてるんだろうなぁ。いいかよく聞けよ。妖精の住み処は絵本の中だ」
(残念な奴みたいな顔をしないでよ。聞いた僕が一番そう思っているんだから)
「じゃあ、妖精湖って名称は、本当の名称じゃないんだね?」
ジュンの質問に答えたのはハンナだった。
「エルフ族はその昔、エルフ独自の言語と文字を持っていたのです。エルフは魔力が高い者も多いので、長寿族とも言われていますが、長生きで知恵がある訳ではないのです。他種族の方々が古い物を捨て、新しい物を取り入れ、文明を発達させる道を選んだように、エルフ族は古い物を守る事を選んだのです。昔の文献によると、エルフがこの地に降りた時には、湖と世界樹を守るように妖精が、少数ですがいたという記載が残されています」
たんたんと話す、ハンナのエルフの話に、レオは驚いたように言う。
「本当かよ?! 初耳だぜ。古代の文字が解明されれば、世界の歴史が変わると学者は言っているが、エルフ族に聞いたら分かるんじゃねぇか?」
「興味深い話です。その本は見てみたいですね。レオの話は早計ですけれどね」
「王が大切に保管していると聞いています。妖精湖の話は絵本になっていますから、誰でも知っている事です。私は歴史に興味があるので、偶然知っただけです」
そう言うとハンナは柔らかにほほ笑む。
ジュンはかわいい孫との時間が取れない程、忙しい長を見ていて不安を覚える。
これからミーナが育っていく場所で、何かが起こっているのは確かなのだが、他種族の者が立ち入る事は許されるはずもなく、ジュンはただ、ため息をついた。




