第二十三話 悲しみの深さ
ジュンの言葉でレオが門扉を軽く乗り越え、中からかんぬき錠を開けると、二人を手招きする。
その屋敷は管理する者もいないのか、かつては美しかったであろう庭は、荒れ放題だった。
屋敷は玄関を板でふさがれ、窓は全て鎧戸が閉じられていて、長い間何かの事情で放置されているのだろうと、誰が見ても一目で分かるほどだった。
ミーナはその屋敷には目もくれず、庭の片隅にある小さなレンガの小屋に、急いで入って行く。
「お邪魔いたしますね」
ジュンは中に入って目を見張り、後ろから入って来たレオは立ち尽くした。
粗末な簡易ベッドには、おそらくミーナが寝ていたのだろう、薄い毛布が乱れたままだった。
その横の床に枯れ草を敷き、この小屋のカーテンだったのだろう、リングの付いた布をかぶせて、彼女、オリは静かに眠っていた。
ミーナは彼女に頬を寄せると、ジュンの元まで来て彼の手をにぎり、オリにほほ笑みかけた。まるでジュンを連れて来た事を、褒めて欲しいかのように……。
レオは部屋を見渡し、それから何かを物色し始める。
「オリは狼の獣人だ。服装から見てミーナの家に仕えていたとしたら、業務日誌がきっとあるはずなんだ。ミーナに何があったかは聞けねぇだろ?」
ジュンはそれをレオに任せて、ミーナを抱いて木の丸椅子に腰かけた。
「ミーナは偉かったねぇ。よく僕たちを連れてきたね。きっとオリも褒めてくれているよ。でも僕はもうオリを助けられない。オリはね……。オリは」
そこまで言って、ジュンはためらう。
小さなミーナに、オリの死を伝える言葉が浮かばなかったのだ。
「かあさま……。とうさま……。こない……。オリいう。それ……おなじ」
ミーナは何かを探すように、ジュンの瞳をのぞき込む。
その緑の瞳には涙はなかったが、涙よりも深い悲しみが存在していた。
ジュンはミーナを、ただ優しく抱き締めるしかできなかった。
ミーナはポケットから手紙を出すと、ジュンに手渡す。
「これを誰かに渡すの?」
「うま……。マント……。けん……。オリいう」
「騎士か?」
レオが聞くとミーナはコクリと首を縦に振った。
「なるほどな……。こりゃ疑心暗鬼にもなるぜ。ちょっと厄介だな……」
レオはオリの物と思われる手帳を読んでつぶやく。
オリはオードリーという名前のようだ。そして、ミーナはミーナ・ルマール。
オードリーは、ルマール家に四十年以上仕えていた、侍女だったようだ。
ミーナの父親は、ゼクセンの学校で教べんをとっていたが、祖国であるマドニアの学校に呼び戻されたようだ。
ゼクソンでカブラタまでの護衛を冒険者ギルドに依頼をし、『黄昏の旅団』という護衛専門の三人組のパーティを紹介されたと記されている。
その日、砂漠で護衛の魔法師が体調を崩す。
王都の閉門までにたどり着けないと、迷惑になるので一人で残り、野営をすると言い出したようだ。
カブラタのあかりが見えるところではあったが、彼を一人残す訳にもいかず、かといって、幼子を砂漠で野営させる事も出来ない。
主人のアルベルトは依頼終了のサインをして、ゆっくりとカブラタに行く事を、三人に勧めたらしい。しかし、それを待っていたかのように、彼らは一家に襲い掛かったようだ。
妻を失ったアルベルトは戦いながら、オードリーに告げる。
『ミーナをルチアーノの元へ』獣人族は足が速く、夜目が利く。
だが、冒険者の放った毒矢がオードリーの体をかすった。逃げきれないと思ったオードリーは、ミーナを抱え古い転移陣を使った。
行き先は今は亡き父親の元。
奉公に出る時に、父親から渡された贈り物だと記されていた。
父親は亡くなるまで、貴族の家の庭師だったようだが、その家はすでに没落したのは知っていたようで、幸か不幸か人が住んでいなかった事に、安どしたと記されている。
オードリーはミーナを抱えて歩く事はままならず、彼女を寝かしつけてから、王都の警備兵の元に向かったようだ。
しかし、そこで彼女が見たのは『黄昏の旅団』だった。
彼女は若くはなく、素人の毒の手当では、完全にそれを取り除く事は、出来なかったのだろう。
毒は容赦なく、彼女の寿命を削ってしまったようだ。
ミーナは言葉が少ない子供だったが、目の前で母を失い、血を流す父を見てから一層口が重くなったようで、手帳には自分の傷より、ミーナの言葉の心配が記されている。
『ミーナ様、オリの国の王様は獣人で、とても強いお方です。そしてカイ様は神様の使いなのです。きっと助けてくださいます』不安そうなミーナに、絵本の読み聞かせをしながら、オードリーはそう言って、安心させていたらしい。
ベットの上の絵本の表紙は、確かにレオとジュンに、似てはいたのだが……。
手帳の最後のページは、ミーナを送れなかった謝罪と、ルマール家への感謝の言葉だった。
「俺、隣の貴族の所に行ってくるからよ。少し待っていてくれ」
ジュンがうなずくと、レオは急いで小屋を出て行く。
小さなテーブルには、パンのかけらと空の皿と瓶。
ジュンはテーブルの上を奇麗にし、野菜スープを出すとミーナに一さじずつ、ゆっくりと飲ませ始めた。
(オリは亡くなってから、さほど日はたっていないと思うけれど、動けなくなってからは、どれだけたっているんだろう? 物陰に隠れて、どれだけ待っていたんだろう? こんなにやせ細って……。悲しいほどに強い子だな……)
レオは本当に少しの時間で戻ってきた。
それから一時間もたたずに小屋の扉を小さくたたく音がして、レオが出ると二人の男が入って来た。ミーナは急いでジュンの背中に隠れた。
身なりの整った二十代後半の男は、金色の髪と青い瞳で、エヴァン・ベルリオーズと名乗った。レオの兄と仲が良いようで、レオも兄のように慕っていると言う。
カブラタ国の第一王子だと紹介をされて、慌てるジュンをレオが気にするなと笑う。レオたち兄弟の友人ならば、王子であっても不思議ではないのだが……。
エヴァンの後ろにいる男は、近衛騎士団副団長のアンブロス・ハールマンと名乗った。
その時、ジュンの後ろに隠れていたミーナが、アンブロスの元に急ぎ足で近寄ると、思い切り見上げてポケットの手紙を差し出す。
「私にかな?」
アンブロスの言葉に、ミーナは小さくうなずく。
それから、怖かったのか走って戻り、ジュンの足にしがみ付く。
レオがオードリーの手帳を見せながら、詳細を二人に話し終わると、アンブロスは扉の外にいる部下に指示を出した。
この世界では、遺体を国外に出す事は禁じられている。
王族であろうとも、それは同じ扱いになるのは、病のまん延を予防したのが始まりのようだ。魂は神の元に返ると考えられているので、この世界の人は遺体への固執が少ない。
「ミーナ。オードリーを私に預けてくれるかな? ここでは体が痛かろう。ゆっくり休ませてやろうと思うが、どうだろう?」
エヴァンの言葉に、ミーナは振り返りコクリとうなずく。
泣かれる事を覚悟していた大人たちは、一様にほっとした顔をする。
柩が運びこまれ、丁寧にオードリーが移される。
ミーナはジュンの手を引いて、柩の前まで行くとオリに話し掛ける。
「オリ……。よい……。ゆめを……」
エヴァンの目配せで、柩は蓋をせずに運ばれて行った。
「しかし、どうした物でしょう」
アンブロスの言葉にエヴァンが聞き返す。
「なにがだ?」
「いえ。大金貨が入っておりまして、例の冒険者に見つからぬ様に、ミーナ殿の護衛をギルドに依頼して欲しいと書かれております」
その言葉に反応したのはレオだった。
「おい! そりゃ無理だろう。オードリーも親もいねぇんだぜ? 他人を信じらんねぇから、こんなにやせ細っちまったんじゃねぇか」
「レオ。僕はいいですよ? そのつもりでしたからね」
「すまねぇ。ジュン」
ジュンの言葉でレオはようやく笑顔になった。
「エヴァン。俺がマドニアまで連れて行くぜ? ミーナが頼ったのは俺たちなんだ。俺の身元は確かだしな。こいつの家名はモーリスだ。ジュン・モーリスの国籍はギルド島だ」
レオの言葉を受けて、ジュンは国籍証を見せた。
「ほぉ、なるほど……。ミーナのなつきようを見ていると、今すぐに教会に入れるのは、この子のためにならぬかもしれないな。私も子を持つ身ゆえ分からぬ訳ではない。調査が終わるまで、ルマール家への報告書も書けぬので、その間、ミーナはレオたちに任せよう。その後の事は検討をさせてくれ」
エヴァンは、ジュンにしがみついたままのミーナを、優しく見つめた。