第二十話 アスベル邸
アスベル伯爵は自他ともに認める風呂好きで、屋敷内に石造りの大きな風呂を所有していた。
イザーダの世界には公衆浴場があるので、湯衣がある。男の場合はひも付きトランクスなので、下着との違いはない。
皆で入れる風呂があると聞いて、ようやく笑顔になったジュンに付き合って、レオやリックたちも風呂に入る事にしたのだが……。
「リチャード様! おやめください!」
「困りますっ!」
「レ、レ、レオナルド殿下!」
ジュンは昼間のうっぷんを、ここで晴らす事にしたのだろう、上機嫌だった。
「カルロさん。もうちょっと右。うん。良い気持ちです」
カルロの背中を洗いながらレオが言う。
「女官にされるより、はるかに気持ちがいいなリック」
レオの背中を洗っているエイデンを洗いながら、リックが答える。
「そうだねぇ。力が違うよね。なにより人を洗うのは面白いよ」
一列に並んでの背中洗いは、カルロたちも諦めて付き合う事にしたらしい。
食事の前に、ジュンはもらった蜂蜜を、空の果実水の瓶に移した。
レオやリックは持たされたが、イラーリはやはり加害者側の人間扱いだったのだ。
イラーリには六人の弟や妹がいる。ジュンは友人を亡くした彼女を、慰める事ができるのは、家族の笑顔だと思ったようだ。
「イラーリさん。留守番の六人へのお土産です」
「あ、ありがとうございます」
イラーリは大切そうに、瓶を胸に抱いて礼を言った。
豪華な食事会は、静かに終わった……。
(夜も更けてきたのに、あの質と量はどうなのぉ? お茶漬けでいいですよね。多分無いでしょうが……)
ジュンは何の羽だかは分からない、羽布団を掛けて眠った。
次の日の朝。
ジュンは、軽く体を動かし、神界で教わった剣の型を流している。
気の良さそうな庭師と目が合い、ジュンはこの町の話を聞く事にしたようだ。
この町には、朝一番に店を開けるパン屋があると言う。
庭師の妻のパンはうまいらしいが、その次にうまいパンの店だと、笑うところを見ると。おそらく町一番のパン屋なのだろう。
門番に店の場所を確認すると、店は思いのほか近く、すぐにたどり着いた。
朝一番の行列が終わった後のようで、パンの数は少なかったが、店主おすすめの人気のパンは手に入った。早速買ってその場で一口食べた。パリッとした皮としっとりとした中身、鼻から抜ける香ばしい香り。
(この塩味はフランスパンだよ)
ジュンは店のパンをあるだけ買って、倉庫に入れると領主の屋敷に戻った。
午後になって、テオドル・エスカランテ公爵は嫡男との対面を果たした。
アスペル伯に紹介され、ジュンたちは見て来たままの事を伝える。
息子を亡くしたばかりの父親にムチを打つようで、一度は断ったジュンをリックが諭した。
テオドル・エスカランテはゼクセン現王の実弟。
王家の罪はギルド島で開かれる国王会議で断罪される。
他国に攻撃を加えた時、国民を巻き込んだ時には厳しい追及がされるようだ。
最善の方法を選択できるように、全てを知らせる事は、公爵を助ける事になるのだと、リックに言われてジュンはその場所に行く事にした。
「すまない。愚息が多大な迷惑をかけたようだ。気が良いだけの子だったのだ。それでも人に優しく愛される息子だった……。ゆがませたのは私だ。あれには年の近い弟と妹がいる。とりわけ弟は学問や剣術に早くから才覚を現したのだ……」
貴族の家族や使用人は、家督相続に関わる事には敏感に反応する。
フレーゲンが嫡男として、兄としての立場に焦りを感じているのを、公爵は感じていたのだと言う。
それが奮起をするきっかけになれば良いと思っていたらしい。
素性の良くない者と付き合い出したと耳にして、注意を払っていた矢先だったようで、テオドルは連絡を受けてすぐに、息子の日記を確認したと言う。
一躍、名をはせるチャンスだとささやかれて、彼に迷いはなかったようだ。
彼は本来、き帳面な性格で、日記には全てが記されていたので、卵の売り主は既に手配済みのようだ。
アルトはテオドルに長年仕えている執事の孫で、いずれ家督を継ぐフレーゲンの執事にするために、見習いをさせていたらしい。
テオドルは遺体を引き取り、待っている家族の元に戻ると言う。その後、速やかに王家へ報告をする義務があるらしい。テオドルは再び皆に謝罪した。
ジュン以外はその謝罪を受け入れた。
「ジュン、どうした?」
リックは受け入れの言葉を口にしない、ジュンに不思議そうに聞いた。
「ぼ、私はテオドル様のお気持ちを伺いました。おつらいお気持ちも、若輩な身ですがお察し申し上げます。しかし、理不尽にも目の前で母を失った子供や、家族をかばって亡くなった夫や息子を持つ家族の、嘆き悲しむ姿を見てきたのです。大変申し上げにくいですが、フレーゲン様が奪った命です。村の人たちに謝罪する事が、もしテオドル様におできになったら、それが平民である私への謝罪として、お受けいたします」
「分かった。フレーゲンの父として肝に銘じよう」
ジュンの言葉に、テオドルはそう言い残し帰って行った。
「ほんとうに、ジュンは変な奴だよねぇ? 王族も貴族も平民もジュンにとっては人でさぁ、階級はその後に付いている物なんだね。私がジュンといると気が休まるのは、そんなところなんだろうなぁ」
リックはジュンを見ながら言った。
「まぁ。見た目では想像できない強さがあるしな。普通の人間は、公爵を相手に語ったりしねぇよな」
レオはそう言って笑う。
「子供が悪さをしたら、親が謝るものですよね? 六人も殺したんですよ? 地位のある人のする事は、平民の僕には全く分かりませんよ。まるで貴族と村人の命の価値が違うかのようだ……」
ジュンの言葉に二人は大きくうなずいた。
(それなのに帰りましたよね。真っ先に村でしょう? 家族や王って……。誰の肝に銘じたんでしょうか? あ、僕がムチを打っちゃたかも……)
ドミニクが公爵を見送って戻ってきた。
「ジュン様。私ではテオドルを慰める事しか、できなかったでしょう。それが逆に傷の治りを遅くする結果に、なったとしてもです。ありがとうございました。エスカランテ公は、バキス村にきっと謝罪に行くと私は信じています」
(友人関係の前に上下関係を作るからでしょ? 苦言を呈せない友人って、他人以下だと思うけどね。この世界はいろいろと面倒だ)
ドミニクに引き止められたが、ジュンたちは帰る事を告げた。
ジュンは謝礼として大金貨一枚と村人治療費金貨二枚を受け取った。
イラーリをギルドに送り、三人で町の屋台や商店を回る頃になると、ジュンはようやく笑顔になる。
ジュンは目に入った粉屋で乾麺を手に入れた。太麺・中麺・細麺の表記だが、それは、きし麺・うどん・冷や麦以外の何物でもなく、こちらでは、細かく折ってスープなどに入れて使用する。長いまま売り出されるのは珍しいようなので、迷わずパスタも三種類購入した。
魚と野菜の不足分を買い込むと、横でリックが笑う。
「どこかの下働きの買い物みたいだねぇ」
「え? 食事は大事ですよ」
「今日は何?」
「少し重たい食事が続いたので、簡単な物でいいかなぁと思っていますよ」
「えぇ。がっつり肉でしょ男なら。ねぇレオ?」
「肉の出ない食事って、何を食うんだ?」
不思議そうに聞くレオを見て、ジュンは顔を引きつらせた。
「そういえばリック。宿はどこにするんだ?」
「ここまで宿は、ジュンの所に転がり込んでいたよ? 防犯は完璧。寝る時に武器なんかいらないし、王族を忘れてくつろげるんだ。城より断然いいよ」
レオの問いにリックは得意気に答えた。
「そんないい宿があるのか?」
「宿主と友達にならなければ、見えない宿なんだよ」
「獣人は嫌いだろうか……」
レオは不安気な顔でジュンとリックを見た。
(言わないって約束はどうしたの! 獣人を出されたら断れないでしょう!)
「レオ。僕のところに泊まる?」
「いいのか?!」
レオがうれしそうな笑顔を見せる。
「リックにも言ったけど、他言無用で頼みますよ?」
「これでレオとジュンは友になったね」
リックはニヤリと笑った。
リックにとって、レオは信頼のできる友人だった。
祖父を亡くし、一人きりでは不安に違いない。
不器用で真っすぐなジュンには、良き友人たちに囲まれて、笑っていて欲しいと願うリックだった。




