第二話 戒めの森の家
深い森の中央あたりにたった一軒、誰にも見えない家がある。
その家は石造りの二階建てで、一人の老人が暮らしていた。
家の中の天井や壁は木ではあるが、手入れが行き届いているのであろう、深い褐色の木肌が長い時の経過を感じさせる。一階の床には磨かれた石が使われていた。
必要最小限しか置かれていない家具もまた古いが、簡素で落ち着いた雰囲気がある。
そんな家の一室で森須淳はまだ、まどろみの中にいた。
(僕の名前はジュン・モーリスだとラミロに言われたんだ。『何とかなると思うが、ならなければ頑張って生きろ』って……。取りあえずは建物の中で良かったと思うけどね)
思考が働くようになり、ジュンはしっかりと目を開けた。
「目が覚めたかのぉ? 儂はミゲル・モーリスじゃよ」
無造作な銀の髪は長く、老いた顔にある青い瞳が、優しくジュンを見つめる。
目上の人に先に挨拶をされて、ジュンは慌てて起き上がると、ミゲルとは逆のベッドサイドに立ち頭を下げる。
「は、初めまして! ジュン・モーリスと申します。ご面倒をお掛けしたようで、申し訳ありません」
ミゲルはゆっくりうなずいた後、ほほ笑みながら椅子から立ち上がった。
「まずは顔でも洗って食事じゃのぉ。話はその後でも良いじゃろう。丸一日眠っておったしのぉ、腹も減っておるじゃろう」
洗面台は風呂場とトイレの間にあり、金属を磨いた鏡がある。
そこでジュンは初めて自分との対面を果たした。彼は目を見開き思わず出そうになった声を、慌てて自分の手で口を押さえて閉じ込める。
(え! これって僕なの? 男は確認済みだけど。あの塗り絵の神界人だよ……。快の型で作ったって言われたけど、それってあの白菜だしね。取りあえず散髪に行かなくては髪型が微妙な事に……)
白銀の髪は癖もなく真っすぐなおかっぱで、瞳は赤と紫のオッドアイ。
目がオッドアイなのは、片方に後付けで鑑定機能を入れたからだと、ラミロに説明を受けていた。
(十九歳の僕が十四歳になって、見た目はゲームキャラだよ? もぅ完全に他人です。でも生かしてもらえたんだから、ありがたいと思わなきゃね……。慣れる! きっと! 多分……)
いきなり初対面の人間が、食事を頂く訳にはいかないと遠慮をするジュンを、ミゲルは優しく説得して席に着かせた。
食事は大きめの木の皿に、メインの肉と生野菜や少量の飯が盛られていて、その横には野菜がたっぷりと入ったスープにパンが添えられている。
ジュンはミゲルが食事に手を付けてから、頂く事にしたようだ。
初日に野菜扱いでも米を見つけたジュンは、一番にそれを口にした。
独自の食文化がある小国で育った彼は、食事については諦めていたのだろう、うれしかったのか、少し口元が緩む。
(僕が生きる事を許された世界だから、食を含む全ての文化を、受け入れる努力をしようって決心をしていたんだよね。でも米があれば何とかなるのが日本人。おいしい米で良かった)
実家が肉屋であったジュンでも、脂身の少ない赤身の肉は良質の物だったのだろう、おいしそうに食べ終えた。
イザーダ神と同門の神が地球を作ったので、作物に共通点は多いと神界でジュンは聞かされていた。同じ作物で同じ食材や料理になるとは限らない。それでも、目の前に並んでいた食事は、ジュンの不安を取り除くには十分な物だったようだ。
食後のお茶を飲みながら、ミゲルはジュンにゆっくりと話し始める。
「この家は強い魔物がいる『戒めの森』の中央にあるのじゃよ。結界が張ってあるのでのぉ、魔物や人には見えない家なのじゃが、一人の男がお主を抱えて現れたのじゃよ。だが話はできない者のようじゃったのぉ。お主を儂に預け、手紙と小さな袋を手渡した途端、消えてしまったからのぉ。あれは、おそらく人ではあるまいよ。この手紙はタケシ・モーリスが、儂宛てにしたためた物のようじゃ。読んでみると良い」
ミゲルはそう言うと、手紙をジュンに渡して席を外した。
「森須猛は確かに快と僕の爺ちゃんだけど……。イザーダの共通語も文字も知らないし、それに達筆だったんだよね。ラミロが書いたんだろうか? きっとそうだ」
その頃、神界から様子を見ていた『人ではあるまいよ』と言われた男が叫んだ。
「なぜ俺だよ! そんな字はカイ以外書けないっての! もぅ心配してやらん!」
それでもラミロは優しいまなざしで、その場から立ち去りはしなかった。
置いて来た手前、受け入れられるか心配なラミロは、少々ジュンには過保護のようである。
その手紙には、カイ・モーリスの長男シオンが大けがを負い、カイが異世界に送り生きていた事が書かれていた。
その他には、シオンの子孫であるジュンの体が、その世界に適合する事ができず、イザーダに送るしかなかった事。カイの次男であるタクトの子孫に国籍の取得と、簡単な一般常識だけでも授けて欲しい事。宝石を換金してジュンの生活費と手数料にして欲しい事などが書かれていた。
(こんな身勝手で面倒な手紙が、会った事もない遠い親戚から届いたら、普通は焼き捨てるよ。取りあえず頼んでみるけど、今夜は野宿覚悟かなぁ……)
新しく熱いお茶を入れてミゲルが戻って来た。
「祖父が一方的に身勝手なお願いをして、申し訳ありません。それでも僕はお願いするしかありません。どうか引き受けていただけないでしょうか? この世界にできるだけ早く慣れ、出て行きますので……。これは祖父からです」
ジュンは柄頭に赤い宝石が付いた短剣をミゲルに手渡した。
その短剣はカイが三人の息子の誕生に、それぞれ渡した物で『森須四音』と漢字で名前が彫られていた。
ちなみにこの剣は、遺品であるとの説明をジュンは受けていた。
「剣を見ずとも、一目でわが家系の者だと分かったのじゃよ。それは大切に持っておくと良い。儂は現役を引退して気楽にやっておる。カイ様が建てた家なのじゃ、気楽にここで暮らすと良い。できるだけの事を教えてやろう。ただし、異世界の話は、儂以外にはしてはならん。イザーダでは祖先のカイ・モーリスは神の使いじゃったからのぉ」
ミゲルはそう言うと楽しそうに片方の目をつぶってみせた。
「はい。よろしくお願い致します!」
モーリス家の初代は、深い赤の瞳と白銀の髪を持つカイ・モーリスから始まる。
妻のルルは緑の髪と青い瞳をしていて、その家族の絵はモーリス本邸に今も飾られている。
長男のシオンだけが、カイの容姿を受け継ぎ白銀の髪と赤い瞳をしていた。
二十歳で未知領域に向かい行方不明になったが、全属性の魔法が使え大きな魔力を有していたと語られている。
赤い石の剣はその瞳の色だったと、ミゲルたちモーリス家の者には、今も伝えられている。
現在のモーリス家は、白銀の髪と青い瞳を持っていた、次男のタクトの血筋で、代々全属性を持つ者がギルドの総長になり、タクトの青い石の剣を継いでいる。
ミゲルは百五十歳で引退した十三代総長だった。その銀髪と青い瞳は、タクトの家系にはよく現れた。
ちなみに三男のショウは、母の緑の髪と青い瞳を受け継いだ。生涯独身を通したので、ギルド本部の事務総長が代々緑の石の剣を受け継いでいる。実はこの三男のショウは頭脳明晰で、ギルドの基盤を作った重要な人物である事は、あまり知られてはいない。
その日からジュンはミゲルの後ろを付いて歩き、生活様式から学び始めた。
都会で育ち田舎に親戚はいなかったが、なぜか懐かしい感じがして、ジュンは子供のように目につく物に触れて歩く。
人口的で派手な着色の物などは一切見当たらない。それでもジュンはあたりを見回してはうれしそうに目を輝かせていた。
(骨とう品に興味はなかったけど、現役の古さには人を癒やすぬくもりがあるんだなぁ。時を過ごすだけではなく、現役で役割を果たしている物ってすごい。どれがカイの好きだった家具かも分かるから不思議だよ)
家の一階はリビングダイニングと、水回りの他に部屋が二つある。ジュンは目覚めた時の部屋をそのまま使わせてもらう事にした。
もう一つの部屋はミゲルの部屋だった。ベット以外は古い椅子とテーブルが一組だけの広い部屋。
壁一面の本棚に入り切らない本が、無造作に縦積みにされている。
二階には使われていない客室があるが、ほこりよけの布が掛かったままだった。
(日本の僕の部屋はどうなっているかなぁ? 体力がなくて、全部を処分できなかったんだ。母さんがあの部屋で泣くのが嫌で、兄ちゃんに任せたけれど……)