第百話 マシューの母
拠点の居間で、ジュンは果実水を飲みながら、先程からしきりに感心していた。
「コラードの頭の中って、どうなっているんでしょうね」
横で紅茶を飲みながら、激甘クッキーを少しずつ口に入れて、目を細めているミゲルが、うなずく。
「あれの頭の中には、メモがいっぱい貼ってあるのじゃろうのぉ」
一通りメンバーに仕事を割り振ったり、質問に答えたりしていたコラードが、そばまで来て、ため息をついた。
「メモを頭に張っていただきたいのは、メンバーの方でございます。マシューがいないと、力仕事が片付きません」
特務隊の仕事がない時でも、メンバーは忙しい。
自分の抱えている蜘蛛たちもいれば、拠点での役割もあるのだ。
スケジュールは全て、コラードが把握し、全員の休暇も彼が調節している。
「マシューがどうかしたのかのぉ?」
「いないの?」
ミゲルとジュンの視線を受けて、コラードが小さく息を吐く。
「育ての親の手伝いに行かせました。今は任務もありませんので」
「あぁ。蜘蛛の協力者でしたよね。店の手伝いですか?」
ジュンの言葉に、コラードはうなずいて話を続ける。
「いえ。元々腰が悪かったのですが、悪化したようでございます。足まで悪くなって、車椅子になるようです。店はもう無理でしょう」
「教会の治療師でも無理なのかのぉ?」
「骨が駄目なようです」
「手足と違って腰はのぉ。そうか……。痛いだろうのぉ」
「夜も眠れぬ程と聞いております」
二人の会話を聞きながら、ジュンは首をかしげた。
「ミゲル様、高位回復魔法でも駄目なのでしょうか?」
「手足の簡単な骨折なら、治せるのぉ。放って置いても治るがのぉ、細かく砕けた物は、完璧にはならんのじゃ。人体の腰の骨は、複雑で解明されておらんのじゃ。痛みをやわらげてやるだけじゃのぉ。それでもかなり楽になるじゃろう。腰を悪くした時は、痛みの長さでその後が決まると言われておるのじゃ。長い者は腰が曲がるか、悪くすると歩けなくなるのぉ。つらいじゃろうのぉ」
「コラード、僕をマシューの家に連れて行って。少しでも楽にしてあげたい」
ジュンの真っすぐな視線を受けて、コラードが小さく笑顔を作った。
「マシューが喜ぶ事でしょう。私からもお願いいたします」
ジュンたちは転移陣でアルトロア国の王都に入った。
「ここは?」
「時告堂という魔導具店の地下でございます。闇蜘蛛の転移陣で、店主夫婦は蜘蛛です。さぁ、参りましょう」
店の裏庭から細い脇道に出て、少し歩くと人通りの多い道になった。
アルトロアはコラードの地元である。
コラードとマシューは同じ魔人族で、幼なじみでもある。闇蜘蛛の事は知らなくても、顔を合わす事が多かったようだ。
「子供の頃から、信頼関係を築くように仕向けられていたのでしょう。祖父の考えそうな事ですが、結果的には感謝しております。信頼できる者に出会うのは難しいですから」
「うん。普通の信頼関係では無理だよね。ところで、マシューの両親ってどんな方なの?」
「そうでございますね。いろいろと常識を逸脱しております。破天荒な二人ですが、信用はできる方たちです」
ほとんど褒めてはいない言葉を吐きながら、目だけを嬉しそうに細めるコラードの顔は上機嫌の時に見せる顔である。
ジュンはそれに気付いたのだろう小さく笑った。
「あのヒゲの看板が、マシューの実家でございます」
漢数字の八を太くしたような看板を見て、ジュンは首をかしげる。
「理髪店はハサミでしょ?」
「ヒゲは女性にはございません。ヒゲの手入れの前後に、お酒や会話を楽しむ男性の店でございます。ヒゲの手入れをする方は少ないかもしれません」
「男の井戸端会議場なんだね?」
「正にその通りでございます。宿屋と違って値段も安く、地元の常連客が多いので、安心するのか、情報やうわさが入りやすいようでございます」
「おしゃべりの専門店みたいだよね」
コラードは優しげな目を向けて、うなずく。
ジュンはそのコラードの表情を不思議そうに見つめた。
王都アルトロア独特の黒い家は、窓と扉は赤いのだが、裏口も赤かった。
コラードはその裏口横の、木の板切れを慣れた手つきで引く。
どうやらそれは、中にある金属の何かを打ち鳴らす仕組みのようで、薄い鍋をたたいたような音が外にまで聞こえた。
「どちら様ですかぁ?」
マシューの声にコラードが言った。
「時告堂の集金です」
扉に付いている覗き窓に、奇麗な緑の目が並ぶと、中でおおよそ病人がいる家の家族とは思えない叫び声や、物音が響きピタリと止むと扉が開いた。
コラードは片手を額にあてて首を振り、ジュンはとうとう吹き出して笑った。
「主。団長、いらっしゃい」
「そのように慌てなくても良いのです。突然来たのですから」
あきれたように言うコラードの横で、ジュンはマシューを見る。
「マシュー、すごい音だったけどケガはない?」
「あは。聞こえていましたか。大丈夫ですぜぇ、中にお入りください」
扉の内側は、料理を提供しているのだろうか、広い調理場があった。
ジュンは、コラードの引いた板に付いていたと思われるひもを見つけて、その先を目で追った。そのひもは鍋底の穴を通り抜けていた。おそらく、ひもの先には何かが付いているのだろうが、鍋の取っ手が台との間に隙間を作っているので、音が響いていたのだろう。
料理の出入り口から壁の向こうを見ると、U字型のカウンターと数個のテーブル席があるようだ。つい立てで隔離されている場所が、多分ヒゲの手入れをする場所なのだろう。
「我が家は一階が店で、二階で生活しているんですよ。親が動けないので、申し訳ありませんが、二階までご足労願えませんかねぇ。ご挨拶がしたいらしいんで」
「マシュー、ジュン様は治療魔法を掛けにいらしたんですよ。少しでも楽にしてあげたいとおっしゃって。ですから気遣いは無用です」
コラードの言葉に驚いてマシューはジュンを見た。そしてジュンのうなずきに嬉しそうに顔を崩して、階段を駆け上がった。
階段を上がった先には居間だろうか、大きな椅子とソファーが配置されていた。
先に上がったマシューが隣の部屋から、一人の男を連れてきた。
「自分の父親役の母、ミシェルです」
スラリと背の高い美丈夫が、優しい笑顔で立っていた。
茶色の瞳に艶やかな黒髪、マッチョ系のマシューと似ているところは、後ろで緩く編まれている三つ編みだけだった。
(なんか、色々と変ですからね? 父親役って何? 母って何?)
「お初にお目に掛かります。ジュンと申します。お忙しい時にお邪魔して、申し訳ありません。実は、光魔法を使えるものですから、痛みをやわらげるお手伝いができればと思い、差し出がましいようですが、お邪魔いたしました」
「お会いできて光栄です。ミシェルです。マシューがお世話になっております。妻はただ今起き上がれる状態ではありませんので、ご挨拶にでられなくて申し訳ありません。妻を少しでも楽にしてやりたいのです。よろしくお願いいたします」
彼はそう言うとコラードに、奇麗な笑顔を見せた。
「久しぶりですね、コラード」
「ご無沙汰しております。今日は主の道案内をいたしました。これは主からです。アンジェラさんがお好きだと伺った物ですから、食べられるようになった時にでもどうぞ」
コラードが見舞いに持ってきたのは、栗羊羹だった。
「ありがとうございます。いつまでたっても少女のように、甘い物には目がなくて、困ったものです」
「そこがアンジェラさんの素敵なところですからね」
コラードの言葉に、ミシェルは少し寂しげにほほ笑む。
「ありがとう。だからつらそうで見ていられない。変わってやりたいのですがね」
マシューは沈みそうなこの場の空気を、振り払うように言った。
「来たばかりなのにすみません主。母を見てもらえますかぁ」
ジュンは、マシューの気持ちをくんだかのように笑顔を見せる。
「うん。そのためにお邪魔したんだからね」
隣室は広いベッドルームで、ベッドに横たわり、涙目で見上げている人は、はかなげなマッチョだった。
「こんな姿でのご挨拶をお許しください。アンジェラと申します。マリーがお世話になっております」
拠点で一番マッチョなマシューの母は、マシューより一回りも大きな体の肩をすぼめ、野太い声でジュンに挨拶をした。
(そうだった。マシューは女装の時はマリーと名乗るんだったよね。それにしてもお母さんとは呼びにくいよ。彼は……)
「おつらい時にお邪魔して、こちらこそ申し訳ありません。ジュンです。よろしければ、少し光魔法を使わせていただけますか」
「はい。お願いいたします。ここしばらく眠る事もままなりません。家族に心配を掛けるのもつらいので、よろしくお願いいたします」
奇麗な青い瞳と燃えるような赤い三つ編み……。である。
(母二人と娘が一人の家族……。家族愛に性別はいらないよね。それにしてもコラードが嬉しそうなのはなぜだろう?)
全身に光魔法を掛けていくと、やはり腰の辺りが赤く光る。
痛がって動かせないアンジェラを闇魔法で眠らせてうつ伏せにした。
腰の骨が一本潰れ、そこから並びが乱れている。椎間板が神経を刺激しているのかもしれない。ジュンは医学部だったわけではない。祖父が腰と膝を手術する時に、医師の説明を聞いただけなのである。
(とりあえず僕は素人なので、ミゲル様に言われたように、炎症だけをしずめよう。あぁ。骨折は治してもいいよね? 骨が自力で復元するようなイメージでね。一カ所だけにあてるのは難しい……)
結局復元しながら、炎症を取り除いていく作業を何度も繰り返し、炎症がなくなる頃には、骨は正常な位置に奇麗に並んでいた。負担を掛けていた体を回復し終えた時には、二時間も時間が経過していた。
「ふぅ。疲れたけど、良い感じだと思うよ」
魔力ポーションを飲んで、ジュンは居間に戻るとソファーで一息ついた。
「お疲れさまでした。ジュン様」
「うん。十日ほど、アンジェラさんにコルセットを着けて欲しいかなぁ? 骨がずれていて、おまけに潰れていたんだ」
「少しお休みください。二人には伝えておきましょう」
ジュンは心地の良い眠りに落ちていった。
「治しちまいましたぜぇ……」
ため息をついたマシューにミシェルは言った。
「私たちは嬉しいけど……。これは大丈夫?」
「全く痛くないのよ。二十代にもどったようよ。でも、誰にも言えないわよね」
アンジェラの言葉にコラードはうなずく。
「しばらく、痛い振りでもしていてください。腰痛持ちの人はたくさんいますから、心配はないでしょう。くれぐれも他言無用です」
「もちろんよ。恩人ですもの、ご迷惑は掛けられないわ」
アンジェラの言葉にマシューは少し笑う。
「主は、あれでも加減や自重しているんだぜぇ。ちょっとずれているだけなんだ」
「ジュン様はあれで良いのです。そのために私たちがいるのですからね」
コラードは優しい笑みを浮かべて、ソファーで寝ているジュンを見る。
「マリー、主様にしっかりお仕えするんですよ。私たちも協力を惜しまないわ」
アンジェラの言葉に、思い出したようにマシューが言った。
「あぁ。そう言えば、主が各地の妖精の話や由来の場所を探しているんだ。何か知らないか?」
「私の故郷にあるマードレ山は火の妖精が大噴火を抑えた山と言われているね。今も山頂の火口あたりには近づけないが、長老たちは信じているよ。話を聞くなら紹介状を書こうか?」
ミシェルの話に驚いていた二人が慌てて返事をした。
「たのむよ」
「お願いします、アンジェラさん」
コラードは全く起きそうにないジュンを抱えて、拠点へと帰った。
ミゲルが出迎えてジュンをのぞき込んだ。
「随分、疲れているようじゃが、治したのかのぉ?」
「ええ。完璧に。私がおそばにいながら、すみません」
「誰がいたって治しただろうのぉ。口止めはしてくれたかのぉ?」
「ええ」
「そうか。加減も後々の問題もいつになったら気付くのかのぉ」
ミゲルはそう言うと、肩にいるシルキーと目を細めて笑った。




