狂恋歌 ~きょうれんか~
秋の夜長に、虫が鳴く――。
賑々しい歌垣の輪からようように逃れて、娘は薄野原をそぞろ歩いていた。
「一族の男はみな下品じゃ」
青い吐息と共に愚痴が零れる。
派手に琵琶を掻き鳴らしながら、若者たちは音声を競い愛を請うが、そのどれもこれもが娘の胸には響かない。
それよりも心惹かれるのは――。
ざわりと薄の穂を揺らす夜風に乗って、妙なる笛の音が耳に届いた。
その物悲しい音色に導かれ、娘は野原を突き進む。胸を焦がす恋情が、決して実を結ばぬものと知りながらも。
「鈴王」
呼びかけると、横笛を吹く手を休めて、細面の青年が振り返った。
この世の中の誰よりも、見目麗しく幽婉な男。美声を誇る鈴の一族の中で、王と呼ばれる不遜なる男。
「夜毎日毎に、数多の女性を狂わす音色で、ぬしは今宵妾までをも惑わすか」
夜の帳は、男の目には晒したくない頬の火照りを隠してくれる。十六夜の月も恥じらうような、艶めかしい雄の貌に恍惚としながらも、娘は男に苦言を呈した。
「これはこれは、轡の大姫」
玲瓏、とした声で、男はからかうように娘を呼んだ。
「いと気難しき姫君に、心乱して頂けるとは光栄の至り」
「気難しい? ぬしは妾の何を知り得てそのようにおっしゃるのか」
男の言を聞きとがめて、娘はきりと眉を跳ね上げた。
「轡の大姫は、選り取りの求婚者に囲まれながら、つれなく袖にするばかりともっぱらの噂」
笑みを刻む唇が、紡ぎ出すは詠うような戯言。男の皮肉にすらも甘く酔いながら、娘は秘めたる心の内を打ち明ける。
「それは唯一人、心に定めた君がおるゆえに……。帯を解いてもらうのは、その方でなければ嫌じゃ」
「花の命は短いものぞ。心に想う背の君がおるならば、その男と契ればよろしかろう」
「鈴王」
熱く濡れた眼差しで、娘は憎らしげに冷淡な男を射抜いた。
「妾が恋う、背の君はぬしじゃ、鈴王」
「我は、鈴の王ぞ、轡の大姫よ」
男は娘に、ずしりと重く冷たく、老成した口調で一言一句を言い渡した。
「幾夜枕を交わしたとて、そちに子を授けることは叶わぬぞえ」
「もとより承知だとも」
それでも娘は引かない。我が身を内から焼き焦がすような想いを前にして、種族の違いが如何ほどのものであろうか?
「妾が望むのは、悦。この身に宿るは、一年に届かぬ儚き命よ。生涯一度の恋を、謳歌して何が悪い」
「悔いはなされぬか?」
「その言の葉、そっくりそのままぬしに返そうぞ」
娘の貌には、禁断の恋に身をやつす情念というよりも、厳しい戦に挑むような気構えがある。一族のなよなよとした女にはない、娘の野趣溢れる潔さに、男は心を動かされてくつと笑った。
「興が乗った。ならば、罪深き一夜を所望するとしよう、轡の大姫よ」
男の優美な青白い指先が、娘の長い黒髪を絡め取る。穢れを知らぬ娘の躯から、一枚、また一枚とおもむろに、剥がれた衣が地に敷かれる。
神仏の理に背いた、決して許されることのない情交。けれど、もろともに地の底へと堕ちゆくならば、それすらも忘我の高みへと誘う蜜となる。
「もう逃しはせぬ。離しはせぬよ、鈴王」
「今生の終わりに、そちの血肉となるならば、それも本望」
自嘲と共に、囁かれるは偽り。娘の心を虚しくして、露と散るひとひらの恋。
狂熱が去った褥の上で、娘は生きながらにして愛しい男の躯を食んだ。
かはたれの時、岩の狭間にふうらりと消ゆるは轡虫。草葉の陰に、うち捨てられたるは鈴虫の羽。