season1過去-2
「舟橋」
湯気と共に運ばれてくる香ばしい香りの方から声が聞こえた。
「お疲れさん。明日、オペなんだろう?」
「及川か」
同僚の医師である及川は、手に持っているカップの一つを俺に渡した。
「ああ、胃がんの手術」
及川は隣のデスクに座って、カルテを覗き込んだ。
「うわ…、この患者、俺と同い年だよ…。まだまだ働き盛りだ」
顔をしかめる及川の手からカルテを抜き取り、それをファイルにしまった。
「…舟橋…お前、大丈夫か?かなり無理しているように見えるぞ?」
及川は唐突に、俺の顔色を窺いながら尋ねた。
「ああ…大丈夫だ」
「今日はもう帰って休めよ。明日に備えて…」
「…ああ…」
静かに返事をする俺を気にしながらも、及川は部屋を離れた。
再び、しんと静まり返る室内。
窓に反射する自分の顔を見つめた。
眉間にはしわが寄っていて、常に目は虚ろ。
それは自分でもわかっていたし、周りが見ても一目瞭然だった。
「…はあ…」
ため息をこぼしながら、顔を両手で覆った。
そんな時、コツンコツンと足音が近づいてきた。
「舟橋」
また呼ばれた。
今度は誰が来たのだろうと、顔を上げた。
「院長…」
そこに立っていたのは、この病院の院長だった。
俺は反射的に立ち上がった。
「舟橋、明日手術に出頭するそうだな」
院長はゆっくりと敬一のデスクに近づいてきた。
その声はとても低くて重々しかった。
「そこまで難しい手術ではないのに、大病院の院長自ら激励ですか」
俺はなるべく普通に接しようとしたが、どこか皮肉めいたものがこめられてしまった。
「ああ…まあ…、舟橋」
「はい」
それに気がつかない振りをする院長は、まっすぐ俺の目を見て、言葉を発する。
「もうあの手術から1年以上も経つんだ…忘れろとは言わないが、そろそろしっかりと、今後の人生について考えてもいいんじゃないのか?」
「何故私だけ、ここに残っていられるのですか…。小野先生は別の病院へ飛ばされたのに…
「君は」
院長は咳払いをした。
「あれはすべて、小野医師のミスだ。
それに君は、優秀だ。
たった一度のミスなんかで、君の将来を潰す事はできない」
ハハッと笑いながら、院長は最後にこう言った。
「近い将来、この一之瀬総合病院をついでくれる事を期待しているよ」
院長が部屋を後にした後、俺は再びため息をこぼした。
「小野先生のせいだけじゃねえよ…」
あれは、まだ、1年前のこと。
しんしんと止むこと無く降る雪の日、俺は、あるひとりの少女と出会った。
それは、まだあどけなさが残る、17歳の少女。
彼女の名前は、宮本ヒナタ。