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怪獣保険  作者: 湯上 日澄
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職場恋愛 ~楽園の林檎~

 って。

 ぼうぜんと、あたしはたちつくした。

 たちつくす場所は、なんと、ひろいひろいお花畑だ。すきとおった青空のした、花にかかる雲の影。赤、黄、青、白、むらさき、オレンジ、ピンクの色彩は、地平線のずっとむこうまでつづいている。どこをみまわしても、きれいな蝶のちらつきはたえない。

ええ、わかってる。わかってるわ。こんらんするのはあたしもおなじ。唐突にもほどがある。あたしは、たったいまUFOにたどりついたばかりのはずだ。まばたきして、ふたたび目をあけたらこうなってたわけよ。しかたないじゃない。

 がたん、と音がきこえた。おもわずとびあがるあたし。ふりかえれば、花畑のどまんなかに、自動販売機がぽつんとたたずんでいる。そう、コーヒーとかお茶とか買うあの自販機よ。いまのも、缶かペットボトルがとりだし口におちる音だったのね。

 つり銭のもどる音もひびいた。ということはとうぜん、自販機のつり銭口にしゃがみこむ人間がいる。あのスーツの背中は? どうみても、サラリーマンなんだけど。いっしょになってそよ風にゆれるのは、さわやかな髪とネクタイだ。なにより、あのうしろすがた……やっぱり、みおぼえがある。

 ためらいがちに、あたしはきりだした。

「あの、モリエです。こんかいの不手際、もうしわけありませんでした」

「あやまることなんてないよ。きみのがんばりは、ぼくがいちばんよくわかってる」

 ぼく? きみ? はァ? あたしの知ってるこの声は、まちがってもこんな甘ったるいしゃべりかたはしない。だいいち、かるくもちあげたあと、急転直下ではなたれる地獄の罵倒もまだだ。あたしを認めるぐらいなら、あの人はまよわず死をえらぶだろう。

 たちあがってみると、サラリーマンはいがいに背が高かった。はやりの細身足長スーツには、しわひとつない。これも、みなれたあの人といっしょだ。ところで、さっきからじっと自販機のディスプレイをながめてるけど、なにかしら。こきざみな電子音とともに回転する数字。数字は七、七ときて、さいごに六でとまった。

「はずれたッ」

 あたしは身がまえた。声とともに、サラリーマンがいきなり振りむいたじゃないの。端正でありながら、目鼻だちにはほどよい男臭さがある。おはなばたけにちょうちょと自販機、それに、この人のさわやかなほほえみ……夢ね。夢にちがいない。

メガネをはずして眉間のあたりをもむと、あたしはつぶやいた。

「部長……寝不足ですか? ずいぶん若返ってません?」

「うん。二十代はね。この惑星での計算だけど」

 ハニー損保営業部部長、オソカワ・アキヒサ……大宇宙の闇からおとずれた絶対的恐怖は、てのひらで小銭をかぞえた。おなかはひっこみ、髪の毛もふえてる。

「なに飲む? リリー?」

 ひとちがいだ。あたしはユリ。モリエ・ユリ。ま、ひとそれぞれ、はなしたくない過去のひとつやふたつはあるわさ。

「お気持ちだけいただいておきます」

「緑茶だね。どうぞ、おかけになって」

 部長は、自販機まえのベンチをしめした。一台だけおかれた業務用ベンチ。ごていねいに足つきの灰皿まであるけど、あたしはすわない。部長がおごり? いっしょにサボりですって? 巨大UFOの内部にえがかれた仮想世界とはいえ、光栄だわ。

 足首までうまる花のじゅうたんを、あたしはあるきはじめた。はしっこをえらんでベンチにすわった理由は、じぶんでもわからない。掌サイズのペットボトルを、そっとさしだす部長。ホットだ。

 ピピピ、と自販機のスロットがなっていた。またはずれね。

「よくにあってるじゃないか、リリー」

「そっちこそ、シオン。ケンカ売ってるの、そのかっこう?」

「心外だな。きみをおどかさないために決まってるだろ。外見年齢はきみにあわせた。すがたかたちは、きみの記憶にいちばんつよく焼きついてる人間のものさ。きみのいちばんがぼくでないのは、かなしいことだ」

「あたしもよ」

 きけば、この休憩室じたい、あたしのやすらぐイメージらしい。いわれてみれば、こじゃれたフランス料理店でワインかたむけるとか、手に汗かいてしまう。

「ひさしぶりだね、ふたりでこうするのも」

「ここはどこ? オランダ? あたまのなか、お花畑とはよくいわれるけど」

「買いすぎた。でも、恋人に花をおくるのは、宇宙共通のマナーだろ?」

 こころづかいあふれる景色を、あたしはみていない。ふしめがちの視線は、ひざと手のあいだにおいたカバンにおちている。きえいりそうな声で、あたしはつぶやいた。

「わるいけど、かえってくれない?」

「賛成だ。ぜひ、きみもいっしょに」

「いっしょにつれてかえるのは、あんたのばらまいた怪獣よ。この星はね、あんたがかんがえてるほど頑丈じゃない。ただでさえボロボロ。このままほっとけば、六千五百万年まえのくりかえしになる。あたしがきた、あのときみたいに」

「きみもだんだん、この星にそまってきてるらしいね。宇宙ぜんたいをみまわしても、ここにすむ生物のへんくつさ、そっけなさ加減はナンバーワンだ。なぜ、こんないなかの星に? ぼくらの故郷から、どれだけ遠くはなれてるとおもう?」

「たった五千億光年でしょ。健康にわるいわよ、ひと駅ぐらいはあるくようにしないと」

「ありがとう。心配してくれるきみが、やっぱりすきだ」

 あたしの首すじに、ひやりとした感触があった。部長こと、シオンの手だ。うしろをとるとは、なかなかやるわね。肩もんでくれるのはうれしいけど、あたしの肩こりはチタン級よ。ちょっときもちいいじゃない。

「ずっと、きみをさがしてた。星から星へわたりながら。そっくりな星をいくつか燃やしてみたけど、にげまどう住人のなかにきみの姿はなかったよ。ここで何番めかな」

「なんてことを……どうかしてるわ、あんた」

「手紙ひとつのこさずいなくなった、きみもね。手紙。そう、手紙だ。ぼくがきみへおくったのは、ラブレターさ。それを地球が〝怪獣〟とよびはじめたとき、きみはようやく振りむいてくれた。かえってきてくれた」

「ごめんなさい。おわかれよ。海王星ぐらいまではおくるから」

 肩をもむ手がとまった。これはあぶない。首をとおりすぎた両腕が、うなだれたあたしをつつむ。やさしく。水平線にしずむ夕陽を、砂浜からいっしょにみつめる恋人たちのように。かすかに震えるあたしの手で、未開封のペットボトルはみしみし悲鳴をあげている。

「こわれやすいんだってね、この星?」

「ごめんなさい……ごめんなさい」

「きみの故郷はただひとつ。じゃ、いらないな、こんな星。ちょっと行って、すりつぶしてくるよ」

 ペットボトルが爆発した。同時に、ふたりのすわるベンチは空たかく舞っている。

 こぶしを突きあげたまま立つあたし。生じた砂煙のむこう、ひらひらおどるのは無数の蝶だ。なにかちがう。たしかにとらえたはずが、シオンの姿はない。

 ぞく、とあたしは総毛だった。きづけば、シオンの指があたしの顔にふれてるじゃないの。足音ひとつきこえなかった。頬から顎にかけてをさすると、なめらかに唇をちかづけてくる。ふたりの周囲、らせんをえがいて降りそそぐ花びらの雨。そこで、シオンもきづいたらしい。あたしの瞳をつたう、ひとすじの涙を。

「つらかったんだね。もうこれからは、ひとりじゃない」

「しつこい!」

 あたしの手は、おちてくるベンチへのびた。片手でつかんで、すかさず回転。シオンをなぎはらった場所で、噴水のごとく蝶のむれがひろがる。

 こんどは、シオンはあたしのうしろにいた。はやいとかいうレベルではない。

「すまないが、しばらくねむってもらうよ。ぼくの口づけでしか覚めないねむりだ」

「はいってるわね、保険には?」

 片足のヒールのカカトが、いきおいよく地面をふんだ。ふまれて跳ねあがった足つき灰皿が、うしろのシオンを急角度でおそう。刹那、あたしの背中になにかがふれた。

 シオンのてのひらだ。

 轟音……地面を十メートルもえぐって吹きとんだあたしを、花びらの波が追った。ぽっかり支柱だけをうしなった灰皿と台座が、シオンのあしもとにころがる。

「さすがに丈夫だね、リリー」

「……それだけが、とりえよ」

 身をおこすあたしの動きは、おどろくほど緩慢だった。いったい、なにをされたっていうの? あまりのダメージに、地面についた両腕もふるえっぱなしだ。

 はんたいに、シオンはにこやかだった。また知らないうちに、あたしの目の前にしゃがみこんでる。ひろげた右手にまとわりつくのは、なん匹かの蝶だ。繊細な指先をあけてはとじるものの、白や黄色の羽はつかめそうでつかめない。

「ぼくの蝶たち……ちいさくてかわいいけど、これもりっぱな次元の〝門〟。〝傷〟なんてよびかたでは、蝶たちはスネてしまう。門をあければ人や水がながれこむし、傷口からは血があふれる。おなじように、蝶が次元の大穴にかわるまでは一瞬だ。ふつうの物体なら、ちかづいたとたん、厚みがなくなるまでぺしゃんこさ。さもなくば、ぼくがよくとおる別次元〝蝶たちの森〟にのまれて、でられずにさまよったあげく一生をおえるか」

 シオンはきえた。おびただしい蝶だけが、人のかたちにあつまっている。まんなかから蝶のむれを分断したのは、さかだちの体勢からひらめいたあたしの蹴りだ。

「ようは、こうだよ。きみのいる場所を、あるパズルのピースとする。そこに、まったくちがうパズルのピースをもってきて、むりやりはめこんだとしたら?」

 きづいたときにはもう遅い。でたらめに開かれた次元は、爆発でもしたみたいにあたしを吹きとばしていた。煙をひいておちたあたしを、花畑がやわらかくうけとめる。

「もうすぐだよ。ぼくの心のパズルがうまるのも」

 そよかぜが、春夏秋冬の花をゆらしていた。みはらしのいい景色のなか、あたしだけがボロボロだ。もう、指いっぽんうごかない。KOしてきた怪獣たちにはもうしわけないけど、こいつ、つよすぎる。なきむしだったこいつが、いつのまに。

 かたてを前にひろげたまま、シオンは部長の顔でほほえんだ。

「おつかれさま」

 かすかに地面が振動したのは、そのときだった。電話のマナーモードだ。

 エビみたいにまるまって反動をつけるや、あたしはものすごい勢いではねおきた。

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