ストレス ~断罪の天使~
ソロムコは、のけぞって空にほえた。
煙をまとったするどい鼻息は、勝者のそれだ。たくましい尻尾をひるがえすと、地響きをのこして歩きはじめる。ひっくりかえった戦車は足の小指でどかしながら、さらにG県の奥へ。半径数百メートルを真っ赤にとかすクレーターに、あたしは影もかたちもない。
だからソロムコは、そのかすかな音も空耳だとおもったはずだ。
泡のはじけるような音。ソロムコの歩みは、しずかにとまった。
ずっとうしろ、例のクレーターをみて。あたりの景色をゆがめて輝くマグマが、ぼこりと泡立ったじゃないの。泡はしだいに数をふやし、波に変じた。ちいさかった波も、やがては大きな渦となってひきよせられてゆく。地獄の池のまんなかへ。摂氏六千度、つまり太陽の表面とほぼおなじ温度で煮えくりかえるそこへ。
下に、なにかいる。
ソロムコがふりかえったときには、もうおそい。まず、マグマから頭がでた。年じゅう傷みがちな毛先から、液化した岩のしずくをしたたらせながら。つぎに、手がでた。電話をにぎるこぶしが。さいごに、足がでた。ヒールのふみしめた地面が、轟音をはなって扇状にひびわれる。
でた。あたしよ。営業担当のモリエ・ユリ。
「ひゃ、百件……」
廃墟と化した大通りの中央、あたしはソロムコとむかいあった。わきにはさんだままだったカバンから、メガネふきをとりだす。暑さでくもっちゃったわ。火の粉まじりの風が吹きながれる中、レンズにかけられるあたしの息。ていねいにみがいて太陽にかざしたあと、ふたたびかけなおす。
あたしとソロムコの絶叫は同時だった。
「やめてやるッッ!!」
巨大な闇が、道路をはしった。
あしもとに転がる新幹線をつかんだソロムコが、ヌンチャクみたいに振りまわした十五両編成の車両で、あたしを横なぎにしたのだ。風圧にまう街路樹、電柱、車、横一文字に裂けるビル。ただ、ふりそそぐガレキの雨の下に、あたしの姿はない。
どこへ?
稲妻のごときカカト落としが、まうえからソロムコの頭をおそった。百メートルの巨体が、轟音とともに地面をバウンドする。電話は終わったのだ。
着地したあたしの前で、ソロムコの顔がはねあがった。大きくひらいた口の奥に、熱波のすじが集束する。
「パワハラよッッ!!」
ソロムコの顔が爆発した。地面をえぐって一閃したあたしのカバンが、必殺の火球をはねかえしたのだ。顔をおさえて後退するのを追い、あたしはソロムコのふところへ。みぞおちに、あたしのボディーブローが突きささる。まきちらした吐しゃ物で街をとかしながら、二万トン以上の巨体はふわりと浮いた。浮いたソロムコの横面に、空中、めりこんだのはヒールのまわしげりだ。ふきとぶソロムコだけど、まだよ。瞬間移動したみたいにその頭上にあらわれたあたしは、ソロムコの鼻っ柱にすさまじい肘打ちをおとしている。
後頭部からソロムコの突っこんだ道路に、衝撃の波紋がひろがった。
ヘリの音が、ばたばたうるさい。顔のまんなかを陥没させ、大の字にたおれながら、ソロムコはうつろな瞳で太陽をながめている。二秒、三秒……試合終了よ。コンパクトかたてに眉ペンで化粧をととのえながら、あたしはソロムコに背をむけた。
閃光。
鏡のうつす背後に、あたしはみた。街のあちこちに、火の玉と化して墜落する無数のヘリを。はげしい炎と煙のむこう、仁王立ちになる巨大な影を。くいしばった牙の間からしたたる六千度の血は、執念のごとく地面を沸騰させている。
ぱたんとコンパクトをとじて、あたしはささやいた。暗いほほえみとともに。
「おはよう」
ソロムコの咆哮に、街は波うった。
一回転とともに、まず、全重量の三分の一ちかくをしめる尻尾を、地面にめりこませて固定。つぎに、おもいきり踏んばった両足が、足首までアスファルトにうまる。こっちも固定完了ね。みずから前へ倒れこんだかと思いきや、これも両手で深く大地をつかむ。さすが怪獣保険きってのアイドル、挑発的な四つんばいだわ。
さいごに、いきおいよく口がひらいた。あごが外れんばかりの広さだ。
地上最強の土下座……ソロムコの〝殲滅〟モードよ。ひとたびこうなったこいつは、もう頑として意見をまげない。そう、世界を直線状に焼きはらうまでは。なにか嫌なことでもあったのかしら。
チャージ開始。街はひくい地鳴りで恐怖をうったえ、磁石みたいにソロムコへすいよせられるのは、宙にういた大小のガレキだ。あけはなたれた口の奥、みて。きれいな球状に育ちはじめた炎に、おびただしい数のプラズマまではしってる。その中心温度、いまや千六百万度以上……太陽の核部分もまっさおのアツさだわ。全エネルギーをかけた一撃がとびだすのはまちがいない。それによって、ここG県、いや日本、むしろ世界地図のちょっとした作りなおしが必要になることも。じっさい、大粛清の内定した場所をまっすぐとおるロシア、中国、北朝鮮とかのえらい人たちゃ、ソロムコのどアップを実況中継でみながら、しぜんに祈りはじめたんだって。〝やはり主は、われわれの罪を見ておられた〟〝やはり神はいなかった〟〝かえりてえ〟
「よくがんばったわね、あんた」
つぶやいたあたしの髪を、そよ風がゆらした。
もちろん、ふつうの風ではない。鉄や樹木をとわず、ソロムコのまわりにある物という物は、まるで夏のアイスクリームみたいに頭からとろけはじめている。そりゃそうね。およそ一兆度……最新鋭の水爆の爆発にひとしい熱にさらされて、けろりとしてられるほど日本の建築技術はしっかりしてない。さいしょは赤色だったソロムコの命の炎も、いつしか地球とおなじ青色にそまり、ついにはうつくしい白にかがやきはじめていた。いってんの曇りもない純白に。
「こんなヤクザな国に営業きて、たったひとりで、必死こいてたたかって。にげだしたくなったでしょう。いっぱいケガもしたでしょう。つらかったでしょう」
片足ずつぬいだヒールを、あたしはていねいにカバンにしまった。はだしのまま、上着のえりをととのえる。こっからは、一対一のはなしあいだ。
「だから」
不動のソロムコにかわって、ずんと地面がとどろいた。両手の指をあしもとにめりこませ、あたしがかまえたのだ。陸上競技でいう、クラウチングスタートの体勢にちかい。
「とりあえず、みつもりだけでもいかが? ハニー損保の入院保険」
目をとじて、あたしはふかく息をすった。
なんだこりゃ。みだれた大気が信号機の鉄柱をきしませれば、道路の新聞紙はなんども宙返りをうち、やけた装甲車のドアはひとりでに開閉をくりかえす。あたしの周囲に、ごく局地的に生じた真空状態のせいだ。ちょっとすいこみすぎたかしら。昔スポーツやってたおかげで、肺活量にはちょいと自信があるの。
天はいななき、地はふるえ、海は逆立った。意思あるもののごとく渦まきはじめた黒雲は、えだわかれした稲妻でつぎつぎと各社の屋上をくだいてゆく。無数のふとい竜巻におどる火の海を背景に、にらみあうあたしとソロムコ。
「カタログは、空輸でおくります」
あっけなく、ソロムコは火球を発射した。地球をきりさく最終兵器を。同時に、蹴った地面をこなごなに爆発させ、あたしの姿はかききえている。
轟音……小型の太陽のかがやきが、空へかけのぼった。
火花をまきちらしてとまったのは、急ブレーキをかけたあたしのカカトだ。かたほうだけ膝をついた体からは、いくすじもの煙が糸をひいている。水爆を、頭突きで大気圏外まではじきとばしたのだ。服ぐらいはこげる。
ソロムコがいない。
どこへ?
一万四千キロほどむこうへ、あたしはちらと視線をあげた。
南極のどまんなかで、はでに砕けちる氷河。ぱたぱた行ったりきたりするのは、住人のペンギンたちだ。われた氷山のすきまをのぞけば、ソロムコの手が。もうスシの国はこりごりだろう。かすかにひくついた指の巨大さに、またテンパるペンギンたち。
よみがえった青空のもと、あたしの手にはハニー損保のチラシがゆれていた。中央でおりめをつけたチラシを、さらに両端でたたむ。なにしてるかって?
「おやすみ」
紙飛行機を海のほうへとばすと、あたしは静かにきびすをかえした。




