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怪獣保険  作者: 湯上 日澄
2/7

パワハラ ~破壊の使者~

 ちょっと見てこれ。

 契約書にもらったサイン、ミミズみたいにふるえてる。きたない字。ナカタさん、なんか怖いもんでも見たのかしら。ま、いっか。〝怪獣保険〟ひさびさの長期契約だ。

ガラスばりのオフィス街は、いつにも増してさわがしい。ただそれも、今日にかぎってはあたしをたたえる歌にきこえる。

 みて、きれいな打ちあげ花火まで。地対空ミサイルをぶっぱなしながら、全速力で後退する装甲車二十台。やけに高い場所へアサルトライフルを乱射するのは、三百名をこえる自衛隊員たちだ。「退却ッ! 退却ァッ!」「核もってこいッ!」とかさけびながら、ちりぢりに道路を反対方向へ突っ走っている。かんじんの敵は、まだあっちの高層ホテルのかげに隠れてみえない。

 銃声と怒号に逆らってあるくのは、あたしだけだった。複写式の保険会社ひかえを、満足げにながめながら。

 おっと、電話よ電話♪

「おつかれさまです、モリエです♪」

〈やってくれたな〉

 大空を無数にかけぬける戦闘機の下、あたしはあおざめた。

 そのつめたい口調は、大宇宙の絶対零度を物理的にしたまわる。それでいて、くろいカゲロウをゆらして煮えたぎるのは、地獄の釜すらやぶるほどの超A型血液だ。

 部長よ。ハニー損保営業部部長、オソカワ・アキヒサ。百七十をたびたび突きぬける高血圧と、応援球団の黒星つづきが最近の悩みだという。

〈(株)ドバシにおくった重要書類が、まっさらなまま返ってきたんだが。よく見りゃ、先方さんの住所打ちまちがえてるじゃねえか。郵送期限はきのうだってのに、ったくよォ。担当したのは、どこのトーヘンボクだ? あ?〉

「う……あ……わたし、です」

〈しってるよ。まかせたのは俺だもんな。めったにない大口の取り引きだ。その残りカスみたいな仕事とはいえ、まかせるからには信用してた。ま、このとおり裏切られちまったわけだが。だいたいな、バカでもできるんだよ、言われたことやるだけなら。一方、言われたこともできねえお前はなんだ。バカ以下か?〉

 電話片手にふるえるあたしを、暗い影がおおった。十トンはありそうなコンクリートの破片が、横のビルから剥がれ落ちたのだ。あたしの頭をすこし直撃したあと、ふたつに割れて道路につきささる。すぐよこの観光バスが、巨大な足……怪獣ソロムコにぺしゃんこにされたが、かまってられない。

「も……もうしわけございませんッッ!!」

〈書類だが、いちおう中身をチェックさせてもらった。これだけはさすがだ。打ったお前のアタマといっしょで、ところどころ数字が狂ってやがる。あんしんしな、先方さん、カンカンにおこってるぜ。そりゃそうだ。常識でかんがえりゃ、こんなとんでもねえミスには事前に気づく。ああ、お前に常識をもとめた俺のほうこそ、ヒジョーシキか〉

「わたしの確認不足でした……できてるとおもったんですが」

〈けっきょく、できてねえ。できてねえんだが。なんでお前は、こんな簡単なこともできねえんだ? なんでおなじ間違いばっかする。まえにもいったよな。てめえでわかんねえんなら、俺かとなりの奴にきけって。これも、なんどいったらわかるんだ?〉

 いそいで相手の会社へいかなきゃ。土下座ですめばいいんだけど。体高百メートル・二万トンのうごく壮大な地響きにたいし、あたしのヒールの靴音はよわよわしい。となりあわせのまま、いっしょにソロムコとあるく。

〈便所でいっしょうけんめい化粧なおししてるとき、鏡に顔がうつってないか? お前の顔が。そう、それこそが給料泥棒の顔だよ。そんな顔に産んじまった親御さんが、俺ァかわいそうでしかたねえ。ま、そんな親の顔、いっぺん見てみたいってのも本音だが〉

「はい……」

〈〝はい〟の意味がわかんねえ。お前の〝はい〟ってなんなんだ?〉

「もうしわけございません」

〈俺にあやまられても困るんだが。だいいち、相手をまちがえてる。あやまるべき相手はお客さんでしょ。そっからして、反省ってもんがかんじられねえ。これっぽっちも伝わってこねえ。失敗に対しての反省は、社会の基本なんだがな。お前がどんな家庭環境でそだったかなんざ、いまさら知ったこっちゃねえけどよ〉

「はい……」

 あら。ちょっとまって。

 めのまえの、みえない誰かに下げつづけるあたしの頭が、ふいにとまった。

 なにげなく肩ならべてたけど、このままいけば横の怪獣、先方の(株)ドバシまでついてきちゃわない? それは意外とこまる。たいへん迷惑だ。頬をひとすじ、いやな汗がつたう。

 メガネのふちを持ちあげつつ、あたしはちらと上目づかいになった。

 日の光をさえぎりながら、ぐるるとのどを鳴らしたのはソロムコだ。死魚みたいによどんだあたしの瞳を、腕組みなんかしちゃって、上からのぞきこむ怪獣。なによあんた。なんなのよ、そのにやつきは。だから安月給なんだ、ってきこえる。ざまあみろ年増、ってあざわらってる。みくだしてる。あのね、あんた。ちょっとそこすわりなさい。

〈まえから気になってたんだが、お前。メモとるって習慣ないよな、ぜんぜん。ほら、いまこの瞬間だって〉

「え。あ、いえ」

〈おせえ。いまからさがしたってダメ。ムダ。きまりだな。お前は、ヒトのハナシ逐一記憶するかしこいアタマってことだ。そうだろ? ったく、いい歳こいて、いつまで学生気分でいやがる。いや、授業料の一円でもはらうだけ、学生のほうがまだマシか。あ、まともにガッコいってなかったりして? こちらこそモウシワケナイ、モウシワケナイ〉

 どっちが先に動いたかはわからない。

 ふりおろされたソロムコの片足と、あたしのこぶしが激突した。二匹を爆心地に、まとめてぶち折れる街路樹百本。半径数キロにわたって、道路が一瞬でクモの巣状にひびわれる。そこから生じた地割れにのみこまれるのは、運のないビル群だ。のちに現地を調査した国連の学者さんは、同一犯だといったらしい。なん百年かまえ、シベリアのどこかで起こった原因不明の大爆発と、これの犯人を。

〈うるせえ。なにでかい音だしてやがる。モノにあたってうさばらしかい? なに蹴った? なに蹴った? 俺はお前をみそこなった。ま、ハナから眼中にゃねえが。お前みたいな、右から左のストロー頭〉

 コンクリート片を空高くまきあげて、あたしはソロムコの足につぶされた。

 一秒がすぎ、二秒がすぎる。へえ、その笑い、勝ったつもり?

 表情をうしなうのは、ソロムコの番だった。かすかにふるえながらも、数千トンの足がおしかえされてゆく。すこしずつ、あたしの両手で。ヒールのカカトから波紋をひろげる地鳴り、道路を空へと逆流するアスファルトのかけら。地面とのわずかな隙間にあらわれたのは、耳と肩で器用に電話をキープするあたしだ。ふだんからダンボールいっぱいの資料かかえて、階段のぼりおりしてる足腰はダテじゃないわよ。なにもいわずに助けてくれる優しい手、いらないといえば嘘になるけど。

 おもいきりお手あげしたあたしの頭上で、ソロムコはよろめいた。ビルの中腹を肘でえぐりながら、二、三歩後退する。

 怒りにほえたソロムコの周囲で、窓という窓がふっとんだ。

〈反抗的じゃねえか、お? いい声だ。お前よりつかえる奴なんて、世の中にゃごまんとあふれてんだぜ。動物園のサルとか、山のサルとか。だまってきいてりゃ、このサル、ヒトのことナメんのもたいがいにしろよ〉

「………」

〈なんでだまってんの? だまるしかないわな。だってお前、てきとうに街ん中うろついて暇つぶししてりゃ、給料が振りこまれるとタカくくってる。だいたいな、目にやる気ってもんがねえんだよ、やる気が。そのくせ、べつの席のあいつと、あれだ。旅行やアイドルのハナシしてるときだけは、その目がキラキラかがやいてるもんなあ〉

「いえ、そんなことは……」

 ふりそそぐガラスの雨が、いっせいにはじけた。

 いきおいをつけて、ソロムコが身をひるがえしたのだ。まわりのビルの一階ばかりをけしとばし、ふとい尻尾があたしをおそう。ひと打ちで、シロナガスクジラを複雑骨折させる尻尾が。

 空気の破裂する音。あたしのはなった超上段のハイキックは、交差するかたちで尻尾をうけとめていた。おもい。五百メートルも道路をずりさがったあたしを追って、アスファルトに津波のごとく亀裂がきざまれる。

〈ほら、まただまるだろ。なにもやってないし、やろうともしない。反対に、お前と仲のいいあいつは、おしゃべりしてるように見えて、だれかさんよりよっぽど要領よくやってる。それにくらべて、仕事してるフリだけのお前はなんなの? なあ? なんかまちがったこといってるか、俺?〉

「お、おっしゃるとおりです」

〈なんで言いかえさないんだ? ニブいニブいとはおもってたが、ふつう、こんだけ言われりゃ反論のひとつぐらいするぜ。くやしくないのかい? くやしいからやってやるって根性はないのか? なんでないんだ? なあ? 仕事はおそいくせして、かえるのだけはなんであんなに早いんだ?〉

「く……くやしいです」

 巨大な土砂の柱が、人食いザメみたいにあたしにせまった。回転しながら宙をまう高架線路、ちぎれとぶ新幹線。すさまじい勢いで、ソロムコが突進してくる。

 あたしの判断は早かった。あたりを見回すや、もよりの高層ビルにとびこんだのだ。ロビーの自動ドア、蹴破っちゃってごめんなさい。それぞれのフロアにうちの資料と名刺をのこしながら、鬼神のごとく階段をかけのぼる。のぼる、のぼる、のぼる。地上百階をわずか三秒。屋上の鉄扉をこれも足で破壊して、あたしはヘリポートにとびだした。

〈あれ、お前。もしかしていま、ちょっと泣いてる?〉

「……いえ」

〈たいした演技だが、やめろ。カンにさわる。ほんっとお前は、そういうムダな動きだけは人一倍だぜ。でももし、仮にだ。仮に、それがうそ泣きじゃないとしたら、それはお前が自分の非をみとめたってことだな。そうだな。じゃあどうする? いってみ〉

「が、がんばります」

 風がつよかった。

 いや、あたしの髪をもてあそぶのはソロムコの鼻息だ。ビルの最上階、牙のつきでた顔はおどろくほどちかい。どまん前よ。血管の一本一本までみえる大きな目玉は、あたしの視線とぶつかって今も火花をちらしている。とりあえず、お友達からはじめましょ。

 あたしは地面をけった。みるみる加速して、屋上から跳躍。轟音とともに、ソロムコの上半身がのけぞる。あたしの渾身のとびげりが、その鼻面につきささったのだ。もうおしまい? 次の瞬間、体をふりもどす反動をつかって、ソロムコの強烈な頭突きがあたしをおそう。ビルを二、三社ぶん突きやぶって、あたしは流星みたいに道路へ墜落した。

〈〝がんばる〟……そう、俺はその言葉をまってたんだよ。お前の口からその言葉がでるのを。よしよし。根拠も実績もないが、自信はたっぷりだ。ま、返事だけよくてもメシは食ってけねえけどな。ちゃんと食ってんの、メシ?〉

「はい」

〈いつそんな余裕ができたんだ? ろくに結果もだしてねえくせに〉

「………」

 ガレキをはらいのけ、あたしは身をおこした。いたた、腰をうったらしい。

 ふと周囲があかるくなった。電話かたてに振りむいたときには、あたしの視界いっぱいに炎がひろがっている。音をたてて吹き飛ぶ砂塵、まっしろにかがやく空間。ソロムコがふたたび、あの巨大な火の球を吐きだしたのだ。一発、二発、三発……

〈とってこい♪〉

「へ?」

〈新規契約とってこいっつってんだよ。すくなくとも百件ッ! 今日じゅうにだッッ!!〉

「ちょ、部長、またごじょうだんを……」

 電話はきれた。笑顔のまま凍るあたし。耳にこだまするのは、ツ―ツー音だけだ。

 たてつづけに突きあがった巨大な火柱に、あたしの姿はきえた。

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