86話 里見に帰り、正木の家で
久しぶりに帰った正木の屋敷は、
夕餉の匂いと、人の声で満ちていた。
囲炉裏の火は柔らかく、
米と味噌の香りが、体の奥に染みてくる。
「おかえり、桜」
母・椿の声は、
いつもより少しだけ強かった。
父も、祖父も、
いつもの顔で座っている。
だが、桜には分かる。
――皆、無事を確かめたかったのだ。
団らんの中の、何気ない会話
話題は他愛もない。
城下の様子
今年の作柄
子どもたちの近況
誰も、京の話はしない。
それが、優しさだった。
桜は箸を止め、
ふと口にする。
「ねえ、お父さま」
「うん?」
桜の“さりげない進言”
「最近、城下で
“南蛮船”の話をよく聞くの」
父の視線が、少しだけ鋭くなる。
「火縄や硝石だけじゃないよ」
桜は、言葉を選ぶ。
「ガラス、金属、
薬や、酒の蒸留」
「それに――
技術者」
父の沈黙
「……技術者を?」
「うん」
桜は、ゆっくり頷く。
「呼ぶんじゃなくて、
“派遣”してもいい」
「学びに行くの」
梨良の父・善兵衛の名
その時、
桜は何気なく付け足した。
「梨良のお父さん……
善兵衛さんなら」
父が、はっと顔を上げる。
「南蛮商人と、
繋がりがある」
「うん。
しかも、欲が強すぎない」
桜の狙い(言葉にしない部分)
武器ではなく 技術
一度きりの取引ではなく 継続
表に出ない 人の往来
桜は、そこまで言わない。
言わなくても、
父はもう気づいている。
父の判断
父は、杯を置いた。
「……善兵衛を使うのは、
正しいな」
「表では商い」
「裏では学び」
桜は、微笑んだ。
家族の反応
母・椿は、静かに言う。
「桜は、
遠くを見るようになったね」
祖父は笑う。
「昔からだ」
「ただし――」
父が、桜を見る。
「南蛮は、
信用と同時に警戒も必要だ」
「うん」
桜は、即答した。
「だから、
“行かせる人”は選ぶ」
夜、火が落ちて
家族の話声が静まる頃。
桜は、囲炉裏の残り火を見つめる。
鉄も、薬も、酒も
流れは海から来る
閉じた領地は、いずれ詰まる
でも――
開きすぎれば、飲み込まれる
次の一手
だから、商いの皮を被せる
善兵衛という“顔”
梨良という“縁”
南蛮船という“窓”
桜の脳内で、
次の盤面が静かに組み上がっていく。
後書きという名のお願い
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