82話 桜が風魔の動きに気づき、
京の朝は、静かだった。
だが桜は、その静けさを信じなかった。
清酒の樽が並ぶ蔵の前、彼女は何もない空を見つめていた。
「……来る」
独り言のように呟いた声に、隣に控えるひかりが、わずかに顔を上げる。
「何か、ございましたか」
「風が、逆になった」
意味を問う言葉は返ってこない。
ひかりはもう学んでいた。桜の“違和感”は、必ず現実になることを。
兆しの一致
その日の昼。
商人がもたらした報告は、桜の予感を裏付けた。
「街道で、荷を数える者がおります。
問屋でも役人でもない。……視線が違う」
「忍びね」
桜は即答した。
「風魔?」
「名は出しておりませんが……」
「十分」
桜は、静かに息を吐いた。
酒の流れが“見られている”。
それはつまり、盾が効き始めた証拠でもある。
先に、場を変える
「ひかり」
「はい」
「この酒は、もう“隠さない”」
ひかりの目が、わずかに揺れる。
「……よろしいのですか」
「隠すから疑われる。
見せることで、意味をずらす」
桜は机に広げた紙に、筆を走らせる。
「銘をつける。
ただし、戦の匂いを消す名で」
「名は……?」
「“和泉”」
水の名。
土地を思わせず、誰のものとも取れない響き。
「明日から、京の公家屋敷で“振る舞い”を始める。
改修の祝い、歌会、何でもいい」
「表に……出すのですね」
「ええ。
風魔が見るのは、闇じゃない。
光の中の酒」
忍びを、使わない一手
その夜、桜は近衛前久の屋敷で密談を行った。
「忍びを、動かさぬでほしい」
前久は驚いた顔を見せる。
「忍びが来ているのだろう?」
「ええ。でも――」
桜は微笑んだ。
「忍びに“忍びの仕事”をさせないのが、今回の肝です」
「ほう?」
「酒は、堂々と。
金は、帳面に。
人は、表で動かす」
前久は、しばし考え込み、やがて小さく笑った。
「風魔は、影を追う」
「ええ。
だから影を消します」
風魔に渡す“誤読”
翌日。
京の町では、噂が広がった。
「近衛様の屋敷で、新しい清酒が振る舞われているらしい」
「改修祝いだとか」
「里見の姫君が関わっているそうだ」
桜は、それを止めなかった。
むしろ、広がるに任せた。
「ひかり」
「はい」
「もし、風魔が動いたら」
「……どう致しましょう」
「逃げない」
ひかりの目が、見開かれる。
「捕まらない。
でも、隠れもしない」
「それは……」
「風魔に、こう思わせるの」
桜は、静かに言った。
「――これは、ただの“公家の酒”だ、と」
本当の狙い
夜。
桜は、灯の落ちた廊下で一人、考えていた。
風魔は、鋭い。
だが、鋭すぎるがゆえに、単純な刃でもある。
(忍びは、戦を探す)
(なら――戦の形を、消せばいい)
酒は盾。
だが同時に、鏡でもある。
風魔が酒に何を見るかで、
次に打つべき手が決まる。
桜は、静かに目を閉じた。
「……さて。
風魔は、何を“誤る”かしら」
京の夜に、見えない風が走った。
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