79話 京の空気と、近衛前久との再会
京は、疲れていた。
人は多い。
だが、活気はない。
瓦は継ぎ足され、板塀は補修の跡を隠しきれていない。
かつて「雅」を支えていた余白が、今は削られ続けていた。
「……京って、もっと賑やかな所だと思っていました」
まな姫が、ぽつりと言う。
桜は首を横に振った。
「賑わっている、とは違います。
“回っているだけ”です」
商人は仕入れ、役人は命を伝え、僧は祈る。
だが、どれも最低限――
“増やす力”が、失われている。
近衛家の屋敷に通され、庭を目にした瞬間、桜は理解した。
――整っている。
だが、豊かではない。
守るための庭だった。
やがて、対面の刻。
襖が開き、現れたのは
近衛前久。
以前よりも痩せたが、
その佇まいに曇りはない。
「……久しいな、桜」
「ご無沙汰しております、近衛様」
桜は、落ち着いた所作で頭を下げた。
前久は軽く頷くと、視線を隣へ移す。
「そちらは……」
「里見まなと申します」
まな姫が一歩前に出て、丁寧に礼をした。
「里見義堯が娘にございます」
前久は、わずかに目を見開いた。
「ほう……
これが、噂の姫か」
「噂、ですか?」
「近ごろ、房総は妙に静かでな」
前久は、くすりと笑った。
「争いが起きぬという噂ほど、
この都では怪しまれるものはない」
まな姫は、少しだけ困ったように微笑んだ。
「本日は、
お礼と、ご挨拶を」
そう言って、桜が一歩前に出る。
「以前お贈りした品に加え、
本日は、こちらも」
差し出されたのは、
澄み切った酒と、包まれた金塊。
前久は、すぐには手を伸ばさなかった。
「……桜」
「はい」
「そなたは、いつも“理由”を用意して来る」
桜は、小さく笑った。
「理由のないものは、
受け取っていただけませんから」
前久は、深く息を吐いた。
「朝廷は、今、何も持たぬ」
静かな言葉だった。
「だが、
それでも“見られている”と知ることは、
これほど重いとはな」
桜は、まな姫を一度見てから、前を向く。
「これは、施しではありません」
前久の視線が、鋭くなる。
「“縁”です」
桜は、はっきりと言った。
「朝廷が、
今も“価値のある場所”であるという前提を、
私たちは捨てていません」
場に、沈黙が落ちる。
まな姫は口を挟まない。
これは、桜と前久の言葉の場だった。
「金は減ります。
酒は尽きます」
桜は続ける。
「でも、
“覚えられた味”と“覚えられた心”は、
消えません」
前久は、しばらく桜を見つめ、
やがて、静かに笑った。
「……やはり、そなたは恐ろしい」
「恐れ入ります」
「いや、誉め言葉だ」
前久は、今度はまな姫を見た。
「里見は、良い姫を持った」
まな姫は、少し緊張しながらも、しっかりと答えた。
「私は、桜の考えに賛同しております」
「……なるほど」
前久は、ゆっくりと頷いた。
「これは、慰撫だな」
「はい」
「しかも、
こちらの誇りを傷つけぬ形での」
前久は、深く頭を下げた。
公家の頂点に立つ者が、
少女たちに向かって。
「礼を言おう」
襖の外、
京の風が、静かに音を立てた。
この日、
里見と朝廷の関係は、“形式”から“信頼”へと踏み出した。




