78話 ――雪姫からの手紙と、京への決意
里見城に、珍しく公家の装いをした使者が現れたのは、朝靄の残る時刻だった。
差し出された文箱には、
見覚えのある家紋――近衛家。
まな姫が手ずから封を切り、
桜は、その隣で黙って文を覗いた。
中にあったのは、雪姫の筆跡だった。
「朝廷内の争いは、日ごとに激しさを増しております。
主上のお住まいの修繕すら思うに任せず、
何もできぬ自分が、ただ恥ずかしく、悲しいのです。
どうか、里見とのご縁の中で、
何か道が見つかるなら……」
幼いながらも、
その文には“公家の娘”としての苦悩が滲んでいた。
「……雪姫」
まな姫が、ぽつりと呟く。
桜は、しばらく沈黙した後、口を開いた。
「まな様。
これは、助けを求める文です」
「ええ。
でも、朝廷に直接手を差し伸べることは……」
まな姫の言葉は慎重だった。
それは、十三にして既に“政治”を知る者の声音。
桜は頷いた。
「分かっています。
だから――“武”でも“言葉”でもなく、“慰撫”です」
「慰撫……」
桜は、事前に考えていたように続けた。
「荒銭から取れた金。
それは、力にも、支配にもなり得ます」
そして、小さく微笑んだ。
「でも、今は
“朝廷がまだ大切にされている”と示すために使いたい」
桜は視線を落とし、さらに言う。
「それと、もう一つ」
別の箱が開かれた。
中には、
澄み切った、淡い黄金色の酒。
「……これは?」
「濁りのない酒です。
仕込みは終わっています。
まだ世に出していません」
まな姫は、はっと息を呑んだ。
「清酒……」
桜は前年から試行錯誤して精米し仕込んでいたお酒を取り出した
桜はいつしか10才になっていた
「はい。
“贅”ではあります。
でも、公家の心を慰めるには、これ以上のものはありません」
桜の声は、冷静だった。
だが、その奥にあるのは――
人の心を守ろうとする覚悟。
「雪姫は、孤立しています。
だからこそ、近衛前久様を慰める必要があります」
「……京へ、行くつもりなのね」
まな姫の問いに、桜は迷わず頷いた。
「はい。
まな様と共に」
十三の姫と、十の少女。
その決断は、軽くはない。
まな姫は一度目を閉じ、
やがて静かに言った。
「……分かりました。
これは、私の役目です」
その足で二人は、
里見義堯のもとへ向かった。
「父上」
まな姫が頭を下げる。
「雪姫より、朝廷の内情についての書状が届きました」
義堯は文を読み、
深く息を吐いた。
「……厳しいな」
桜が一歩前に出る。
「殿様
これは、戦ではありません」
義堯の視線が、桜に向く。
「朝廷を“守る”のではなく、
“見捨てていない”と示すための登京です」
桜は、金塊と酒の箱を示した。
「金と、清酒。
力ではなく、縁として持ち込みます」
しばしの沈黙。
やがて、義堯は頷いた。
「……よかろう」
そして、まな姫を見る。
「これは、お前の政治だ」
「はい」
義堯は、最後に桜を見た。
「京は、甘くないぞ」
桜は、静かに答えた。
「だからこそ、行きます」
――こうして。
里見は、初めて“朝廷を救う側”として動き出す。
武でもなく、金だけでもなく、
“心”を携えて。




