74話 桜が“商いの盾”をどう使うか決める
――里見・館奥の小座敷
文机の上に並ぶのは、二つのものだけだった。
雪姫からの手紙と、商人が置いていった帳面。
桜は、まず手紙を畳む。
「朝廷では“関東は荒れる”という空気が濃くなっています
名は欲しいが、刃は振りたくない
それが今の都です」
短い文。だが、十分だった。
「……なるほど」
桜は独り言のように呟き、次に帳面を開く。
紙の匂いが違う。都のものでも、鎌倉のものでもない。
商いの匂いだ。
「里見殿に“専売”を預けたい」
商人の言葉を、桜は正確に思い出す。
塩。
鉄。
海路。
伊豆と房総を繋ぐ海の流れを、里見の名で束ねたい――
それが、商人の“予想外の提案”だった。
「……盾、か」
障子の向こうで、百地三太夫が静かに息をする気配があった。
桜は振り返らずに言う。
「忍びは刃です。でも、刃は盾にはなれない」
「商いは?」
百地の声は低い。
「商いは、触れれば血が出るが、誰も斬られていると気づかない盾です」
桜は帳面を閉じた。
「北条は“戦力”には敏感です。
でも“流通”には遅い」
百地が、わずかに目を細める。
「伊賀が風魔とぶつかれば、北条は動く。
けれど――」
桜は続ける。
「里見の名で海を抑え、
塩と鉄が止まれば、
北条は刀を抜く前に困る」
沈黙。
「これは攻めではありません。
“刃を抜かせない環境”を作るだけ」
百地は、初めて小さく笑った。
「忍びでは思いつかぬ手だ」
「忍びがいるから、思いつける手です」
桜は立ち上がり、障子を開けた。
海風が、部屋に入る。
「伊賀は刃。
里見は名。
朝廷は重み。
そして――」
桜は一息置く。
「商いは盾です」
百地は、深く頷いた。
「……ならば条件は満たされた」
「え?」
「風魔を敵に回す覚悟、だ。
刃が見えぬ戦は、忍びの真骨頂でもある」
桜は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「では次は――
誰に、何を“止めさせるか”を決めましょう」
海の音が、遠くで強くなった。




