65話 風と影
伊賀へ向かう道は
人の気配が、意図的に消されている感覚。
(……似てる)
桜は、馬の背でそっと目を伏せた。
前世の記憶
前世の私には、
少し変わった友人がいた。
多くを語らない。
笑顔は控えめ。
だが、会話の端々で――
思考が一手、二手先を読んでいると分かる人だった。
争わない。
前に出ない。
だが、気づけば場の流れはその人の思考に沿って動いていた。
誰かがこう言ったことがある。
「伊賀の百地三大夫の系譜らしいよ」
冗談半分の言葉だった。
だが、私はなぜか、
妙に腑に落ちたのを覚えている。
(遺伝なのか、環境なのか……)
進むことも、退くことも、
正確な“間”で選び取れる人。
祖と向き合うということ
今。
その“祖”に会いに来ている。
百地三大夫。
戦国の闇を形作り、
忍びを“組織”に昇華させた男。
(……怖くないわけがない)
桜は、正直に思った。
相手は、
武将ではない。
商人でもない。
裏切りと沈黙を生業にしてきた存在。
言葉一つで、
生きるか、消えるかが決まる。
それでも。
胸の奥に、
小さな熱があった。
(……会いたい)
前世で知っていた“影の静けさ”。
その源に、
触れられる気がしていた。
喜びと不安のあいだ
不安はある。
交渉は一歩間違えれば破綻する。
里見にも、正木にも影を落とす。
だが同時に――
(あの人の“始まり”に会える)
百地三大夫という存在が、
単なる「忍びの頭領」ではなく、
どういう思考で世界を見ていたのか。
それを知りたいという気持ちが、
桜を前に進ませていた。
風が変わる
ふと、
山の風向きが変わった。
「……近いな」
護衛の一人が、低く呟く。
桜は、顔を上げた。
(ここから先は――)
前世の記憶も、
年齢も、
姫という立場も。
すべてが、
ただの“桜”として試される場所。
桜は、静かに息を吸った。
(百地三大夫……)
(あなたは、
私をどう見る?)
風は、答えをくれない。
だが影は、
確かにそこにあった。




