第63話 慈光尼、北条を量る
評定の後。
里見城の一角、簡素な控えの間。
障子の向こうでは、春の雨が静かに庭を打っていた。
まなは文机の前に座り、
その脇に――慈光尼が控えている。
「尼殿」
まなが口を開いた。
「北条は、今どう動くと思いますか」
その問いに、慈光尼はすぐには答えなかった。
湯呑を一つ置き、静かに息を整える。
「では……“戦”ではなく
**“北条という家”**を見てみましょう」
北条は“攻める家”ではない
「北条は、勇ましいようでいて
本質は守りの一族です」
慈光尼は、紙の上にゆっくりと線を引く。
「領地を広げるより、
得た土地を離さぬことを最優先にする」
関東に張り巡らされた城網。
街道を押さえ、港を囲い、
補給線を断たれぬ構造。
「彼らは戦場で勝つより、
相手が干上がるのを待つ」
まなは、息をのむ。
(まるで……私たちがやろうとしていることと)
里見は“異物”になりつつある
慈光尼は続けた。
「北条から見て、今の里見は
非常に厄介です」
「厄介……?」
「はい。
戦をせずに、
人と物が集まり、
民が増え、
兵が常備されつつある」
それは、本来
戦乱の中では起こり得ない成長。
「北条は、
“自分たちが作れなかった形”を
最も恐れます」
慈光尼は、きっぱりと言った。
「だから――
必ず潰しに来ます」
ただし、“今”ではない
まなの指が、ぎゅっと握られる。
だが、慈光尼は首を振った。
「いいえ。
今、刃を向けることはありません」
「なぜですか」
「北条は、
勝てると確信した戦しかしないからです」
まだ里見は大きくない。
まだ噂の段階。
まだ“芽”にすぎない。
「だから北条は、こう動きます」
慈光尼は、紙に三つの点を書いた。
北条の三手
一つ目。
縁組の打診。
「姫様、
あなたの話が出ぬはずがありません」
まなの肩が、僅かに強張る。
「縁を結び、
里見を“内側”から縛る」
二つ目。
商人への圧力。
「里見に流れる物と金を
静かに細らせます」
三つ目。
“正義”を掲げる
「治安、宗教、朝廷。
何でも使います」
正面からの戦ではなく、
首を締めるように。
対策は“戦わぬこと”
「では……どうすれば」
まなの問いに、
慈光尼は静かに微笑んだ。
「北条の土俵に、
上がらぬことです」
「具体的には?」
「――“忙しくさせる”」
まなと桜の顔が、同時に上がる。
「北条にとって、
里見が“敵”ではなく
“面倒な存在”であり続けること」
民が増え続ける
商いが止まらない
医療が整う
朝廷との関係が深まる
「戦えば損。
潰しても、割に合わない」
そう思わせ続ける。
「それが、今の最善です」
桜の一言
その時、
控えていた桜が小さく呟いた。
「……つまり」
慈光尼と目が合う。
「北条が勝つ前に、
勝つ意味を失わせる」
慈光尼は、ゆっくりと頷いた。
「はい。
それが、里見の戦い方になります」
雨は止み、
庭に光が差し始めていた。
この日、
里見は“戦わぬ戦”を選んだ。
だがそれは――
誰よりも覚悟のいる道でもあった。




