47話 桜の進言
まな姫との会談を終えたその夜、
桜は父のもとを訪れた。
灯明の火は低く、
昼の喧騒が嘘のように、屋敷は静まり返っている。
「……父上」
呼びかける声は、まだ幼い。
だが、その声音には、迷いを抑え込む硬さがあった。
父は書付から顔を上げ、桜を見る。
「まな姫と、何を話した」
試すような問いだった。
桜は一礼し、言葉を選びながら口を開く。
「婚姻についてです。
ですが――外交の道具としてではありません」
その一言で、室内の空気が変わった。
「……続けよ」
「里見殿にお伝えいただきたいのです。
まな姫を、外へ送る駒にするのではなく、
領内の跡取りたる家臣との縁組として考えていただけないかと」
沈黙。
父の目が、細くなる。
それが、どれほど危うい提言か――
桜自身が一番理解していた。
(下手をすれば、謀反の疑い)
主家の姫を、領内家臣に嫁がせる。
それは、家中に新たな“軸”を作ることでもある。
家臣が力を持ちすぎれば、
主家を脅かす存在にもなり得る。
「……それは」
父は、言葉を切った。
「里見殿が最も慎重になる話だ。
いや、警戒するどころか――拒む可能性が高い」
「承知しています」
桜は即座に頷いた。
そして、ほんの一瞬だけ息を整え、
核心を口にする。
「だからこそ、条件を添えたいのです」
父の視線が、桜に向く。
「もし、領内の跡取りとの婚姻となるなら――」
桜は、真っ直ぐに父を見た。
「桜配下の者、全員で、まな姫の配下となります」
父の目が、わずかに見開かれた。
「……何だと?」
「桜個人ではありません。
商い、物流、戸籍、衛生、警邏――
今まで桜が関わってきた仕組み、その運用に携わる者すべてです」
幼い声で、だが理路は明確だった。
「まな姫を、孤立させません。
縁組先の家だけに権力が集中しないよう、
桜の一派は“姫を支える役目”に徹します」
それは、野心ではない。
むしろ、野心を抑え込むための枷だった。
父は、しばらく黙っていた。
この娘は、
「力を持つことの危険性」を理解している。
そして――
それを制御する方法まで考えている。
(……末恐ろしい)
同時に、こうも思った。
(だが、これほど“反乱から遠い提案”もない)
自らの派閥を、
主家の姫に従属させると明言する。
それは、謀反の芽を
自分の手で摘み取る宣言だった。
「……桜」
父は、静かに言った。
「この話、里見殿に伝える。
だが、覚悟はあるな」
「はい」
即答だった。
「もし拒まれれば、
桜は二度と、この手の進言はできません」
「それでも構いません」
桜は頭を下げた。
「それでも、まな姫が
“戦の理由”ではなく、
“領を支える存在”として生きられるなら」
父は、深く息を吐いた。
(この子はもう、
政を“人の人生”として見ている)
夜更け、灯明の火が揺れる。
その小さな炎の前で、
一つの提言が、
里見家の未来を大きく揺らそうとしていた。




