第22話 商人、殿の名を聞く
城下の朝は、早い。
正木領の市。
いつもより人が多く、声が重なっていた。
「聞いたか」
「殿の膳に出たらしいぞ」
「正木の……あの娘だ」
商人たちは、耳を澄ませる。
善兵衛、動く
人混みの中。
梨良の父、善兵衛は、黙って話を聞いていた。
(殿の名が出たか)
商人の鼻は、こういう匂いを逃さない。
「……正木へ行く」
それだけ言って、足を向ける。
正木屋敷
屋敷の門前。
すでに、何人かの商人が待っていた。
子ども連れも、ちらほら。
「先に来たもん勝ちだ」
「いや、殿が絡むなら――」
ざわめきが、止まらない。
桜の立ち位置
屋敷の中。
桜は、台帳を閉じた。
(来た)
(想定より、少し早い)
脳内会議が、静かに始まる。
(売らない)
(急がない)
(殿の名は、盾)
父との会話
「桜」
父が、低い声で言う。
「商人が、増えた」
「はい」
「どうする」
桜は、はっきり答えた。
「売りません」
父が、目を細める。
「理由は」
「値が、定まりません」
「今は」
商人たちとの距離
門の外では。
「まだか」
「子どもが決めるって話だぞ」
「……本当かよ」
善兵衛は、静かに待っていた。
(焦るな)
(焦った方が、負ける)
桜の判断
桜は、深く息を吸う。
「父上」
「今日は」
「見せるだけにしてください」
「売る話は、しません」
「殿の名を、軽くしません」
父は、少し考え――
うなずいた。
「分かった」
静かな一手
門が開く。
商人たちは、期待に目を輝かせる。
だが桜は、にこりともせず言った。
「今日は」
「話を、聞くだけです」
「売るのは――」
一拍。
「もう少し、先」
ざわめきが、大きくなる。
だが、誰も帰らなかった。
種は、まかれた
その日。
取引は、成立しなかった。
だが――
噂は、倍に膨らんだ。
「売らないほどの価値」
「殿の膳に出た味」
商人たちは、正木を見逃さなくなる。
桜は、知っている。
(これでいい)
(値は、向こうが作る)




