138話 桜が“後ろに立つ”ことで見えるもの
評定の間。
これまで桜が座っていた場所は、今日は空いている。
前に立つのは、まな姫。
その左右に、家臣と役人。
そして、少し離れた柱の影――
桜は、そこにいた。
声を発しない。
視線だけで、場を読む。
(……見え方が、まるで違う)
前に立っていた時は、
全てが「自分に向かってくる問題」だった。
だが今は――
言葉の選び方。
沈黙の長さ。
視線の交錯。
人の癖が、はっきりと見える。
ある役人は、正しさより保身を選ぶ。
ある家臣は、理解しているが言葉にできない。
ある者は、姫の覚悟を測っている。
(……なるほど)
桜は、内心で息を吐いた。
これまで、自分は
「考えることで場を制していた」。
だが今は違う。
場が、勝手に語り出す。
まな姫が一つ判断を下す。
完璧ではない。
だが、現実的だ。
その瞬間、
不満げな顔をする者と、
安堵する者が分かれる。
(ここに……歪みが生まれる)
それもまた、当然。
全員を満足させる政など存在しない。
桜は、初めて
「失敗を恐れずに人に任せる」
という感覚を理解し始めていた。
その時――
伊賀のひかりが、
視線だけで桜に合図を送る。
“外で、動きがあります”
桜は、ほんの一瞬だけ目を伏せ、
次に顔を上げた時には、
もう“考える者”の顔になっていた。
(……後ろに立つ、とは)
(何もしない、ではない)
前に出ない代わりに、
全体を見る。
声を張らない代わりに、
流れを読む。
そして――
必要な時だけ、
問いを投げる。
評定が終わり、人が散っていく。
まな姫が、桜の前に立った。
「……どうだった?」
桜は、少し考えてから答える。
「姫は、もう一人で立てます」
まな姫は、苦笑した。
「それは、褒め言葉?」
「はい。
でも――」
桜は、静かに続けた。
「最初の“歪み”も、
もう生まれています」
まな姫の表情が、引き締まる。
「後ろに立つからこそ、
それが見えるんです」
桜は、初めて確信した。
自分の役割は、終わっていない。
ただ、形が変わっただけだ。




