125話 防衛が“武力”から“抑止”へ移行していく葛藤
——刃を抜かぬという選択——
① 不安を口にする者たち
里見の評定の場。
地図が広げられ、港・街道・山間部に印が打たれている。
だが、以前と違うのは――剣の話が出ないことだ。
若い家臣が、ついに口を開いた。
「これほど備えておきながら……」
「なぜ、兵を増やさぬのですか」
その声には、忠誠と同時に焦りがあった。
「敵は、こちらの力を試してきます」
「抑止など、臆病と取られはしませんか」
その言葉に、数名が頷く。
戦国の常識では、
備え=見せる力=武力だった。
② 桜の迷い
桜は、すぐに答えなかった。
(彼らは間違っていない)
(戦国の現場では、正論だ)
だが同時に思う。
(一度、剣を抜けば)
(次は必ず、もっと大きな剣を求められる)
鉄砲を持てば、数を増やせと言われる。
兵を増やせば、隣国は倍にする。
――終わりがない。
桜は静かに口を開いた。
「戦えるようにすることと、戦わないようにすることは違います」
③ 慈光尼の言葉
場が少し重くなったところで、
慈光尼が穏やかに、しかし鋭く言った。
「剣を持たぬ覚悟の方が、実は重いのです」
皆がそちらを見る。
「剣を抜けば、責任は“戦”に転嫁できる」
「だが、抜かぬ選択は――」
一瞬、言葉を区切る。
「すべての結果を、自分で背負う覚悟がいる」
民が殺されれば、
「戦ったから仕方ない」とは言えない。
④ 百地三大夫の評価
百地は、腕を組んだまま低く言った。
「抑止は、忍びにとって最も難しい戦だ」
誰も遮らない。
「敵に“何かある”と思わせ続けねばならぬ」
「見せすぎても、隠しすぎても駄目だ」
「そして何より――」
百地は桜を見る。
「一度でも誤算があれば、血が流れる」
その言葉は、
抑止の残酷さを突きつけていた。
⑤ 現場の声
別の場面。
港の兵が、仲間に小さくこぼす。
「剣を振らずに、守れるのか」
農民は言う。
「戦が起きないのはありがたいが……」
「本当に大丈夫なのか」
抑止は、成果が見えない。
だからこそ、不安が溜まる。
⑥ 桜の決意(揺れながら)
夜、桜は一人で地図を見ていた。
(誰も血を流さないのが、最善)
(でも、最善は一番難しい)
抑止は、
成功すれば「何も起きない」。
失敗すれば、
「なぜ戦わなかった」と責められる。
それでも――
桜は、筆を置く。
「それでも、私は剣を遅らせる」
これは、
戦わない覚悟を選び続ける戦なのだと。




