94話 色に名が付く時 ――里見硝子
京では、
物は“使われる”前に
語られる。
噂の始まり
女房衆の間で、
あの薄桃色の小瓶は
いつしかこう呼ばれ始めていた。
「里見の硝子」
正式な名ではない。
誰かが決めたわけでもない。
けれど――
一度そう呼ばれると、戻らない。
名が先に歩く
商人が報告する。
「京で、“里見の硝子は違う”と
言われております」
「何が違う?」
「色が“うるさくない”と」
桜は小さく息を吐いた。
(わかる者には、
わかる)
香織の葛藤
香織は喜びよりも、
不安を抱えていた。
(名が付いたら、
逃げられない)
(失敗すれば、
全部が壊れる)
桜はその肩に、
そっと手を置いた。
「大丈夫。
“色”は一人で背負わない」
分業という決断
桜は、
硝子の工程を三つに分けた。
素材管理 ― 南蛮技術者
形と厚み ― 里見の職人
色の監修 ― 香織
「香織は
“作らなくていい”」
「選びなさい。
京が欲しがる色を」
香織は、
初めて“責任者”として
頷いた。
新たな色
次に京へ送られたのは――
ごく淡い灰青色。
朝霧のような色。
それは、
男性公家の文机
僧の薬瓶
主上の側近の硯脇
に、静かに置かれた。
近衛前久の言葉
近衛前久は、
その器を手にして言った。
「……名を付けるなら」
「**静里**がよい」
静かなる里の硝子。
それは、
公家の口から発せられた
最初の正式な名だった。
桜の戦略
(名が付いた)
(これで――
“模倣”はできても
“同じ”にはならない)
(色は、
文化になる)
そして次の波
だが、
名が広がるということは――
狙われるということでもあった。
京の片隅で、
ある商人が囁く。
「……北条の方が、
色硝子に興味を示している」




