姫様、お迎えに上がりました。
「姫様!」
魔王の城に響いたのは厳つい男たちの声だった。
身に纏う鎧は傷だらけ、剣もなまくら一歩手前まで修繕もなく使い込まれたものを構え、十数人の騎士が魔王と相対していた。
いや、彼らの目当ては、隣の椅子に座らされた可憐な姫。
華奢な体躯は華美なドレスに包まれ、丁寧に世話をされているのがよく分かる髪や肌の艶。
けれど不似合いに足首につけられた枷が彼女の行動を縛っているのだろうことは明白である。
魔王と呼ばれた白皙の美青年は己に向けられる敵意など欠片も気にした様子もなく嗤う。
「情けないことだ。勇猛果敢な若者が山ほど送られてくるのかと思えばたったこれっぽっちしか辿り着けなんだか」
「最初は第一騎士団総出だったとも!しかしだな」
「国境を超えるまでにやれ魔物が出ただのやれ野盗がだとかで半数が手伝いに消えた」
「二つ国を超えた頃には湿度や長時間のブーツ着用で水虫にやられた奴が十人も出て戦闘不能になり国に戻った」
「海を越えるとなった時、船酔いで半分が動けなくなった」
「魔物相手じゃないのか」
「魔物は別に……」
「姫様の方が強いから……」
「は?」
「姫様は一人で散歩気分で国内の魔物を倒して回るし、伝説の黒竜でさえ寝起きのワンパンで倒してしまう方だから」
魔王はその言葉に思わず隣に座らせた姫君を見る。
ほっそりとした腕や、華奢な肩、たおやかな指先からは戦闘力を欠片も感じない。
ただ美しいと思ったからさらっただけなのに、とんでもねえものを連れ帰ってしまったらしい。
流石の魔王も伝説の黒竜を倒そうと思ったことはない。そういえばいつからか気配がなくなったなと思っていたが、まさかこんな少女に倒されていたとは。
と、騎士たちの中で最も若そうで、いかにも生真面目で堅物らしい青年が姫の正面で片膝をついた。
「姫様、帰りましょう」
「……」
「姫様がいないと、皆が困ってしまいますよ」
「あなたは?」
小鳥が囀るような可憐な声が、そう問う。
沈黙してしまった青年騎士に、周囲の騎士は跪いた騎士に向き直り、
「お前、こういう時は騎士の仮面外せよな!」
「寂しかっただろ!姫様いないと!」
「姫様が差し入れてくださるクッキーうまかっただろ!また食いたいよな!?」
「お前目当てで訓練所来てくださるくらい気に入ってくれてるんだぞ!自信持てよ!!」
わーわーと青年騎士に向かって言う。
中には肩を小突いたりする者もいて、必死さが伝わってくる。
その間、姫君は答えを待つようにじっとしている。
魔王は、その瞳に餓えを感じた。
彼女は自分を遥かに超える強者だという。
その強者であっても、手に入らないものはある。
魔王にもその心当たりはある。
故に、その餓えを感じ取れた。
「姫様」
「うん」
「……あなたの居ない日々は、色褪せて感じます。
どれほど体を酷使しても眠りが浅く、食べるものも砂のように感じる。
姫様が居さえすれば、俺は充足した日々を送れるのだと思います。
ですから、戻ってきてくださいませんか」
青年の声は緊張を孕んだもので、瞳にもそれは現れている。
魔王はその色合いに真剣さを見出した。
そうして、隣で、ばきんという音が軽やかに響いた。
足枷が破壊された音である。
華奢な体躯と裏腹の強大な力で枷を粉みじんにした姫君は、すっくと立ちあがり、未だ悠々と椅子に座ったままの魔王にちらと横目で視線を向けた。
「久しぶりの休暇をありがとう。
お礼に、討伐はいたしませんわ」
「それはどうもありがとう。俺もそなたの国の近くにはいかぬよう気を付けよう」
「ええ。……ねぇ、淑女には手を差し伸べるのが礼儀ではない?」
笑い含みの声に、はたと青年が立ち上がり、武骨な手を差し伸べる。
そこにちょこんと手を乗せて姫君は笑う。
「帰ったら仕事が山積みなのでしょうね。
それを終わらせたら、マフィンを焼いてあげるわ」
「は。恐悦至極です」
「それと。戴冠式も近いじゃない?
女王になるのはよいのだけれど、王配が必要だわ。
ねぇ、」
「そこから先は俺に言わせてくださいませんか」
きょとんとする姫君に、騎士はほっそりとした手を大事に扱いながら両手で包み込む。
そうして真剣な目を向け、
「姫様。俺を選んでくださいませんか」
「よっ言ったーーーーー!!!」
「姫様!国元に帰ったら祝杯ですよ!」
「苦節十年……うっ」
とても魔王の居城での光景と思えないプロポーズに魔王は苦笑いこそすれど動きはしない。
ただ眺めているのみで。
姫君はぽかんとしていたが、次第に頬に朱が差し――包まれた手を振りほどき、その勢いのまま騎士に抱き着いた。
それが、答えだった。
とある国には、賢く、強く、なんでも出来る女王がいたという。
西に洪水の兆しがあれば騎士団を向かわせて土嚢を積ませ、川の流れを制御する術を実行させ。
東に魔物の群れがあれば自ら愛馬を駆って出向き、指先一つで全滅させたという。
そんな女王の夫は、武骨で、無口で、騎士団の仕事をする以外に道のないような男であったというが。
女王は夫を深く愛し、夫も女王を深く愛したという。
なお、女王の血は未だ濃く、その後に続く女王たちも武勇と知略に優れているのは言うまでもない。




