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「あの方を愚かと評するよりも、わたくしは正直な人と言う感想を抱きます」(候爵令嬢視点)

「よかったのですか?」


 王太子妃がそんなことを尋ねてきた。


「伯爵令嬢を許してしまって」


 王太子妃の部屋の中。

 ここにはわたくしと王太子妃以外、誰もいない。

 本来、王太子妃の部屋に、『客人』扱いとはいえ、王家の縁談を台無しにした罪人が王太子妃と二人きりになるなどありえない。当初、王太子妃が人払いをしようとした際、侍女達は難色を示していたのだが、


『私の話は楽しい話ばかりではありませんからね』


 公爵との婚姻が白紙に戻された直後、わたくしの隣国行きが決定され、隣国の人間であり、王女だった王太子妃から話を聞くことになった。隣国から仕えてきた侍女達は主人の意図を察し、護衛騎士を扉越しに配置することで妥協案を見出だした。国王や王太子が公務を行う執務室には敵わないものの、王太子妃の部屋は騒ぎを起こさない限り、外に声が漏れることはない。王太子妃が話す隣国の話は確かに楽しいものばかりではなく。重要機密とまではいかなくとも、外部の人間に聞かせていい内容でもなかった。


『近々、我が国の人間になるのですから、知っていて損はないかと思います』


 わたくしが聞いてもいいのかと尋ねた際、王太子妃は微笑みながら、そう言った。


『ただ、このお話は私が嫁ぐ以前のものに過ぎませんから』

『ええ、分かっております。隣国に着いた際は、情報の精査をするようにと言うことですね?』

『ええ、その通りです』


 穏やかな微笑みを浮かべながら、王太子妃は頷いた。王太子妃と接する以外は、客室に通され、何不自由ない生活を送っている。ただ、わたくしの立場が微妙なせいか、王太子妃の部屋と客室を行き来する以外は許されていないが。もっとも、こうなることは分かっていたけれど。


「······どうかなさいましたか?」


 王太子妃の言葉に、我に返る。


「いえ、少し考え事を」

「やはり伯爵令嬢に思うところが?」

「いえ、彼女に関しましては仕方がない部分が大きいですから」


 伯爵令嬢は数ヶ月の謹慎処分を受けた。ただ、伯爵家は証拠不十分と言うことで、お咎めはなかった。


 伯爵家当主は今後疑われることがなきように王家に対する忠誠心を示すよう、働いていると聞く。伯爵令嬢はわたくしに無礼を働いてしまい、あまつさえ謹慎処分を受けて、可哀想なことをしてしまったと思う。


 何故なら、


()()()()()()()()()()()()()()。わたくしの存在を疎ましいと思っていたとしても、仕方がありませんから」


 伯爵令嬢と公爵の婚約は、前公爵と伯爵が交わした口約束だった。王家が関与しない、それどころか知る筈もない婚約である。王命により、わたくしが公爵家に嫁がなければ、伯爵令嬢が公爵の妻になっていただろう。


「ですが、貴方に非があったとは思えません。何より、彼らは王家に婚約したと申請すらしていなかったのです。にも関わらず、侯爵令嬢を責め立てるのは逆恨みではないかと」


 貴族の婚約は基本、家同士の決め事ではあるが、貴族間の力関係が大きく変わることを懸念して、王家は貴族の婚約は知らせるようお触れを出している。違反するような愚かな者は王家を蔑ろにしたとして、厳しい処罰を受ける。その為、そんな愚か者は滅多に現れないのだが。


「仕方がありません」


 わたくしは静かに首を振った。


「王家に伝えなかったのは無理もありません。両家は()()()()()()()()()()()()()()


 ーーそう、わたくしの元夫である公爵が伯爵家を反王家派だとして断罪しようとしたのは正しかったのだ。もっとも、わたくしが嫁いだ公爵家もまた反王家派だったのだけれど。


「王太子殿下から伺ったお話を聞いて、とても驚いてしまいました」


 王太子妃は一つ、ため息をついた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 先代の公爵ーーわたくしのお義父様だった方が、反王家派の首謀者だった。隣国との和睦を不服として、末の王子を手にかけたのだ。その反王家派の同志達が各々の子供の婚姻を結ばせようとしていた上、裏では公爵家の資産を投じた武器の調達。それが何を意味するのか、分からない者はいまい。


「反乱を企てるなんて、正気を疑ってしまいました。先の公爵は何を考えていたのでしょう?」


 ーー反乱(クーデター)。成功した暁には、先の公爵は王家を一掃した上で、息子夫婦に王位を継がせ、実権を握る計画が成されていた。


「強いて言えば、先王陛下の御代が恋しかったのではないでしょうか。先代の公爵は先王の寵愛がもっとも深いものだったと聞き及んでおります」


 嫁いできた際、わたくしに対する対応がもっとも酷かったのがお義父様だった。王命によって結ばれた縁談を誰よりも厭い、疎んでいた。


 先の公爵は先王の寵臣として、広大な領地を得て、忠誠心は他の誰よりも深いものだったとか。


「何より、先王の崩御には国王陛下が関わっているのではと言う真偽も怪しい噂まであります」


 先王の崩御を嘆いたのがお義父様ならば、先王の影響力にもっとも苦慮していたのが国王陛下だった。そういう意味では、国王陛下に先王の暗殺疑惑が浮上するのは頷ける話だ。だからと言って、王家に刃を向けるのは褒められた話ではない。


 反王家派が現れた際、真っ先に首謀者として疑われたのが先代の公爵だった。先王の治世で、この世の栄華を極めたのは公爵家であり、広大な領地を得たのもまた公爵家である。公爵家の潤沢な資産を利用すれば、武器の調達など容易い。しかし、先代の公爵は愚かではなかった。自身が首謀者だと噂が流れたとしても、徹底的に証拠を残さなかったのだ。


 証拠もなく、公爵家を断罪することは不可能だった。先王の忠臣として活躍した先代の公爵を何の根拠もなく罰すれば、貴族から反発は必至。王家の敵を増やしかねない。


 膠着状態に陥り、互いを牽制するだけに留められ。結果、末の王子襲撃事件が起きたのだ。隣国との和睦の交渉を行う一方で、反王家派を一掃もしくは弱体化が急務となった。しかし、首謀者と目されている相手は証拠一つ残さない。であれば、残す手段は一つ。密偵を反王家派に潜り込ませ、証拠入手もしくは弱体化を図る。外側から探りを入れるのが無理であれば、内側から壊せばいい。


 折しも、わたくしのあらぬ噂を流れ、夫探しに難航していた時期。だから、王家ーー正確に言えば、国王陛下はわたくしに王命を下した。


『公爵家に嫁ぎ、内情を綴った手紙を送れ』


 わたくしの父は娘を捨て駒に使われるつもりかと言っていた。公爵家に何かあれば、わたくしにも被害が及ぶと分かっていたからだ。国王陛下は否定された。


『そなたの娘を蔑ろにするつもりはない。公爵家に万が一の場合があったとしても、侯爵令嬢の身の安全は保障しよう』


「国王陛下にとって先王陛下の『忠臣』は膿も同然の存在。その最たる家こそが、公爵家ですから」


「······ええ、聞いています。あの方達は勝手が過ぎましたから」


 末の王子襲撃事件だけではない。先王の寵愛を笠に着て、公爵家は好き勝手な行動をしていた。


 横暴に振る舞うというものではない。先王を優先し、国を軽んじる振る舞いだった。先代の公爵夫妻は白い結婚ではなく、跡継ぎまで儲けたにもかかわらず、離婚に踏み切った。噂でしか知らないが、先王の威光を振りかざし、教会の反対を押し切ったとか。


 それが原因で、王家と教会の仲は険悪な状態に陥り、国王陛下は教会との関係修復にも心砕くこととなった。王家に次ぐ爵位を持つ者が先王の治世を今でも夢見ているのだ。国の根幹を揺るがす膿は除去しなければならない。


 その為にわたくしは公爵家に嫁ぐことが決められたのだ。


「知らなかったとはいえ、伯爵令嬢から見ればわたくしは婚約者を奪った憎き恋敵。恨むのは自然な流れかと」

「·······確かにそうですが」


 納得はできない。

 王太子妃はそう言いたげだった。


「伯爵令嬢は自身の家が反王家派だと知っていたのでしょうか?」

「どうでしょうか。わたくしの考えでは『ありえない』のではないかと」

「まあ、何故ですか?」

「彼女と相対したのは二度目でしたが、自身の身の潔白よりも、伯爵夫妻の無罪を訴えるような方でした。あの目はとても純粋で、夫妻が反王家派だと知っていれば、もっと動揺していたのではないかと思います」

「伯爵令嬢は嘘が吐けない人だと?」

「ええ、詩的な言い回しで擁護するのでしたら、夢にも思っていないと言う表現が正しいかと」


 あれが演技ならば大したものだが、伯爵令嬢は純朴な印象が強かった。


「······あなたがそう言うのならば、そうなのでしょうね」


 王太子妃がひとりごとのように呟き、紅茶に口を付ける。


 静寂。


「ですが」


 わたくしはゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「おそらく伯爵令嬢が希望通り、公爵に嫁いだとしても、わたくしと同じ目に遭っていたのではないかと」

「白い結婚を要求すると?」

「ええ、先代の公爵の強い希望もあり、結ばれた政略結婚になるのでしょうが······」


 わたくしのように、離婚を迫られるようなことにはなるまい。先代の公爵の強い希望によって結ばれた政略結婚なのだから。使用人も愚かな真似はしないだろう。しかし、夫の振る舞いに深く傷付くであろうことは容易に察しが付く。


 ーー『愛するつもりはない。これは家同士の契約だ』


 などと言って、伯爵令嬢を拒絶する元夫の姿が目に浮かぶ。結果、結婚生活が破綻しようが、傷付いた『妻』に万が一があろうが、公爵はきっと気に留めることはない。事務処理を行うだけだ。


「やはり貴方から見ても、公爵は愚かな人だったのですね」

「いいえ」


 わたくしが否定すると、王太子妃は意外だと言わんばかりに目を見開いた。珍しい表情だった。


「あの方を愚かと評するよりも、わたくしは正直な人と言う感想を抱きます」


 一年間、名ばかりとはいえ、夫婦として過ごしてきたからこその感慨。


「あの方は妻であったわたくしに仰ったことがあるのです。『こんな家、なくなってしまえばいいのにと考えたことがある』と」

「まあ······」

「先代がいた頃、公爵は父親の支配に悩まれていたご様子でした。······おそらく、先代が反王家派だとも知っていたのでしょう」


 噂の真偽を知り、公爵は不器用にもこちらに歩み寄ろうとしていた。その度に、先代は眉をひそめ、わたくしとの婚姻に異議を唱えていた。なんとか婚姻を解消できないものかと考えている様子だった。


 証拠を残さない、用意周到な首謀者もまた自分の家ではボロが出やすくなるらしい。この家の主人であると言う自負によって、気が大きくなってしまうからかもしれない。相変わらず、証拠は見つけられなかったものの、先王時代、優遇された臣下達との密会を見聞きし、それら全てを詳細に綴った手紙を、王家に送り続けた。


「公爵は先代と違い、反王家派に与しているわけではなさそうでした。どちらかと言えば、距離を取っているように見受けられました」

「けれども、王家に忠誠を誓っていたわけでもありません」

「ええ、仰る通りです。忠誠心や愛国心と言った感情は、あの方は今のところ持ち合わせていないかと」


 それを育むべき指導者()がいなかった。故に血統への拘りも持ち合わせていない。それは王家に限らず、自分に流れる血にさえも。


 公爵は究極のところ、


「公爵は自身の代で、公爵家の血を途絶えさせたいと目論見があったのではないかと思います」


 一年前に出会った公爵は分かり合えない人だと思った。同時に『氷の公爵』と言う異名に相応しい、感情が欠落した人にも思えた。世捨て人とまでは行かないが、それに近い何かに見えていた。


「公爵がそのような人物だと考えると、王家の目論見は失敗に終わってしまうのでしょうか」


 王太子妃は複雑そうな顔をした。


 ーー王家の目論見。


 わたくしの元夫である公爵ーーその時には既に爵位が降格しているだろうがーーに、王家の息がかかった娘を妻を迎えさせた上で、その子供を反王家派にならぬよう教育を施す。長期間に渡って反王家派の弱体化を図る計画である。


 しかし、公爵にその気がなければ、妻を娶ろうとも子は宿せないのではないか。王太子妃はそれを危惧しているようだが。


「王太子妃殿下、ご心配には及びません」


 わたくしは王太子妃の不安を取り除くように、声をかける。


「たとえ、公爵に愛国心がなくとも、妻を大切にして下さると思います」


 何故なら、公爵は、


「あの方はわたくしの為に、先代を殺めました。·····それは全て、わたくしが密告しております。弱味を握られた状態で、妻を大切にしないと言う選択肢は、もはやあの方にはないかと」


 先代の公爵はわたくしを殺めようとしていた。


 以前、わたくしは毒を盛られ、倒れたことがあった。処置が迅速だった為、命に別状はなかった一方、熱に魘される日が数日続いた。毒を盛った使用人は捕縛されたものの、自白する前に命を落とした。


 自殺したのだ。


 わたくしの容態が落ち着いた頃、お義父様が命を落とされた。激しい熱に苦しみながら、その末に亡くなられたと。その時の公爵の様子が不可解だった。動揺することなく、淡々と事務処理を行い、葬儀を執り行った。元々、希薄な親子関係であり、使用人達は違和感を覚えなかったが。


『君を害した人間を許しはしない』


 熱に魘されるわたくしを見舞った公爵がわたくしの手を握って、誓いのように呟いた。先代が倒れたのはその直後だった。疑うなと言う方が無理な話である。


 状況証拠だけであり、物的証拠は何もないと言われれば、それまでの話だが。容態が落ち着いた頃、王家に送る手紙にそれらを綴った。もしかすると、王家は公爵を許すかもしれない。


 何故なら、公爵は、


「王家にとって、公爵は英雄的存在です」


 王太子妃は紅茶で満たされたティーカップを見つめながら、言った。


「理由はどうあれ、反王家派の首謀者を倒して下さいました。おかげで、一年前に比べて、反王家派の動きも鈍くなったので」


 王太子妃の言う通りだった。反王家派を主導していた先代が急死した結果、反王家派の手の者だとされる火種が急激に減少していったのだ。反王家派は無論、嫡男である公爵に接触を試みたが、門前払いされていた。その姿を何度か目撃したことがある。流石に公爵夫人(わたくし)に仲介役を頼むような愚か者はいなかったが。


「だからこそ、陛下と王太子殿下はあの者に子を成すことをお許しになりましたが」

「侯爵令嬢。貴方と言う存在を失った今、何か思い切ったことをするのではないかと」

「ご心配には及びません、王太子妃殿下」


 わたくしは王太子妃に言った。


「先程と言いましたが、あの方はもはや王家に仇なすことは不可能です。何より、」


 わたくしは元夫の姿を思い浮かべながら、微笑んだ。


「あの方はわたくしよりも、己の身を可愛く思えるようになりました」


 自己保身。我が身可愛さ。


 それだけ聞くと、誰もが眉をひそめるだろうが、大抵の人間は自分が大事だ。公爵には致命的に『それ』が欠けていた。大事でないが故に、王家が寄越した妻を蔑ろにできる。結果、どんな咎めを受けたとしても、自分が大事ではないのだから、流されるがまま、淡々と罰を受ける。


 無関心なのだ、己を含めた人間に対して。


 一年前であれば、王太子妃の杞憂も現実のものとなっていただろう。


 しかし、今は違う。


 あの方はどんな形であれ、わたくしを妻として愛したのだ。愛する者の為に、反王家派と袂を別つと決断し、公の場で元婚約者とその家族を断罪しようとしたのだ。あれ程の大騒ぎを起こせば、次は我が身ではと恐れる者は現れる。反王家派はますます統率が取れなくなっていく。あれは反王家派を断罪する場ではない。反王家派を牽制する場であったのだ。


 名ばかりだったとはいえ、あの方と夫婦であったのだ。あの方の考えは理解はできる。しかし、納得できるか否か、受け入れるかどうかは別問題である。


 そもそも、あの方はわたくしの考えを汲み取ろうともしないまま、強硬手段に打って出たのだ。そんな人と生涯を共にしたいとは思えなかった。


『旦那様、わたくしと共に地獄に墜ちてくださいますか?』


 心にもない言葉を投げかけたあの時。あの方の目に宿ったのは、わたくしに対する『拒絶』であった。


 ーー結局、あの方も分かっていたのであろう。わたくしと夫婦であり続けることは不可能であると。


「自己保身を覚えたあの方は今後、王家にとって良き臣下になられるかと思います」

「······貴方がそう言うのでしたら、そうなのでしょうね」


 王太子妃は安堵したのか、紅茶に口をつけた。振る舞い一つ取っても、王女としての品位が窺える。


「王太子妃殿下」

「はい、なんでしょうか?」

「差し支えなければ、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「ええ、勿論。何でも聞いて下さいな」

「ありがとうございます。では、改めて」


 微笑む王太子妃に向かって、わたくしは聞く。


「わたくしの心ない噂を流されたのは、王太子妃殿下でしょうか?」

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