わたくし、能力なんてありますのね?
「ヴィヴィアン、ちょっといいかい?」
ティータイムの時間、お兄様が部屋に来た。
大事な話があると言うので中に招き入れ、侍女に紅茶を用意してもらう。
お兄様が侍女を見たので下がらせた。
「ありがとう。話とは、君に関することだ」
「わたくし、ですか?」
お兄様が頷き、それから、改めて話してくれた。
お母様が始祖吸血鬼と呼ばれる、吸血鬼の中でも特別な存在で、お兄様はお母様の能力によって生まれた吸血鬼である。
遠い昔、今より魔族と人族の争いがもっと激化していた時代から二人は生きており、リーヴァイはその当時の聖人達に敗北してしまった。
聖人がリーヴァイの力を完全に封じようとしたため、力を完全に封じられる前に転生したという。
全ての魔族はそれ以降、生まれ変わったリーヴァイを探し続けていた。
お母様とお兄様は人間の国を転々とし、お父様と結婚したのも人間であるふりをするためで、公爵家ならばあらゆる情報を探すことも出来るし、お金も使える。
お母様はお父様の心を魅了という能力によって掌握した。
そしてお母様とお父様が結婚する。
吸血鬼は己の体の年齢を自由に操ることが出来るのだとか。お兄様は赤ん坊まで体年齢を戻し、人間の成長速度に合わせて、歳を取っているようにみせているらしい。
「だけど、母上が父上を愛していないわけではないんだ」
お母様はお父様を愛していた。
そして、二人の間にわたくしが生まれた。
生まれてきたわたくしは吸血鬼の人間の魔人で、ほとんど人間に近く、吸血鬼の能力は使えなさそうだった。
「だから僕達は君が魔人であることを伝えなかった。ほとんど人間ならば、人間として生きていけばいいと思っていたし、魔王様を見つけ出した後も人間に紛れて間諜として過ごすには人間の父と妹がいれば疑われる心配がないからね」
でも、わたくしはもう自分のことも、お母様とお兄様のことも知っている。
「魔王様から君の記憶について教えていただいた」
「……どこまでお知りになりましたの?」
「今話した内容を君が知っていること。数年後に聖女が選ばれ、本来ならば聖女が魔王様を助け、その後に魔族と人族の戦争が激化し、魔王様が討たれてしまうこと。……場合によっては僕や魔王様がその聖女に想いを寄せるかもしれないとも聞いたよ」
……つまり、ほとんどお兄様も知っているわけね。
思わず俯くとお兄様に頭を撫でられた。
「君のこの夢が本当になるかは分からないけれど、魔王様を購入出来たことからして、ただの夢とも思えない。僕達は今後、現れる聖女に注意することになるだろう」
どうしてそんな夢を見たのか。未来を知っているのか。
そういった疑問はお兄様にもあるはずなのに、わたくしにそれをぶつけてくることはなく、お兄様は優しく微笑む。
「遅くなったけれど、魔王様を見つけてくれてありがとう」
それまで黙っていたリーヴァイが口を開いた。
「ヴィヴィアンよ、心配せずともそなたの見た夢のようなことにはならぬ。現状、魔族と人族との間で戦争を起こしたら、今度こそ魔族は駆逐されるだろう。昔より人間は圧倒的に数も増え、個々の魔族が強くとも、数の暴力には勝てぬ」
「僕達はしばらく様子を見ることに決めたんだ」
「そうなのですね……」
それにホッとする。
少なくとも、すぐにお母様やお兄様と離れ離れになったり、リーヴァイが魔族領に帰ってしまったりということはないらしい。
お兄様が「それでね……」と言葉を続ける。
「今日は魔王様にヴィヴィアンの能力を視てもらおうと思って。魔王様は相手の能力を把握することが出来るんだよ。人間に近くても、ヴィヴィアンには吸血鬼の血が流れているから何かしらの能力は使えるはず」
……わたくしに吸血鬼の能力なんてあるのかしら?
「能力がなかったら?」
「それならそれで構わないよ。能力があればもしもの時に身を守りやすいし、普段から訓練しておけば力が暴走する心配もない。稀に魔人でも、魔族の血が濃くて力が暴走した結果、殺されてしまう者もいるからね」
わたくしは人間の血が濃いのでその心配はなさそうだが、能力が何か使えるだけでも、いつかは役立つことがあるかもしれない。
魔王をそばに置く以上、争いに巻き込まれる可能性もある。
「分かりました」
わたくしが頷くと、お兄様が微笑み、リーヴァイを見た。
リーヴァイが斜め後ろからわたくしの額にそっと触れる。
ジッと琥珀の瞳に見下ろされると少しドキリとする。
「……なるほど、確かに吸血鬼の能力はほぼないな」
その言葉に少しだけがっかりした。
額からリーヴァイの手が離れる。
「ヴィヴィアンにあるのは『魅了』と『威圧』だな」
「他の能力はないのですね?」
「うむ。体は多少丈夫なようだが、その程度だ」
……そういえばわたくし、風邪一つ引いたことがないわ。
その辺りは吸血鬼の血で健康体なのだろうか。
お兄様が吸血鬼について教えてくれた。
吸血鬼は魔族の中でもかなり特殊で、能力が多い種族だ。
まず、体の年齢を自在に変えられ、コウモリやオオカミなどの生き物に擬態することも出来る。
ちなみにお兄様はこの擬態能力を使い、お母様の体の一部から生み出されたらしい。
次に『魅了』と『威圧』は文字通りである。
老若男女問わず、能力を使えば人間を魅了で落とし、どんな命令でも言うことを聞かせられるようになる。
威圧は対峙している相手に怯えや恐怖を感じさせ、場合によっては屈服させることも出来る。
吸血鬼は体が頑丈な上に再生能力も高く、不老長寿だ。
そして名前の通り、他者の血を吸うことで精を得て、その能力や不老長寿を保っている。
「血を飲まないと、吸血鬼の能力を使えるようになれないと思うけどね」
吸血鬼は血を飲むことで覚醒する。
大抵の吸血鬼は幼いうちから血を飲み、能力に目覚め、扱えるようになっていくのだとか。
お兄様との間に、袖を捲ったリーヴァイの腕が出てくる。
褐色の、よく日焼けしたような肌には黒い紋様がある。
この紋様が聖人に力を封じられている証なのだ。
「ヴィヴィアンよ、試しに噛んでみろ」
とリーヴァイに言われて困った。
「噛んだら痛くなくって?」
「痛いのは一瞬らしいよ」
………………。
意を決して、かぷ、とリーヴァイの腕に噛みついた。
……全然、血を吸える気がしないのですけれど?
あぐあぐと噛んでいるとリーヴァイが小さく笑った。
「くすぐったい」
とりあえず腕から口を離せば、リーヴァイの手が伸びてきて、わたくしの口を開けさせた。
リーヴァイに口の中を覗き込まれる。
「牙が未発達のようだ」
「……ああ、本当ですね」
お兄様もわたくしの歯を見て、頷く。
手が離れたので口を一度閉じてから訊いた。
「未発達だと血は吸えませんよね?」
「そうだね」
「吸えないなら、与えればいいだけだ」
リーヴァイが片手の爪で、袖を捲った腕を撫でる。
すると、そこに赤い筋が出来て血が滲む。
ギョッとしている間に腕が差し出された。
……血を飲むなんて……あら……?
なんだか、リーヴァイの血からとても良い匂いがする。
その甘い匂いに釣られて傷口に顔を寄せる。
……やっぱり良い匂いがするわ。
果物のような、菓子のような、甘酸っぱい匂いはとても美味しそうで、驚いた。
チラリとリーヴァイを見上げれば頷き返される。
傷が痛くないように、そっと滲んだ血を舐める。
芳醇な果物のジュースのように甘く、香しく、少し渋さと酸味のある深い味わい匂いから感じる想像通りの味だった。
リーヴァイが傷口を広げると血が流れてくる。
それをこくりと飲み込めば、熱が喉を通り過ぎていく。
……もっと飲みたい。もっと味わいたい。
気付けば、リーヴァイの傷口に口付けるように血を啜っていた。
体が熱くて、血が美味しくて、どこか気分がいい。
「魔王様、それまでです」
お兄様の声がして、リーヴァイが腕を引く。
離れていく腕に思わず「あ……」と未練たらしい声が出てしまった。
ふら、と揺れた体をお兄様に抱き留められる。
「慣れないと血で酩酊してしまうのです」
「休ませればいいのか?」
「はい、血が馴染めばすぐに能力を使えるようになります」
ぼんやりしていると、ソファーを回ってきたリーヴァイに抱き上げられる。
そうして、寝室まで運ばれ、ベッドに横たえられた。
「だ、そうだ。少し休め」
* * * * *
眠りに落ちたヴィヴィアンの頬を、リーヴァイはそっと撫でた。
よほどぐっすりと眠っているようで起きる気配はない。
不可思議で、愛らしく、哀れな娘である。
記憶を覗いた時に感じたのは愛情だった。
この娘はわがままで、傲慢なところがあるけれど、本質的には愛情深い。家族、使用人、友人、身内には特に心を傾ける性質があるようだ。
それなのに、娘は『仮初の家族』だと思っている。
母親も兄も魔族で、父親は人族で、魔人の己は本当はどちらからもさほど愛されてはいないのだと、そう考えている。
いつか魔人の自分は捨てられるかもしれないなどとも思っているようだが、それは間違いだ。
ルシアンもイザベルも、ヴィヴィアンを愛しているふうであったし、恐らく、ここにいられなくなった時は家族全員で魔族領に来るだろう。
そのことについては妹に関心を向けなかったルシアンが悪いのだが、兄妹の問題に首を突っ込むつもりはない。
ヴィヴィアンとルシアンは少しずつ、関係を回復させつつあるようなので、静観するのが良さそうだ。
……そなたは勝手な娘だ。
奴隷のリーヴァイを購入し、たった二日ではあったが、ヴィヴィアンはリーヴァイを甘やかし、彼女なりに愛した。
まるで真綿に包まれるような優しく穏やかな時間だった。
人間を憎みながらも、記憶を取り戻す前のリーヴァイはヴィヴィアンの愛情に触れ、心を開いていた。
触れる手が、向けられる視線が、かけられる声が、全てが優しく、温かく、リーヴァイを愛していると告げていた。
記憶からもリーヴァイを心から愛しているのが分かった。
「それなのに、我を欲しがらぬのか」
ヴィヴィアン・ランドロー。哀れな娘。
愛を与えるばかりで、受け取ることなど考えてもいない。
本当は心の奥底で欲しいと思っているくせに、人に与えるばかりで、表立っては欲しがる素振りも見せない。
だからこそ、リーヴァイは思う。
……この娘に「あなたの愛が欲しい」と言わせたい。
そこまで考えて、ヴィヴィアンの中で見た記憶を思い出す。
もしリーヴァイがヴィヴィアンに購入されずにいたら、本当にあの通りに聖女に助けられ、心を開き、聖女に想いを寄せていたのだろうか。
もしもやたとえの話など無意味だと理解している。
だが、聖女相手に想いを寄せるなど、もう一度考えてみても、やはりありえない。
むしろ、聖人や聖女という言葉には憎悪すら感じる。
「ん……」
ヴィヴィアンがこちらへ寝返りを打った。
金色の豊かな髪が白いシーツによく映える。
リーヴァイとは真逆の真っ白な肌も美しい。
……そなたのほうがずっと魅力的だな。
ヴィヴィアンの記憶の中の聖女は落ち着いた暗い茶髪に鮮やかな青い瞳をした、いかにも純粋無垢そうな娘であったが、リーヴァイは何も感じなかった。
それよりも、わがままで傲慢で、優しくて甘えたがりで、それなのに本心は決して明かそうとせず、必死で強がっているヴィヴィアンのほうが愛らしくて見ていたくなる。
もう一度ヴィヴィアンの頭を撫でてから、リーヴァイは寝室を出て、隣の部屋へと戻った。
「ルシアンよ」
声をかければ、ヴィヴィアンとそっくりな色彩を持つルシアンが顔を上げた。
その喜色交じりの目も兄妹揃ってよく似ている。
「はい、なんでしょう、魔王様」
「我はヴィヴィアンを娶ることにした」
「え?」
ルシアンが驚き、そして訊き返してくる。
「ヴィヴィアンを? 妹は了承したのですか?」
「いや、今は何も伝えていない。だが、いずれ落とす」
しばし考えるような表情を見せた後、ルシアンは頷いた。
「妹が了承するのであれば、僕が口を出す理由はありません」
ヴィヴィアンの記憶の中にあった少し前のルシアンであれば「お好きにどうぞ」と言っていただろうが、最近はきちんと妹の意思を尊重しているようだ。
「ですが、妹は手強いと思いますよ」
「そのほうが面白いではないか」
それに、ヴィヴィアンはリーヴァイを愛している。
勝率の高い戦いに尻込みする必要はない。
「母にもそう伝えておきましょう。しかし、先日もそうでしたが、王命で王太子と婚約させられる可能性もあります」
「もしどうしても結婚するとなれば、その時は攫えば良い」
「ふふ、魔王様らしいですね」
懐かしそうに笑うルシアンに、リーヴァイも微笑んだ。
これほど穏やかな時間を過ごすのは久しぶりだった。
* * * * *