好きなものはそばで愛でたいの。
リーヴァイを購入してから、四ヶ月が経った。
これまで彼は読み書きを覚えるだけでなく、使用人の立ち居振る舞いや仕事も学んでいたため、すぐにはわたくしの侍従になれなかった。
この四ヶ月の間に彼は色々なことを学んだようだ。
侍従のお仕着せに身を包んだリーヴァイはかっこいい。
……一言で感想を述べるなら『最高』だわ……!!
「どうだ? なかなか様になっているだろう?」
相変わらず不遜な言葉遣いだが、妙に似合っている。
わたくしはそれに頷いた。
「ええ、とても似合っていらっしゃいますわ」
「ヴィヴィアンよ、そなたは我が主人だ。主人が奴隷に丁寧に対応してはおかしいのではないか?」
「ですが、失礼ではございませんか?」
「我が許す。気楽にせよ」
それにわたくしは笑ってしまった。
リーヴァイ本人が『主人と奴隷の立場』について言及したのに、主人のわたくしへの不遜な態度は、まるで彼のほうが主人のようだった。
「分かったわ。改めてよろしくね、リーヴァイ」
そして数日後、お母様と共に招待されたお茶会に、侍従としてリーヴァイを連れて行くことにした。
* * * * *
門を越えて少しすると馬車が停まった。
先にリーヴァイとお母様の侍女が馬車から降りる。
次にわたくし、そしてお母様も馬車から降りれば、そこには本日のお茶会を主催したフラハティ侯爵家の屋敷があった。
公爵邸と遜色ないほどの大きさからしても、フラハティ家がいくつかある侯爵家の中でもかなり裕福なのが窺える。
使用人に招待状を見せ、お茶会の会場に案内してもらう。
どうやら中庭が会場のようで、季節の花々が咲いた美しい庭園にテーブルや椅子が置かれ、大半の招待客は既に到着していた。
フラハティ侯爵夫人がこちらに気付くと立ち上がる。
「イザベル様、ようこそお越しくださいました」
お母様は何度もフラハティ侯爵家の夜会やお茶会に参加しているので、フラハティ夫人と面識がある。
「お招きいただけて嬉しいですわ。それに、娘の参加も許してくださって、こちらこそ感謝いたします」
「イザベル様のお嬢様をお招き出来るなんて光栄ですわ」
フラハティ侯爵夫人は柔らかな茶髪に淡い黄緑の瞳をした、鼻の上にちょっとだけあるそばかすが愛嬌を感じさせる、優しそうな女性だった。
お母様いわく『貴族の中でも温厚で裏表のない人』らしく、なんとなく、雰囲気からもそれが感じられた。
目が合うとフラハティ侯爵夫人が微笑む。
わたくしも微笑むと嬉しそうな顔をされた。
「さあ、イザベル様もお嬢様もこちらへどうぞ」
と促されて席に着く。
丸テーブルに四人が座れるようになっており、お母様とわたくし、フラハティ侯爵夫人、そしてもう一人、夫人がテーブルに座っていた。
他にもテーブルはいくつかあり、それぞれに夫人や令嬢がいるが、どうやらフラハティ侯爵夫人は気を遣ってくれたようだ。
もう一人の夫人はガネル公爵夫人で、わたくしより一つ歳下の令嬢を持つ。そしてその令嬢はわたくしとお友達でもあり、ガネル公爵夫人はお母様とも友人だった。
ガネル公爵夫人は華やかな赤い髪に紫の瞳をしている。
わたくしと目が合うとガネル公爵夫人が微笑んだ。
その派手な容姿を裏切らない性格なのだとお母様から聞いているけれど、わたくしがガネル公爵家に遊びに行っても穏やかなところしか見たことはない。
「改めて、私の娘、ヴィヴィアンですわ」
「ランドロー公爵家の長女、ヴィヴィアン・ランドローと申します。どうぞヴィヴィアンとお呼びください。本日はお茶会へ参加させていただき、ありがとうございます」
「初めまして、ヴィヴィアン様。フラハティ侯爵家当主イーデンの妻、ナタリア・フラハティと申します。私のこともどうぞナタリアとお呼びください」
フラハティ侯爵夫人、改めナタリア様が微笑む。
それにガネル公爵夫人が「あら」と呟く。
「それなら私のこともジュリアナと呼んでほしいわ」
「そうね。ヴィヴィアン、せっかくですからそう呼ばせていただきましょう」
「はい、お母様。ジュリアナ様、ナタリア様、これからよろしくお願いいたします」
わたくしが緊張しなくて済むように、付き合いのあるジュリアナ様を同席にしてくれたナタリア様には感謝だ。
貴族の令嬢は十六歳で正式にデビュタントとなるが、女性同士だけのお茶会の席ならば公の場に慣れるために十五歳から出席することが許される。
ジュリアナ様が「ところで……」と視線をわたくしの後ろへ向けた。
「ずっと気になっていたのだけれど、どうして侍従を下げないのかしら?」
お茶会の場では使用人は少し離れた場所に待機させるものだが、リーヴァイはずっとわたくしの斜め後ろに控えている。
そう、女性の中にいる男性はとても目立つのだ。
しかもリーヴァイは見目が良いので余計に目立つ。
「わたくしの一番お気に入りですの。お茶会で見聞きしたことを口外するような子ではありませんので、ご心配なく」
わたくしが左手を上げれば、そこにリーヴァイが顔を寄せる。
よしよしと頭を撫でるとナタリア様が少し頬を赤くした。
恐らくリーヴァイの首から覗く奴隷用の首輪に気付き、奴隷を購入した目的を想像してしまったのだろう。
……まあ、誤解したままにさせておきましょう。
当のリーヴァイも頭を撫でられて嬉しそうだ。
記憶を取り戻しても、取り戻す前の記憶もきちんと残っているそうで、わたくしに撫でられるのが気に入ったらしい。
……魔王様の頭を撫でようなんて猛者、いないわ。
物珍しさもあるのだろうと好きにさせている。
「奴隷を連れ歩く夫人もいるけれど、初めてのお茶会から連れて来る人なんて今まで誰もいなかったわ」
「だって、好きなものは常にそばに置いておきたいではありませんか。数時間でも離れるのは寂しいですもの」
「イザベルも昔から独特な感性を持っているけれど、ヴィヴィアンもそのようね」
ジュリアナ様がおかしそうに笑った。
だが、馬鹿にしている感じはなく、予想外のことが面白くて仕方がないという様子だった。
リーヴァイが姿勢を戻し、わたくしも手を下ろす。
「でも、そんなところが不思議と魅力的なのよね」
羨ましいわ、と言うジュリアナ様にお母様もわたくしも、微笑むだけに留めておいた。
その後、少し会話を交わしてからナタリア様が立ち上がった。
「それでは他の皆様にも挨拶をしてまいります。イザベル様、ジュリアナ様、ヴィヴィアン様はごゆっくりお過ごしください」
ニコリと微笑み、ナタリア様は別のテーブルへと向かって行った。
「そういえば、アンジュから手紙を預かっているわ」
「まあ、ありがとうございます」
ジュリアナ様が手を振ると、彼女の侍女だろう使用人が手紙を持って近づいてきて、それをリーヴァイが受け取った。
リーヴァイが受け取り、封を切って、手紙が差し出される。
すぐに内容を読み、わたくしはつい笑みが漏れた。
そこにはジュリアナ様の娘であり、わたくしのお友達でもあるアンジュからの『今度遊びに来ませんか?』というお誘いが書かれていた。
アンジュは公爵令嬢にしては少々気が弱くて、でも、穏やかで優しい良い子である。
ただ、外見がジュリアナ様そっくりなので勘違いされることも多くて、彼女自身も母親のようにもっと自分の意見を言えるようになりたいと思っている。そんな子だ。
「今度ガネル公爵家に遊びに行かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ふふ、やっぱりお誘いの手紙だったのね。是非いらしてちょうだい。あの子も喜ぶわ」
ジュリアナ様は夫のガネル公爵のことも、一人娘のアンジュのことも、とても愛している愛情深い方だ。
だからこそ、記憶を思い出す前のわたくしはジュリアナ様もアンジュも好きだった。
……家族を大切に出来る人だからこそ信じられる。
「アンジュ様の乗馬の練習は進んでいますか?」
以前「何か真剣に取り組むものがほしい」と言ったアンジュに提案した乗馬は、わたくしも習っているもので、貴族令嬢にありがちな刺繍や詩作りよりずっと活動的である。
アンジュは引っ込み思案なところがあったので、自分に自信をつけるためにも普段はしないようなことに挑戦してみたらどうかと勧めたのだ。
その後、アンジュは本当に乗馬を始めた。
訊いても「まだ練習中だから……」と誤魔化されてしまっていたけれど、実は気になっていた。
ジュリアナ様が嬉しそうに微笑む。
「ええ、今は訓練場を一人で歩き回れるくらい上達したわ。ヴィヴィアン様と遠乗りに行きたくて頑張っているそうよ」
「そうですか。それは楽しみです」
これでもわたくしはそれなりに運動神経がいい。
乗馬も出来るし、体型維持のために剣も習っている。
……主人公と敵対する悪役なだけあって、原作でもきっとヴィヴィアンは優秀だったのね。
エドワードが自分よりも優秀だと劣等感を覚えるのも、分かる気がする。
「最初は乗馬なんて必要ないと思ったけれど、あの子には意外と合っていたのかもしれないわね」
「アンジュ様は心の優しい方ですから、馬ともすぐに仲良くなれたのでしょう。ああ見えて馬は繊細な生き物です。もしアンジュ様がずっと怯えていたり、粗雑に扱ったりしていたら、この短い期間でそれほど上手くはなれなかったかと」
「ええ、そうね、勧めてくれてありがとう。いつも俯きがちなあの子が、乗馬をしている時は真っ直ぐに顔を上げていて、そんな姿が見られて母親としてとても嬉しいわ」
……アンジュと遠乗りに行ける日はそう遠くないわね。
お友達と街や家でお茶をするのもいいけれど、馬に乗って、気が向くままに駆け回るのもきっと楽しいだろう。
それから、挨拶回りを終えたナタリア様が戻ってくる。
今回のお茶会はナタリア様が主催者なので、わたくし達が挨拶をする必要もないし、他の夫人や令嬢から話しかけられることもなく、初めてのお茶会は緊張もせずに過ぎていった。
お茶会を終え、馬車に揺られて帰る。
……帰ったらアンジュとナタリア様に手紙を書かないと。
アンジュとは早めに会いたいし、ナタリア様にはとても気遣ってもらったから改めてお礼を伝えたい。
「ヴィヴィアン、初めてのお茶会はどうだったかしら?」
お母様の問いにわたくしは微笑んだ。
「とても良い勉強になりましたわ」
お茶会では各家の人物同士の情報も必要になる。
不仲な者同士を相席にさせないよう気を配ったり、関わりのない家同士を近くに寄せないようにしたり、ナタリア様は色々と気を遣っただろう。
テーブルの配置は社交界の縮図である。
「これからはあなたもお茶会に招待されるようになるでしょう。そしてあなたが主催することもあるわ。ナタリア様は特に社交界の人間関係に聡い方だから、彼女を参考にするか、どうしても社交で悩む時は彼女に助言を求めるといいわ」
「お母様ではなく?」
「意外かもしれないけれど、私よりもナタリア様のほうが耳聡いのよ」
……それは本当に意外だわ。
馬車が公爵邸に到着し、夕食まで少し休憩を取ることにした。
リーヴァイを連れて部屋に戻り、外出用のドレスから普段着のドレスに着替えてホッと息を吐く。
ソファーに座るとリーヴァイが口を開いた。
「人間の女の茶会とは奇妙なものだな」
「そうかしら?」
「人気の店だの流行りのドレスだの、全く中身のないことばかり話していて何が楽しいのだ?」
「仕方ないわ。生まれた時からそういうものを好むように教育されて、女が政や商売の話をするのはあまり良く思われないのよ」
外交を担っている王妃ですら、表立って政に口出しはしない。
男性優位の貴族社会で、女性が政について論じたり家の方針に逆らったりするのは許されない。
貴族の令嬢は親の管理下にあり、結婚するまでは父親に所有権があり、結婚後は夫に所有権が移る。
男性社会で出しゃばる女は好かれないということだ。
「ふむ、貴族の令嬢というのも存外、不自由なのだな」
リーヴァイの言葉に苦笑する。
「わたくしは良いほうよ。基本的にお父様はわたくしの好きなように過ごさせてくれるし、欲しいものは与えてくれるし、結婚だってわたくしの気持ちを尊重してくれるもの」
「結婚したいのか?」
「さあ、どうかしら? 今は特に考えていないわね」
ランドロー公爵家と縁を繋ぎたい家は多いだろうが、わたくしが結婚したいと思える貴族の令息がいるかどうか。
そもそも、王家から王太子の婚約者候補として指名されてしまったら、他の貴族が婚約を申し込んでくることはないだろう。
……あら、それはそれで好都合ね?
あえて婚約者候補でいて、適当なところで候補から抜けて、年齢や家柄の合う相手がいないと言って結婚せずにいるのもいいかもしれない。
「何より、結婚したらあなたを連れて行けないじゃない」
男の奴隷を連れて嫁入りするのは相手に失礼だろう。
たとえわたくしがそういう目的ではないと言ったとしても、相手は『奴隷に夜の相手をさせるつもりだ』と感じるはずだ。
それで夫婦関係がギスギスするくらいなら、最初から結婚せずに独身貴族でいたほうが気楽である。
「そうか」
何故かリーヴァイが少し嬉しそうに目を細める。
手招きすれば、わたくしの足元に座り、わたくしの膝に寄りかかるように肘を置く。
そんなリーヴァイの頭を撫でる。
「一度手に入れたものを手放すなんてありえなくってよ」
しかも、それが推しなのだ。
これを手放すなんて勿体ないこと、出来るはずがない。
頭を撫でるわたくしの手を、満更でもなさそうな様子で受け入れるリーヴァイにキュンとする。
……ああ、やっぱりそばに置いて愛でられるのは幸せね。