婚約なんていたしませんわ。
魔王様が記憶を取り戻した。
けれども、わたくしの奴隷のままでいる気らしい。
わたくしの記憶を読み、しばらくはわたくしの好きにさせてくれるようだ。
お母様もお兄様からも反対はされなかった。
「ヴィヴィアンよ、我のことはリーヴァイと呼べ」
「……ディミアンではなく?」
「それは転生後の仮初めの名に過ぎん」
というわけで、魔王様はリーヴァイと呼ぶこととなった。
……原作ゲームでは『ディミアン』だったけれど。
もしかしたら人間相手に本当の名前を名乗る気がなかったのかもしれないが、魔王様の名前を教えてもらえたのは嬉しかった。
魔王様……リーヴァイはなんと言うべきか、ノリの良いところがあるらしい。
形だけわたくしの奴隷でいるのかと思いきや、彼はきちんと読み書きを習い、使用人から仕事を教わり、この二月の間にわたくしの侍従となった。
こちらの心配を他所に、侍従の仕事を楽しんでいる。
「使用人というのも、なかなかに愉快だ」
魔王が使用人と食事を共にしていると知ったら、きっと大半の人々は『嘘だ』と思うだろう。
使用人達には公爵家の遠縁の家の令息が働きに来た、ということで説明してあるそうで、意外にも使用人達とはそれなりに仲良くやれているみたいだ。
お父様はお母様が魔族であることを知っていて、リーヴァイが魔王であることも知ったが、黙ってくれている。
そして、わたくしとお兄様は微妙な距離感のままだ。
お兄様は魔王であるリーヴァイが見つかったことで忙しいらしく、なかなか顔を合わせる機会もなかったし、会ったとしても食事の席くらいなのでじっくりと話すこともない。
ただ、お兄様からいつも視線を感じる。
しかし、そのまま何事もなく、わたくしは十五歳を迎えた。
「十五歳の誕生日、おめでとう」
「ヴィヴィアン、おめでとう」
「ありがとうございます、お父様、お母様」
お兄様はやはり忙しいようでいなかった。
それに少し寂しいと思いながらも、わたくしは努めて笑みを浮かべ、いつもより豪華な夕食とケーキを堪能した。
十五歳の誕生日の贈り物は要らないと言ったけれど、お父様もお母様も、結局贈り物をくれた。
お父様からはわたくし専用の馬車を。
お母様からはお小遣いと称して、リーヴァイ購入にかかったお金より多くの金貨をもらった。
お兄様はその場にいなかったけれど、綺麗な赤いドレス。
……わたくしが赤色が好きだと知っていたのね。
だが、食後にお父様に声をかけられた。
「まだ話がある。大事な話だから、私の書斎に行こう」
何故かお母様の表情もあまり思わしくない。
その後、お父様の書斎へ移動する。
普段は仕事の邪魔をしてはいけないと思い、あまり訪れないようにしていたので、お父様の書斎に入るのは久しぶりだった。
本やインク、お父様がよく吸うパイプの匂いがした。
お父様とお母様がソファーに並んで座り、わたくしも、二人の向かい側にあるソファーへ腰掛けた。
誕生日のお祝いをしてくれた時はとても優しかったお父様の表情が、今はとても険しいものになっている。
「それで、大事なお話とはなんでしょうか?」
なかなか話し出せない様子のお父様へ声をかければ、お父様が小さく溜め息を吐いた。
「……実は、陛下から婚約の打診……の前段階のような話が来た。打診ではないが、王太子の婚約者としてどうか、と」
「お断りいたしますわ」
つい、お父様の言葉を遮るように返してしまう。
しかし、これだけはハッキリさせておきたかった。
「わたくしは王太子妃も王妃の座も、興味ありませんの」
記憶を取り戻す前のわたくしであったなら、国で最も高貴な立場の女性というのは魅力的だったかもしれない。
特別な自分に相応しい地位と思っただろう。
……でも、王太子妃も王妃も大変じゃない。
常に誰かがそばにいて、王家の規則や礼儀作法を厳格に守らねばならないし、大勢の人々から見世物みたいに眺められるのも嫌だ。
「わたくしは自由に生きたいですわ。それに、大勢に傅かれるより、最も愛する方だけに傅かれるほうがずっと嬉しいですもの」
「もしかして、もうそのような相手がいるのか?」
「ええ、わたくし、リーヴァイを愛しておりますのよ」
わたくしの言葉にお父様とお母様が驚いている。
……まあ、お父様もお母様も気付いていなかったのね?
「それが叶わない願いでも、ヴィヴィアン、お前は彼を愛し続けるつもりか?」
お父様の問いにわたくしは笑った。
「あら、お父様、それは間違いですわ。わたくしの『愛』は彼を手に入れることではありません。リーヴァイが幸せになること。そう、推しの幸せこそがわたくしの願いですわ」
「おし? ……つまり、彼と結婚出来なくてもいいと?」
「そもそも魔王様が魔人のわたくしと結婚など、魔族の皆様が反対なさるでしょう。魔族も人間も互いを憎んでおりますから」
お父様は困惑し、お母様も困ったように微笑んでいる。
わたくしがリーヴァイと共にいるには『主人と奴隷』の関係しかない。
そのわがままでしか魔王のそばにいられないだろう。
……いつか魔族に殺されてしまうかもしれないわね。
「とにかく、わたくしは王太子殿下と婚約はしませんわ」
* * * * *
十五歳の誕生日から半月後。
王家から、お父様宛てに招待状が届いた。
お父様が断ったものの、王太子とわたくしの婚約をまだ諦めてはくれなかったようで、手紙はわたくしとも話をしたいという内容だった。
仕方なく、お父様と登城しようとしていたところにお兄様が帰って来て、話を聞くと難しい顔をした。
「父上、僕も同行しても良いでしょうか?」
「それは構わんが……」
お兄様がわたくしを見る。
「可愛い妹が嫌がることはさせたくありませんので」
そうして、三人で王城へと向かった。
王城に着くと、すぐに案内役の使用人に城の奥へと通された。
初めての王城だったが緊張はなく、むしろ、断ったのにしつこくされて少し嫌な気分だった。
応接室だろう部屋に通されると、そこには金髪の男性と銀髪の女性がいたものの、王太子らしき人物の姿はない。
そのことに内心でホッとした。
「ランドロー公爵、令息と令嬢も、よく来てくれた」
男性の言葉にお父様が礼を執る。
「我が国の太陽と月、両陛下にご挨拶申し上げます」
お父様に倣ってお兄様とわたくしも礼を執った。
国王は優しそうな方で、王妃は少し厳しそうな方という、正反対の印象を受けた。
促されてソファーに着席する。
一通りの挨拶を済ませると、本題を切り出された。
「手紙にも書いた通り、今日呼んだのは息子との婚約についてなのだが、ランドロー公爵令嬢とも話をしたくてな。公爵は『お断りします』の一点張りなのだ」
「年齢も爵位もつり合うあなたに是非、王太子の婚約者になってもらいたいの」
国王と王妃の笑顔にわたくしは察した。
……お父様が娘可愛さに手放したくないから、断っていると思っていらっしゃるようね。
確かにお父様はわたくしを愛してくれているし、甘やかされている自覚もあるし、結婚も「お前は政略結婚などする必要はない」と言われている。
ランドロー公爵家は王国でも一、二を争うほど家格が高いので、王家に嫁ぐには身分は十分だし、お母様は他国の貴族令嬢ということになっているから血筋も申し分ないと思われたのだろう。
事実、ゲーム内での説明ではヴィヴィアンは王太子の婚約者になっても周囲から反対されることはなかった。
王太子妃教育の結果も良かったはずである。
……だからこそ、エドワードは劣等感を覚えたのよね。
自分よりも後から教育を受け始めた婚約者が、自分よりも覚えが良く、両親から可愛がられていたら面白くはない。
「エドワードは王妃に似て容姿も美しいし、ランドロー公爵家の一人娘である令嬢の婚約者としても良いと思わないかね?」
エドワードの顔を一瞬思い出したものの、わたくしの推しである魔王様とは違う方向性の美形である。
エドワードが美青年だとしたら、リーヴァイは美丈夫であり、わたくしは断然後者のほうが好きだった。
「お申し出は大変光栄なのですが、辞退させていただきます」
「何故だ? 王太子妃、ひいては次代の王妃となれるのだぞ?」
国王の問いにわたくしは満面の笑みを浮かべた。
「既に心に決めた方がおりますので。それに、わたくしには王太子妃も王妃の地位も少し窮屈に感じてしまうのです」
王妃が不思議そうな顔でわたくしを見る。
なんとなく王妃の気持ちは分かった。
国で最も高貴な地位である王妃となれば、誰も表立ってその言動に対して反対する者はいないだろう。
……でも、それはわたくしの思う自由ではない。
「わたくしの思う自由さとは『愛する人を愛せる自由』『自分らしくいられる自由』『人の目を気にしない自由』なのです」
「それらが私にはないと?」
王妃が不快そうに目を眇める。
「少なくとも、わたくしからはそのように見受けられます。政略結婚も、王家の規則も、常に立ち居振る舞いを見られることも、わたくしは望みません」
「……はっきり言うのね……」
「両陛下の前で嘘は申し上げられません」
国王と王妃が黙った。
そこにお父様とお兄様が言葉を重ねる。
「私の一存ではなく、お断り申し上げたのは娘の意思でございます」
「家族が幸せになれないと分かっていて、婚約を結ぶことなど出来ません。次期公爵としても今回のお話は賛同しかねます」
「一人の父親として、私も娘には幸せになってもらいたいと願っております」
シンと静まり返る。沈黙が重い。
これは国王の意思に背くことになる。
「もし、両陛下の意思に背くわたくしが許されないというのであれば、ランドロー公爵家を出る覚悟も出来ています」
お父様とお兄様がわたくしの名前を呼ぶ。
……だって、愛する家族に迷惑はかけたくないわ。
もしわたくしのわがままのせいでランドロー公爵家が不利になるようなことがあるのなら、公爵家から籍を抜き、わたくしは平民になるしかない。
そうすれば、王命に背いた罰にもなるだろう。
「何故、そこまでしてまだ会ったことのない息子との婚約を厭うのだ?」
「心から愛する方と、まだ会ったことのない方、どちらを選ぶかという話でございます。愛のない人生を歩むくらいならば、たとえ想い人と添い遂げられなくても、愛を貫ける人生を選びますわ」
原作のヴィヴィアンはエドワードを愛した。
そこには容姿の良さだけでなく、王族との結婚、次代の王妃という魅力があったのかもしれない。
しかし、エドワードはわたくしを愛することはない。
「……そうか」
国王が難しい顔をする。
「だが、婚約者候補から外すことは出来ない」
「っ、陛下……!!」
お父様が鋭く、非難の声を上げる。
そのような声は初めて聞いた。
「しかし、婚約せよとも言えん」
「我が国の未来を思えば、ランドロー公爵家と縁を繋ぐのは重要ですもの。それには婚約し、繋がりを深くするのが最も効果的ですわ」
「その通りだ。しかし、他の候補の資質を見る時間も必要だ」
つまり、今すぐに婚約することにはならなさそうだ。
それでもエドワードとの婚約の可能性が消えたわけではなく、他の候補者達が王太子妃に相応しくないと判断されれば、結局、王命でわたくしは婚約者になるのだろう。
けれど、国王も王妃も険しい表情を崩すことはなかった。
「そなたらの意志は理解した。しばらく、期間を置こうではないか」
それでわたくしの気持ちが変われば、という話なのだろうが、残念ながらそれはありえない。
わたくしはもう唯一に出会ってしまったから。
しかし、そのことをここで言ったとしても国王の機嫌を損ねるだけである。
わたくし達は挨拶をして、礼を執り、下がった。
お父様もお兄様も表向きはいつも通りの表情だったけれど、空気がピリピリとしていて、今回の話に不満を感じていることが窺えた。
王城から馬車に乗り、公爵家へ戻る。
馬車の中で、お父様もお兄様も車窓を眺める。
……二人とも、わたくしのことを考えてくれていたんだ。
貴族の令嬢は基本的に政略結婚が当たり前だ。
だからお父様の「政略結婚などしなくていい」という言葉は、とても特別で、それだけ愛してくれているのだ。
お兄様も、国王と王妃に対してあんなにハッキリと反対してくれた。
「お父様、お兄様、怒ってくださり、ありがとうございます」
二人が同時にこちらを見る。
「父親として当然のことをしただけだ」
「僕もヴィヴィアンには笑顔でいてほしいからね」
二人が優しく微笑む。
……もしかしてお兄様のこと、勘違いしていたのかしら?
原作では妹ヴィヴィアンに対してルシアンは関心を持たなかったけれど、もしかしたら、違うのだろうか。
「……お兄様」
「本当にごめんね、ヴィヴィアン。少し前まで僕は君にあまり関心がなかった。認めよう。でも、今は兄として、妹の君に関心があるつもりだよ」
伸ばされたお兄様の手がわたくしの頭に触れる。
……お兄様の言葉を信じたい。
どういう理由があって関心が生まれたかは知らないが、少なくとも、今のお兄様はわたくしに関心があって、婚約の話にもわたくしのために反対してくれた。
申し訳なさそうな表情のお兄様を見る。
「……分かりました」
「これからは距離を置かないでもらえると嬉しいな」
「でも、わたくしの今の関心はリーヴァイに向いています」
「うん、そうだろうね」
お兄様が苦笑し、わたくしの頭から手が離れる。
「わたくし、お兄様のことも、もちろんお父様のことも大好きですわ。お母様も。だってわたくしの大切な家族ですもの」
お兄様を嫌いになるなんてきっと無理だ。
わたくしのたった一人のお兄様だから。