わたくしの選んだ道は間違いではなかった。
ついに結婚式の当日。
わたくしは教会に行き、控えの間で準備を整え、時間まで待っていた。
朝から入浴して、軽く身支度を整えたら教会へ移動し、婚礼衣装に着替えて髪型や化粧を施し、ベールをつけ、何とか予定時間の少し前に準備を終えた。
休憩していれば部屋の扉が叩かれる。
侍女が応対し、そして、リーヴァイが扉の向こうから現れた。
黒いシャツに白い上下の婚礼衣装。上着の襟には銀糸で繊細な刺繍が施されており、肩に羽織ったマントは内側にダークグレーの糸で同様に緻密な刺繍があり、ただ立っているだけでは黒く見えるが、光が当たると刺繍が光を反射して美しい模様が見えるようになっていた。
他にも刺繍が細かくされていて、全体的に華やかになっている。
束の間、あまりに格好良くて見入ってしまった。
リーヴァイも黙ってわたくしを見つめる。
「今更だけれど、本当にわたくしがあなたの妻でいいのかしら……」
こんなに格好良くて、優しくて、素敵な、魔王という立場の人にわたくしは釣り合うのだろうか。
俯きかけたわたくしの顎にリーヴァイの手が触れる。
そうして、顔を上げさせられた。
「我に釣り合うのはそなただけ──……」
言って、リーヴァイが一瞬黙った。
「……いや、違うな。我が妻にと望むのはヴィヴィアン・ランドローだけだ。そなたこそが我が妻となれる。そなた以外は望まない」
触れた手が優しくわたくしの頬を撫でる。
それに自分の手を重ね、頬擦りをした。
「ありがとう、リーヴァイ」
また部屋の扉が叩かれて、神官が入って来ると、リーヴァイに耳打ちした。
どうやらリーヴァイは一足先に祈りの間へ向かうようだ。
「また後でな」
「ええ、また後で」
リーヴァイが出て行くのと入れ替わりに、今度はお父様が部屋を訪れた。
婚礼衣装に身を包んだわたくしを見て、お父様がグッと唇を引き結んだのが分かった。
「お父様、どうでしょうか? 似合っておりますか?」
ドレスのスカートを少し広げて見せると、お父様が微笑んだ。
「ああ、とてもよく似合っている。イザベルとの結婚式を思い出した。彼女も言い表せないほど美しかったが、ヴィヴィアン、お前も本当に美しい。私達の自慢の娘だ」
泣きそうになるお父様に近づき、そっと手に触れる。
「お父様、わたくし達は今後も公爵邸で暮らすのですから、結婚式が今生の別れではございませんわ。この素晴らしい日は泣き顔ではなく、笑顔でいてくださると嬉しいです」
「……ああ、そうだな」
お父様が一度、目を瞑り、そして目を開けると微笑んだ。
優しくて、温かくて、慈しみに満ちた表情だった。
「お父様とバージンロードを歩けるなんて夢のようですわ」
差し出されたお父様の腕に、わたくしは手を添えた。
思えば、お父様は常にお母様の相手を務めていたので、こうしてエスコートをしてもらうのは初めてだ。
お母様は準備の最中はいたけれど、途中で招待客の対応をするために会場の祈りの間へ戻って行った。
少し緊張するけれど、嫌な気の張り方ではない。
侍女達が部屋の扉を開けてくれて、お父様にエスコートしてもらいながら祈りの間へ向かう。
……本当に、今日、わたくしは結婚するのね……。
これまでの出来事が頭の中を駆け巡っていく。
前世の記憶を取り戻し、リーヴァイを購入したこと。
クローデットと出会ったこと。
プリシラが実は同じ転生者だったこと。
王太子と結託して婚約し、予定通り婚約破棄されたこと。
リーヴァイと婚約したこと。
魔王城に行ったこと。
なんだか、全てがあっという間に過ぎていった。
……記憶を取り戻してから、四年しか経っていないのよね。
色々なことがあった四年間だった。
そして、きっとこれからも色々とあるだろう。
魔族と人間の交流の使者として動くことも多いはずだ。
でも、それが少し楽しみでもあった。
祈りの間の前に到着する。
「ヴィヴィアン、今、幸せか?」
お父様の問いにわたくしは頷いた。
「ええ、人生で最高の時間ですわ」
「そうか」
ふ、とお父様が微笑み、表情を引き締める。
扉のそばに控えていた神官達に頷けば、扉が開けられた。
真っ白な祈りの間に赤い絨毯が続いている。
その先にある祭壇にはリーヴァイがこちらを向いて立っていた。
ステンドグラスから差し込む光で祈りの間は厳かな雰囲気に包まれており、わたくし達の入場に場が静かになる。
お父様のエスコートでゆっくりと絨毯の上を進む。
招待客の中にはアンジュ達ガネル公爵家や王太子、クローデットやプリシラもいて、みんなが優しい表情を浮かべていた。
祭壇の前に着くとお父様が口を開く。
「どうか、娘をよろしく頼む」
それにリーヴァイが頷いた。
わたくしの手が、お父様からリーヴァイに渡される。
ステンドグラスに照らされたリーヴァイは美しかった。
静かにリーヴァイの横に立つ。
「皆様には、この良き日にお集まりいただき、ありがとうございます。新郎リーヴァイ・アシュレイと新婦ヴィヴィアン・ランドローの出会いは四年前、彼は彼女に助けられたことがきっかけで──……」
神官長だろう男性がわたくし達の馴れ初めを語る。
こっそり、リーヴァイへ問うた。
「アシュレイって?」
「公爵家の分家筋にある伯爵家だ。その次男として養子縁組した。そなたとの結婚もそうだが、王国の使者が平民では問題もあるだろう?」
「なるほど」
そうしている間に神官長様の話が終わった。
「それでは、これより新郎新婦による誓いの言葉を行います」
普通ならば神官長が誓いの言葉を告げ、誓うか問われるのだが、わたくし達は自分で誓うことにした。
……だってそのほうが面白いもの。
リーヴァイと共に招待客に振り返る。
「本日は参列いただき、ありがとうございます。ここで、皆様の前でお互いに結婚の誓いを立てたいと思います」
リーヴァイと声を合わせ皆にそう告げる。
まずはリーヴァイから誓いの言葉を言った。
「私は、ヴィヴィアンを生涯妻とし、喜びは共に分かち合い、悲しみは協力し合い、乗り越えていくことをここに誓う。たとえこの先、ヴィヴィアンがわがまま放題になったとしても、その美しい容姿を失ったとしても、毎日愛の言葉を捧げよう」
わたくしも誓いの言葉を告げる。
「わたくしはリーヴァイを生涯夫とし、喜びは共に分かち合い、悲しみは協力し合い、乗り越えていくことをここに誓います。この先、リーヴァイが悪逆非道になったとしても、わたくしは彼の手綱を上手く捌き、彼がこの素晴らしい容姿を失ったとしても、毎日愛し続けますわ」
わたくし達の独特な誓いの言葉に、最前列のお父様、お母様、お兄様が小さく笑った。
わたくし達のことを知っている王太子は仕方ないなというふうに苦笑していたが、アンジュとクローデットもおかしそうに小さく笑っている。
他の貴族達は不思議な誓いの言葉だと思っているだろう。
「思いやりの気持ちを忘れず、今日の誓いを胸に、長い人生を一緒に歩んでいくことをここに誓います」
二人で声を揃え、そして向き合う。
箱を持った神官が近づき、リーヴァイがそれに手を伸ばした。
箱には黒い指輪が二つ並んでいた。
左手を差し出せば、リーヴァイがわたくしの手を取り、薬指に黒い指輪が通される。指輪には赤い宝石が一つ、その左右には少し小さな琥珀の宝石が二つあった。よく見ると黒い指輪は真ん中に金色の線が入っている。
今度はわたくしが指輪を手に取り、リーヴァイの左手薬指に同じ意匠の指輪をはめた。
リーヴァイがわたくしの頬に触れたので顔を上げる。
目を閉じれば、唇に柔らかな感触があり、拍手に包まれる。
離れていく感触に目を開けると愛する人が微笑んでいた。
「愛しているわ、リーヴァイ」
もう、きっとバッドエンドは訪れない。
推しの死を回避するために魔王様本人を買ったけれど、それはわたくしの幸福に繋がった。
……人生って何が起こるか分からないものね。
こんな未来があったのだと、当時のわたくしに教えてあげたい気分だった。
わたくしの選んだ道は間違いではなかった、と。
「我もそなたを愛している」
* * * * *
結婚式の後、二人で馬車に乗って屋敷へ帰った。
しかし、それで終わりではない。
わたくしもリーヴァイも披露宴用の衣装に着替えて、先に戻って来て、招待客の対応をしてくれていたお母様達と合流した。
「お母様、お父様、お兄様、ありがとうございます」
声をかければ三人がすぐに振り向く。
「ヴィヴィアン、素敵なお式だったわ」
「誓いの言葉はなかなかに面白かったな」
「二人らしい、特別な式だったね」
三人がそれぞれ入れ替わりで抱き締めてくれる。
「ご招待した皆様は中庭の会場にお通ししたわ。私達と一緒に行きましょう」
「はい」
お母様はお父様に、わたくしはリーヴァイにエスコートをしてもらいながら会場へ行く。
お兄様が苦笑する。
「僕だけ一人は少し寂しいな」
「あら、それでしたらこうしましょう」
もう片手をお兄様の腕に絡ませ、わたくしは右手にリーヴァイ、左手にお兄様という豪華なエスコートとなった。
「いいのかい? 皆から、からかわれるかもしれないよ?」
「公爵令嬢相手にそんなことを出来る方なんておりませんわ。もしいたら、公爵邸から叩き出しますもの」
「はは、それもそうだね」
そうして、リーヴァイとお兄様と三人で会場へ入る。
視線が集まったけれど、あまり否定的なものではないような気がした。
……まあ、わたくしはいつも好き勝手にしているものね。
今更わたくしが多少おかしなことをしても、誰もそれに疑問は抱かないだろうし、気にも留めないだろう。
そのまま、家族のテーブルに行き、お母様とお父様、お兄様が席に着く。
「それでは、皆様にご挨拶をしてまいります」
リーヴァイと共に招待客のテーブルへ向かう。
まずは王太子とクローデット、そしてプリシラのいる席へ向かい、驚く。
そのテーブルには教会でお世話になったシェリル・アーバン神官がいた。
「殿下、クローデット様、プリシラ様、そしてシェリル様、本日は式と披露宴の両方にご出席していただき、ありがとうございます」
わたくしとリーヴァイとで礼を執る。
「いや、こちらこそ招待してくれて感謝する。結婚おめでとう」
「ヴィヴィアン様のお式に出席出来て、とても嬉しいです! お二方ともご結婚おめでとうございます。本当に素敵な新郎新婦でした!」
「お姉様のおっしゃるように、素晴らしい結婚式でした。分家筋の、まだ婚約者でしかない私まで呼んでくださり、ありがとうございます。改めまして、ご結婚おめでとうございます」
「ご結婚おめでとうございます」
プリシラとシェリル様は以前、色々とあったはずだが。
わたくしの視線に気付いたシェリル様が苦笑する。
「実は、また聖女様のお付きとして仕えさせていただくこととなりました」
「シェリルは素晴らしい神官なのに、私、前は酷いことを言ってしまって……。ですから、きちんと謝罪をして、もう一度お付きとして仕えてもらえないかお願いしたんです」
それで、シェリルはプリシラの謝罪を受け入れ、もう一度お付きの者として仕えることにしたのだろう。
お兄様の『魅了』によって性格が矯正されたプリシラは、今は聖女と言っても違和感はない立ち居振る舞いをするようになった。
だからこそシェリルも考え直したのかもしれない。
「良かったですね、プリシラ様、シェリル様。殿下とクローデット様も、皆様、ごゆっくりお寛ぎください。今日のお祝いのために準備も頑張りましたので」
「ああ、そうさせてもらおう」
四人に挨拶を済ませ、次のテーブルへ移動する。
今度の席はガネル公爵家、ジュリアナ様とガネル公爵、そしてアンジュの三人だ。
席に着くとすぐにアンジュが立ち上がった。
「ヴィヴィアン……!」
アンジュがわたくしの空いているほうの手を握った。
「結婚おめでとうっ、凄く素敵なお式だったよ……!」
感激のあまり涙目になっているアンジュにハンカチを渡すと、ジュリアナ様が「あらまあ」と小さく笑った。
「ごめんなさいね、この子はお式の最中からもう涙を堪えるのに必死で、大変だったのよ」
「だって、お母様、ヴィヴィアンの結婚だよっ? 感動しないはずがないよ……!」
何とかアンジュを席に着かせ、改めてご挨拶をする。
「本日はお式と披露宴に出席してくださり、ありがとうございます。ガネル公爵もご多忙な中、お越しいただけて嬉しいです」
「こちらこそ、いつも妻と娘が世話になっているね。娘と同じ言葉になってしまうが、本当に今日は良い式だったよ。結婚おめでとう」
「そうね、結婚おめでとう、ヴィヴィアン様」
公爵夫妻の言葉にわたくしは心からの笑顔を浮かべた。
「とても仲の良いご夫婦であるお二方に祝福していただけて、きっと、わたくし達もこれから仲の良い夫婦として過ごしていけると思います」
「祝福していただき、ありがとうございます」
珍しくリーヴァイが口を開いた。
公爵夫妻もアンジュも笑顔で頷いている。
三人に挨拶をして、その後は披露宴の時間いっぱいを使い、全てのテーブルの挨拶回りをすることとなった。
終わる頃には夕方で、わたくしもリーヴァイも疲れてくたくたで、招待客の最後の一人をお見送りしてから居間のソファーに二人で座り込んだ。
「疲れたわね……」
「さすがに、これは我も疲れたな……」
二人で顔を見合わせ、どちらからともなく笑ってしまう。
夫婦になるというのは予想以上に大変なものだった。
だが、疲労感と繋いだ手の温もりは心地好かった。




