正直に申し上げるなら、歓迎出来ませんわね。
プリシラが話したのは、驚くべきことだった。
彼女は別の世界で生きて、乙女ゲームを遊んでいた。
しかし、ある日、神様の手違いで死んでしまう。
神様が死なせてしまったお詫びに願いを叶えてくれるというので、遊んでいた乙女ゲームの世界に生まれ変わりたいと願ったそうだ。
だが、クローデットにはなれない。
魂には決まった肉体があり、クローデットの魂を肉体から追い出して彼女の魂が入ったとしても、長生きは出来ない。
彼女は彼女に合った肉体がなければいけない。
そこで、クローデットの妹に生まれることを願った。
クローデットと同じバスチエ伯爵家の令嬢となり、十六歳の誕生日に聖印を授け、自分をこの世界の主人公にしてほしい。
彼女の願いは叶えられ、この世界に生まれた。
「記憶を取り戻したのは十歳の時でした」
ゲームを遊んでいたから、お母様とお兄様が魔族であることも、わたくしが魔人であることも、リーヴァイが魔王であることも知っていた。
「一応、全ての攻略対象のルートは遊んでいました。でも、一番好きだったのがルシアン様でした。ルシアン様のルートは台詞を覚えるほどやり込みました」
お兄様に視線を向けられ、頷き返す。
「クローデットがお兄様を選ぶ選択では、お兄様とお母様が魔族であることも、わたくしが魔人であることも明かされています。そこではパターソン兄弟が人狼であることも、魔王についても、全てが明かされていたはずですわ」
「プリシラ・バスチエもヴィヴィアンと『同じ』ということだね?」
「はい、そうなると野放しにするのは危険かと」
プリシラの話を聞く度に頭を抱えたくなってしまう。
……いつ爆発するか分からない爆弾と同じですわ。
この令嬢が口が堅いとは思えない。
いつかどこかでお兄様達が魔族であることや、わたくしが魔人であることなどを誰かにうっかり話してしまうかもしれない。
「わたくし達のことを誰かに話したりはしていませんわよね?」
「はい、していません」
それにとりあえずはホッと胸を撫で下ろす。
「お兄様、彼女にいくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。……『ヴィヴィアンの質問に包み隠さず、全て答えろ』」
プリシラがこくりと頷いた。
「クローデットの代わりに主人公になったのに、どうして原作通りに動かなかったの? 本来は十六歳を迎えてから社交の場に出るはずだったでしょう?」
「ルシアン様に会いたくて、早めに始めればその分、会えるのも早くなると思いました」
……なるほどね。
「わたくしが原作と違う動きをしていたことに疑問は感じなかったのかしら? 本来、彼を連れているのはバーンズ伯爵夫人だったわよね?」
彼、とリーヴァイへ目を向ければプリシラが答える。
「クローデットの妹がいる時点でもう原作とは違うから。それにルートや選択肢は覚えていたけど、ディミアンを連れていたのがバーンズ伯爵夫人だってことまでは覚えていませんでした。だから、奴隷を連れ歩いている貴族の女性と聞いて、原作通りディミアンを解放させようとしました」
わたくしがランドロー公爵令嬢だと聞いても糾弾したのは、原作通りにしようと考えたかららしい。
「後になってルシアン様の妹の機嫌を損ねたのはまずいと思いました」
「でも、わたくしの悪評を広めていたわよね?」
「それは、ランドロー公爵令嬢の悪評を庇ってあげれば、公爵令嬢のほうから話しかけてもらえて、仲良くなって、ルシアン様を紹介してもらえるかもしれないと思ってやりました。お姉様にランドロー公爵令嬢に会わせてほしいとお願いしても聞いてもらえなかったので」
クローデットがわたくしへ顔繋ぎをしてくれなかったから、わざとわたくしの悪評を広めつつ、表向きはそれを庇う素振りをしてわたくしのほうから声をかけてもらう。
庇ったことでわたくしと仲良くなり、わたくしからお兄様を紹介してもらい、お兄様を攻略するつもりだったのだろう。
「どうして今回、公爵家に来たの?」
「ルシアン様に会いたかったからです」
「訊き方が悪かったようね。わたくし達が魔人や魔族であると知っていることを、どうしてわたくし達に明かしたの?」
プリシラが肩を落とす。
「お姉様が王太子と婚約して、もしかしたらルシアン様も他の人と婚約してしまうかもと思ったら原作を待っていられませんでした。それならいっそ、脅してルシアン様の婚約者になってしまえば他の人に取られないから……」
「わたくし達があなたに危害を加えるかもしれないとは思わなかったの?」
わたくしの問いにプリシラがキョトンとした顔をする。
「私はこの世界の主人公です。攻略対象が主人公を傷付けることはありません。だって、そんな話はゲームになかったので」
プリシラは自分がこの世界の主人公だと思っている。
だから主人公と恋愛をする攻略対象……お兄様は自分を傷付けない。
それを疑っていないようだ。
「確かにこの世界はあのゲームとよく似ているけれど、もう原作とは流れが違っているわ。クローデットは王太子の婚約者になっているし、アンジュ──……攻略対象のギルバートの婚約者は生きているし、魔王はわたくしが連れている」
「それが不思議でした。でも、公爵令嬢が私と同じ転生者なら、納得出来ます。……あなたが原作を変えたんですね」
最後は少し恨めしそうに言われて苦笑してしまった。
……そうね、わたくしもプリシラのことは言えないわ。
リーヴァイを購入し、お兄様との関係を変え、クローデットと対立せずに友人となったことで原作の流れはなくなってしまった。
プリシラがデビュタントを迎えても、攻略対象の王太子とギルバートには婚約者がいるし、わたくしとの問題があったので王太子からお兄様を紹介してもらえるとは限らないし、そもそもディミアンを解放することが出来なかったのでお兄様から興味を持たれることもない。
「これからどうするつもり? わたくし達を脅すことも失敗した以上、もうお兄様をどうこうすることは出来ないわ」
「ルシアン様達が魔族であることをバラすというのは本気ではありませんでした。……でも、失敗したのでもうどうしようもないです……」
はあ、とプリシラが溜め息を吐く。
どこか諦めたような様子で、自分がその場しのぎで適当なことばかりしてきたという自覚はあるらしい。
自暴自棄になっているとも言える。
「質問はもうありませんわ。ありがとうございます、お兄様」
「どういたしまして」
お兄様がわたくしの頭を撫でるのを、プリシラが羨ましそうに見てくる。
そうしているとリーヴァイが口を開いた。
「ルシアン、その聖女を婚約者にするのはどうだ?」
「え!?」と三人分の声が重なった。
お兄様とわたくしとプリシラの声だった。
「魔王様、それはどういう意味でしょうか?」
お兄様が困惑した様子でリーヴァイへ問いかけた。
「『魅了』がかかっている時点で、もうその聖女はルシアンの手中に落ちている。このまま解放しても不安要素が残るならば、いっそ婚約者に据えて管理すればいい」
「……なるほど……」
リーヴァイの提案にお兄様が嫌そうな顔をした。
恐らく、お兄様にとってはプリシラは結婚どころか普通に相手にする気すら起きないというところなのだろう。
プリシラが目を輝かせているが、お兄様は眉根を寄せている。
多少の欠点があっても、利点のほうが大きければそちらを優先するお兄様にしては珍しく躊躇っているので、よほどプリシラのことが気に入らないらしい。
……わたくしが同じ立場でも迷うわね。
そっとお兄様に耳打ちする。
「プリシラの性格が気に入らないのでしたら、お兄様が矯正させればよろしいのではございませんか? 彼女はお兄様の命令は絶対という状態ですもの」
「……面倒だな」
……お兄様、本音が漏れておりますわよ。
だが、自分で言っておきながら、わたくしもこれは面倒だろうという気持ちもある。
今から真面目に勉強させ、性格を矯正し、言動を変えさせるのはなかなか難しいものだ。
「ヴィヴィアンこそ、これが義妹になるんだよ?」
お兄様にそう返されてわたくしも言葉に詰まる。
王太子と正式に婚約する際にクローデットが公爵家の養子となり、わたくしの妹となるのは歓迎するが、プリシラが義妹になると思うと喜べない。
問題行動ばかりの人間と親族になって嬉しい者はいないだろう。
「正直に申し上げるなら、歓迎出来ませんわね」
「そうだろう? 僕の婚約者にするということは、一生、これと付き合っていくことになる」
「……」
「……」
お兄様と顔を見合わせ、同時に首を振った。
「ダメよ、彼女に付き合っている暇はないわ。お兄様の結婚相手はお兄様が決めるものよ」
プリシラが僅かに不満そうな様子を見せたものの、お兄様の『魅了』がかかっているからか、もう騒がしく言い返してくることはないらしい。
「魔王様、申し訳ありません……。魔王様のご命令には従うべきと理解しておりますが、聖女と、それもこんな問題しかない者と婚姻せよというのは、あまりにも……!」
さすがのお兄様も無理のようだ
リーヴァイがそれを聞いて愉快そうに笑った。
「あくまでこれは提案に過ぎない。ルシアンでなくとも、他の者に任せることも出来よう」
「公爵家の分家筋に何名か魔族を入れておりますので、そちらの者達と婚姻させるのはいかがでしょう? 僕の側近として取り立てると言えば受け入れる者もいるかと」
プリシラが悲しそうに目を伏せた。
主人公に取って代わろうというくらいなので、容姿だけならばクローデットに引けを取らないほどには整っている。
……だけど、性格が問題なのよね。
恐らくお兄様の『魅了』で強制的に言動を正すことになるだろう。
目の前で愛する人から『別の男と結婚させる』と言われるのはつらいだろうが、お兄様自身も拒否しているし、これ以上公爵家が力を持ちすぎるのも問題だった。
王太子妃の、やがては王妃の後見となる公爵家に聖女が嫁入りすれば、王家と教会という二大勢力を公爵家は取り込むこととなる。
あまり大きな権力を持ちすぎると悪目立ちしてしまうし、他の貴族達からも反感を買うだろう。
本家のお兄様と結婚するよりかは、分家のほうがいくらか風当たりも弱くなる。
……お兄様はよほどプリシラと結婚したくないのね。
気に入った者しか周りに置かないお兄様が、それを曲げてでも結婚したくないというのだから相当だ。
「ああ、それでも良いのではないか?」
「ではそのようにいたします」
お兄様がプリシラへ顔を向ける。
「『改めて、僕の配下から教会へ婚約の打診を行う。それまで聖女としての活動に励み、わがままを控えるように』」
「はい、分かりました」
しょんぼりと肩を落としたまま、プリシラが頷く。
お兄様がもう一度、しっかりと『魅了』をかける。
「彼女が教会に戻ったら『魅了』に気付かれてしまうということはありませんか?」
「それはないよ。『魅了』をかける時に魔力反応は出るが、かかっているだけならば反応はなく、気付かれることはまずない」
「精神干渉系の魔法を解除する魔道具などは……」
「そういったものは戦争時に着用することはあっても、普段は滅多に出されることはない。常日頃、身に着けるのは王族くらいのものだよ」
それならば『魅了』がかかったままプリシラを教会へ戻しても問題はないだろう。
その後、お兄様はいくつかプリシラに命令を下した。
ほとんどは問題行動を起こさせないためのものだった。
お兄様とプリシラの様子を眺めていると、リーヴァイが二人に近づく。
「聖女の記憶を確認しておこう」
「そうですね、そのほうがよろしいでしょう」
お兄様が動かないように命令し、リーヴァイがプリシラに手を翳した。
一瞬の後にプリシラがよろめくと、それをパターソン兄弟が受け止め、兄のフランシスがプリシラに治癒魔法をかける。
すぐに目を覚ましたプリシラが自力で立ち上がった。
リーヴァイが考えるように目を伏せた。
「聖女の言葉は嘘ではないようだ。ヴィヴィアンと同様にこの世界に関する記憶を有している」
「何か新しい情報を得ることは出来ましたか?」
お兄様の問いにリーヴァイが首を振る。
「いや、ヴィヴィアンのものより劣る。使い道はない」
それにお兄様が頷き、プリシラに声をかける。
「『前世の記憶とそれに関する知識の口外と利用を禁じる』」
プリシラが黙って頷く。
そうして、ふとお兄様が何かを思い出したふうに付け足した。
「『今後、僕のことはランドロー公爵令息と呼べ』」
「はい、かしこまりました」
強力な『魅了』のせいか、プリシラはもう悲しむ様子は見せなかった。
完全にお兄様の精神支配下にあるのだろう。
少し哀れな気はするけれど、同時に、安堵もした。
クローデットが主人公ではなかったことは驚きだが、その立場を奪ったプリシラもこうして魔族の手に落ちた。
この世界が原作の通りに進むことはないだろう。
いつか、どこかで、魔族と人間の戦争は起こるのかもしれない。そうだとしても今ではないのは確かだ。
原作では人間を救ったはずの魔族が公開処刑されたところを目撃したディミアンが怒り、人間への憎悪を再燃させたことが戦争のきっかけとなる。
……あら? でも、そうだとすると……。
わたくしの記憶を見た時点でリーヴァイは原作のその話を知っているということで、しかし、その未来を知ったリーヴァイは何故か怒っていなくて……?
パターソン兄弟に連れられてプリシラが応接室を出て行く。
見送りのためにわたくし達も部屋を出た。
「リーヴァイ、その──……」
スッとリーヴァイの指がわたくしの唇に触れた。
「何も心配することはない」
わたくしが問う前に、リーヴァイが言う。
まるでこちらの考えが読めているようだった。
微笑んだリーヴァイに背中を押され、足が進む。
……リーヴァイがそう言うのなら大丈夫ね。
そう思い直し、先を行くお兄様の後を追った。




