まあ、わたくし達を脅すつもり?
教会からお兄様へ手紙が届いてから二週間後。
今日、プリシラがランドロー公爵家を訪れる。
お母様とお父様は出迎えない予定だ。
プリシラが『謝りたい』と言っているのはわたくしだけだし、いくら聖女とは言え公爵家からしたら非常識な訪問なので、お父様もお母様も出迎えないことで『歓迎はしていない』という意思表示となる。
……でも、プリシラ嬢は気付くかしら?
礼儀作法もまともに出来ていないようだし、常識的な部分もあまり分かっていなさそうだから、気付かないかもしれない。
それでも護衛騎士達は理解するだろう。教会に報告が上がれば、二度とこのようなことはしないと思いたい。
プリシラの到着時間近くになり、出迎えのために玄関ホールで待っていると馬車が到着した。
お兄様と共にプリシラを出迎える。
……お兄様、笑みを浮かべているけど目が笑ってないわ。
だがそれも仕方がないことだろう。
公爵家を、自分達を軽んじられたのだから、怒らないはずもない。
護衛騎士の手を借りて、馬車からプリシラが降りて来る。
顔を上げ、わたくしよりもまず先にお兄様へと視線を向け、嬉しそうに微笑んだ。視線はずっとお兄様に向けられたままだ。
……クローデットが苦労するのも分かるわね。
わたくしに謝罪をしに来たという名目なのに、わたくしを無視するようにお兄様ばかり見ている。
それに、反省しているなら相応の態度を取るべきだ。
柔らかな茶髪に鮮やかな緑の瞳をした、可愛らしい顔立ちのプリシラは黙って微笑んでいれば人気があっただろう。
プリシラが礼を執る。
「初めまして、プリシラ・バスチエと申します! 本日はお招きいただき、ありがとうございます!」
普段からあまり練習していないのだろう。
礼もぎこちないし、声も大きすぎるし、家名からの正式な名乗りでもないし、その挨拶を向けているのはお兄様にだけのようだ。
お兄様は微笑んでいるけれども応えなかった。
それにプリシラが不思議そうな顔をした。
護衛騎士達の顔が僅かに強張り、銀髪の騎士が一人、そっとプリシラに近づいて耳打ちをする。
恐らくパターソン兄弟の兄だろう。
原作で見た、長い銀髪に灰色の瞳をした穏やかそうな青年で、中性的な顔立ちが美しい。その背後には同じく短い銀髪に灰色の瞳の少年が立っていた。あちらが弟か。
耳打ちをされたプリシラがようやくわたくしへ目を向けた。
「あ、プリシラ・バスチエです。以前は失礼なことをしてしまってごめんなさい。優しい公爵令嬢なら許してくれますよね?」
わたくしへの適当な挨拶と言葉遣いに場の空気が凍った。
お兄様は口元に笑みを浮かべたまま、目を眇める。
このままだと『魅了』どころか、お兄様に殺されてしまうのではとわたくしのほうが不安になってしまった。
「バスチエ伯爵令嬢、どうぞ中へ」
謝罪については触れず、わたくしはプリシラを中へ案内する。
お兄様が先を歩き、わたくし、プリシラ、護衛騎士達、そして一番後ろにリーヴァイがついて来る。
いくつかある応接室の中でも一番狭くて格式の低い部屋に案内したが、そのことすらプリシラは気付いていないようだった。
「わあ、素敵なお部屋! 教会の私の部屋もこれくらい華やかだったらいいのに」
それを全員が黙殺した。
ソファーを勧め、わたくしとお兄様とでプリシラが座った席の向かいに置かれたソファーへ腰掛ける。
……この子は礼儀作法もやっぱり出来ないのね……。
お客様とは言っても立場は公爵家のほうが上だ。
本来であれば、お兄様とわたくしがソファーに座ってからプリシラは席に着くべきなのだが、ソファーを示すといそいそとそこに座ったので、きっと今までもずっとこんな調子だったのだろう。
バスチエ伯爵夫妻が甘やかしたせいも大きいが、周囲が礼儀作法をきちんと守っているのを気にしていないところからして、プリシラという人間の性格が透けて見える。
「そうだ、みんなは廊下に出ていてくれる? 私達、大事な話をしたいから。あ、でもフランシスとアレンは残っていいよ」
まるでここの主人であるかのようにプリシラが護衛騎士達に言い、騎士達が困惑した様子で互いに顔を見合わせる。
パターソン兄弟が頷けば、どことなく呆れを滲ませた騎士達はわたくし達に一礼し、応接室から出て行く。
扉が閉まるとプリシラがニッコリと微笑んだ。
「すみません、教会の騎士達って少し口煩くて。話をするのにちょっと邪魔なので、出て行ってもらいました」
自分を守護する騎士達への態度ではないだろう。
守ってもらっている立場だと理解していないのか。
「公爵邸って凄いですね! どこを見ても綺麗で、華やかで、私は聖女なのに教会では好きなドレスも着させてもらえないし、食事も質素だし、聖女だからって慈善活動ばっかりだし」
こちらの返事を求めていないのか、プリシラは愚痴を続ける。
リーヴァイが使用人として紅茶を用意している。
お兄様が目の前に置かれたティーカップを取り、口をつけた。
「聖女にならなければ良かったかも〜って思いましたけど、こうしてルシアン様にお会い出来たから悪くはなかったですけど!」
ピキ、と隣から硬質なものが割れるような音がした。
お兄様がリーヴァイに振り返る。
「すまないが、ティーカップの取っ手が壊れかけていたようだ。新しいものと替えてもらえるかい?」
お兄様がテーブルにティーカップを置くと、取っ手が取れてしまっていた。
……今、絶対に力を入れすぎて割ったわよね?
プリシラに名前を呼ばれたのが相当不快だったようだ。
リーヴァイが無言で頷き、新しいティーカップで紅茶を用意した。
お兄様が「ありがとう」と声をかけてそれを受け取る。
「私、実はルシアン様とずっとお会いしたかったんです! みんなが素敵な方だって話していて、公爵令嬢と顔立ちが似ていると聞いていたので、きっと、とてもかっこいいんだろうなあって思っていました! でも想像以上にかっこよくてビックリしました!」
輝く緑の瞳がジッとお兄様に向けられる。
こもった熱い視線に、お兄様は素知らぬ顔で紅茶を飲む。
……お願いだからこの空気の悪さに気付いてちょうだい。
そう願ってもプリシラは全く気付かない。
わたくしの存在を無視し、好き勝手にお喋りを続けるほどお兄様の機嫌は悪化していき、室内の雰囲気も悪くなっていく。
これにわたくしのほうが耐え切れなかった。
「バスチエ伯爵令嬢、本日はわたくしへの謝罪のために訪問したい、という話を伺っていたのだけれど……」
「え? 謝罪ならしたじゃないですか」
あの、とりあえず謝っておきましたというのが謝罪なのか。
「……あれは謝罪とは言えませんわ」
わたくしの言葉にプリシラが眉根を寄せて立ち上がった。
「私は謝ったのに、無視したのはそっちじゃない! それなのにまた謝罪しろっていうの? 私は聖女なのよ!?」
「聖女だからこそ、皆の模範となるべく礼儀正しくあるべきでは? そもそも正式な挨拶もせず、許可を得ないまま勝手にお兄様の名前を呼んで、失礼だとは思いませんの?」
「公爵令嬢だって挨拶をしなかったわ!」
「正式な挨拶をされていないのに、どうして家格が上のわたくしのほうから正式な挨拶をしなければいけないのよ」
全く話が通じていない。
十六歳になるまで、一体家で何をして過ごしていたのか。
貴族の令嬢なら礼儀作法に社交界や貴族の常識、貴族に関する知識、ダンスなど学ぶべきことはあったはずだ。
これでは平民のほうがまだ礼儀正しい。
クローデットが溜め息を吐くのも分かる。
こんな者が妹だと恥ずかしいし、苦労するだろう。
「公爵令嬢こそ、聖女に対して無礼よ!」
ビシッと指差されて呆れてしまう。
「あなた、聞いていないの? 今回の訪問は『聖女として』ではなく『伯爵令嬢として』のものよ」
「え? でも、騎士達もいるし……」
「それは聖女の護衛としているけれど、聖女として公爵家に来る理由がないでしょう? わたくしに謝罪したいというあなた個人の理由で来ているのだから、立場は伯爵令嬢に過ぎないわ」
小さな子供に説明するように説明しつつ、疲れを感じた。
クローデットはこれに毎日つきまとわれて、耐えていたと思うと彼女の我慢強さは相当なものだ。
「もしかして、お兄様に会いたくてわがままを言ったのかしら?」
先ほどからずっとお兄様ばかり見ているし、お兄様にしか話しかけていないし、挨拶もお兄様にしかしなかった。
プリシラの肩がギクリと跳ねる。
それに今度こそ溜め息が漏れた。
「っ、何よ、特に力もない魔人のくせに!!」
プリシラの言葉にハッと顔を上げれば、何故か勝ち誇ったような表情で見下ろされる。
「私、知ってるのよ。公爵令嬢が魔人だってことも、公爵夫人とルシアン様が魔族なのも、そこの使用人が魔王だってことも! 聖女の私が言えば、みんな信じるわ!」
色々な意味で頭が痛くなる。
「まあ、わたくし達を脅すつもり?」
「脅しじゃなくて『お願い』よ! バラされたくなければ、私をルシアン様の婚約者にしなさい!」
また横からバキリと音がした。
……ティーカップが哀れね。
お兄様がそこでようやく、視線をプリシラへ向けた。
「『僕の目を見ろ』」
ギシ、とプリシラの体が硬直した。
それまでの強気な表情から一転、驚いた様子でプリシラがお兄様を見て、目を瞬かせる。
お兄様の紅い瞳が怪しく煌めく。
すると、プリシラの表情がぼんやりとしたものへ変わった。
「聖女とは思えないほど抵抗力がないな」
お兄様が呆れ気味に言う。
「『座れ』」
お兄様の命令にプリシラがソファーへすとんと座った。
その表情からしてかなり強めに『魅了』がかかっているようで、ぼんやりした表情が嬉しそうなものへと変化する。
意識がどうであれ、お兄様に命令されて喜んでいるようだ。
「この子は何がしたかったのかしら?」
わたくしが魔人であることも、お母様やお兄様が魔族であることも、リーヴァイが魔王であることも知っている。
それなのに公爵家に来た。
聖女と魔族は敵対関係にある。
こちらが人間に紛れているので危害を加えられないと思ったのだろうか。それにしてもあまりに無防備すぎる。
「聖女だから何もされないと思っていたんじゃないかな? だからこそ、護衛騎士達を外に出して──……」
「お兄様? どうかされましたか?」
途中で言葉を切ったお兄様が考える仕草をした。
「もしや、パターソン兄弟が魔族だと最初から気付いていた? だからこの二人だけは室内に残したのでは?」
「ですが、それこそ自分の身を危険に晒す行為ではありませんか? 魔族しかいない場所に一人でいるなんて、普通の人間ならばとてつもない恐怖を感じるのではないでしょうか」
思わず、お兄様と同時にプリシラを見てしまう。
プリシラは相変わらずどこかぼんやりと、けれども恍惚とした様子でお兄様だけを見つめている。
「プリシラ・バスチエ伯爵令嬢」
お兄様が声をかけると「はい」と返事をする。
強い『魅了』がかかっているからか、先ほどまでの騒がしさはなく、静かにお兄様の言葉を待っている。
……こうしていれば可愛らしい令嬢なのに。
「『プリシラ・バスチエについて話せ』」
お兄様の命令にやはり嬉しそうな顔をする。
「私はプリシラ・バスチエです。お父様のバスチエ伯爵と男爵令嬢で愛人だったお母様との間に生まれた子です。十三歳の時にお父様とお母様が再婚して伯爵令嬢になりました」
「『今日、公爵家に来たがった理由は何だ?』」
「ルシアン様に会いたくて」
やはりお兄様に会うのが目的だったようだ。
……まあ、分からなくもないわ。
妹の欲目かもしれないが、王太子と並んでも遜色ないほどの美形だし、ランドロー公爵家は貴族の中で最も立場が高い。
財力、権力、爵位、容姿、性格、全てにおいてお兄様は完璧だった。
恋愛に興味がなさそうなところも貴族令嬢達からすると、愛される特別な存在になれたら、と憧れる点であった。
「私はずっとルシアン様を愛していました」
プリシラの言葉にお兄様が眉根を寄せる。
「『余計な話は必要ない』」
「はい……」
お兄様が更に『魅了』をかけた。
だが、プリシラがお兄様を愛していることは嘘ではないのだろう。『魅了』をかけられている状態で、自ら発言するくらい、お兄様への気持ちは強いらしい。
それを向けられたお兄様は面倒そうな顔をしているが。
「『伯爵令嬢に過ぎないプリシラ・バスチエが、何故僕達が魔族であると知っている? その理由を全て話せ』」
お兄様の命令にプリシラの目が輝いた。
「はい、私は元々この世界の人間ではありません。別の世界で生きていて、死んで、この世界に生まれ変わりました」
それに、リーヴァイとお兄様がわたくしを見た。
わたくしもプリシラの言葉に驚いた。
「そんな……あなたも前世の記憶があるの?」
プリシラは反応しない。
「『ヴィヴィアンの問いに答えろ』」
「はい、私には前世の記憶があります。元の世界で遊んでいた乙女ゲームの世界に生まれ変わりたいと、神様にお願いして、ここにいます」
明日2/2より「悪役の王女に転生したけど、隠しキャラが隠れてない。」第三部(続々編)の更新を再開いたします!
また毎週金曜日に更新出来たらと考えております。
もしかするとストックが切れてお休みさせていただくこともあるかもしれませんが、頑張りますので、またルルリュシをよろしくお願いいたします(✳︎´∨︎`✳︎).°。
また「婚約破棄されたのでお掃除メイドになったら笑わない貴公子様に溺愛されました」漫画発売より一週間が経ちました!
こちらも是非ご覧ください(´∪︎`*)




