初等教育機関卒業 その3 初めての笑顔
レイレイは、突如目の前に現れたセルに驚くと、そのままその場に尻餅をついた。
そして、声にならない声で、
「あー、あー」
と言いながら、指を口に加えた。
「セル。大儀であった。もうよいぞ。レイレイに害意はないのだ。」
ルルテはセルに言葉をかけると、そのまま手に持っていた焼き菓子を口に運んだ。
そのとき、再びレイレイが、声をあげる。
「あー!」
何を言っているのかは、依然わからなかったが、間違い無く声をあげている。
ルルテは、その瞬間、あることに思い当たる。
「レイレイ、おぬし、これが食べたいのか?」
ルルテは、そういながら、机からもう1枚、焼き菓子をつまみあげ、そのまま腕を左右に大きく振った。
レイレイは、ルルテのその手の方向に反応して、体の向きをくるくると変える。
「ジレ。やはりレイレイは、これを食したいのだ。1枚やってみるがよいぞ。」
「しかし、姫様。護士殿からは指定されたもの以外は与えぬようにと言付かっておりますが・・・。」
セルが、腕を広げたまま顔だけをルルテの方に向けた。
「ガリンか。あやつのことは良い。我が許可する。あの頑固者には、我がじっくりと事情を話すゆえ、やってみるがよい。」
ルルテはそう言うと、机の焼き菓子を皿ごと手にとり、ジレの前に突き出した。
セルとジレが目を見合わせて、どうするか悩んでいるようだ。
セルは、いまだにルルテとレイレイの間に両手を広げてたっている。
ジレは、そんなセルが頷くのを見て、何度かルルテと皿の上のクッキーを交互にいったりきたりと視線を泳がしたが、最後には一歩前にでて、菓子を1枚手にとった。
ジレはごくりと唾を飲みこむと、そのまま身を低くしてしゃがんで、焼き菓子をレイレイの前に突き出したのだった。
端からみていると、野良猫に余り物の食べものをつまんであげているといった、滑稽な姿勢であった。
ただし、今、手の先にいたのは、人間で言えば7歳児程度の体をもっている竜娘ではあったのだが・・・。
レイレイは座り込んだまま、鼻を付きだして、焼き菓子の匂いをくんくんと嗅いだ。
そして、レイレイが焼き菓子に手を伸ばしかけたとたん、ジレが思い出したように、庭の隅にある水瓶に視線を向けた。
レイレイも、ジレの視線を追って、水瓶に顔を向ける。
レイレイは、立ちあがると、ちょこちょこ小またで水瓶に走り寄り、瓶の端にひっかけてあった、柄杓で瓶の水を汲むと、その水で片方の手ずつ洗った。
レイレイは、自分の手を覗き込んで、手が綺麗になったことを確認すると、柄杓を元の場所に戻し、セルの前に戻ってきた。先程と同じ姿勢で、綺麗になったことを自慢するがごとく、セルの前に手を付きだした。
ジレは一度焼き菓子を皿に戻すと、腰帯に掛けていた手ふきを使って、レイレイの手の水をふき取った。
その様子を見ていたルルテが、如何にも面白そうだという笑みを浮かべながら声を掛ける。
「ジレ。レイレイはずいぶんとそなたに懐いておるようだな。それに、教育も行き届いているようではないか。ガリンの話だと、ずいぶんと女官達は、レイレイを恐れているというように聞いておったのだがな。」
セルとジレの2人は、鋭い眼光で一瞬だけガリンを横目で睨んでから、すぐに何事もなかったような表情を浮かべてた。
「いえ。姫様。これは仕事でございます。それに、たとえレイレイが、異形の者であったとしても、教育は重要でございます。」
と、セルが答えながら、軽く頭を下げた。
ルルテは、意外そうな顔を隠さずに、
「それは、そうだが・・。言葉もしゃべらず、また言葉を理解しているかもわからぬのであろう?
それにしては、よくいうことを聞いているではないか。」
そう尋ねた。セルは、
「姫様にも、同じような年頃がおありだったのですよ。まだ言葉をしゃべれぬ頃の姫様は、もちろん身体そのものはレイレイよりずっと小さかったのですが、レイレイよりもずっと聞き分けが悪かったのですよ。」
思い出すように両目を瞑って、優しい表情を浮かべると、優しく微笑んだ。
ルルテは、思わぬセルの思い出話に、少しだけ頬を染めて、
「私のことはどうでもよいのだ。」
そう言って、口を尖らせた。
「あー。」
クッキーのお預けを喰らっている抗議か、レイレイが再び声をあげる。
「はいはい。あなたのことを忘れていましたね。手を洗うことをよく覚えていましたね。」
今度は、レイレイにも笑みを浮かべたまま、セル自身が教えた手洗いを褒める。そのままジレに視線で合図を送ると、ジレが再び皿から焼き菓子を取って、レイレイに手渡すのだった。
レイレイは、小さな手の中の焼き菓子を、何度も何度も、見つめたり、匂いを嗅いだりして、最後はジレを見つめた。
気持ちその瞳は、キラキラ輝いているようであった。
ジレが小さく肯くと、レイレイは、1枚そのまま口に含んだ。
そのまま、何度か反芻すると、ごくりと飲みこんだ。
そして、舌をだして口の周りをぺろりとなめると、ニィと犬歯を剥き出しにしてセルに向けて大きく微笑んだ。
ジレは、目をこすりながら、レイレイの顔を食い入るようにみつめた。
そのまま、慌てたように、もう1枚焼き菓子を手に取ると、再びレイレイに手渡した。
レイレイは、今度は躊躇せず、口に放りこんだ。
そして、今度は、
「あー。」
と、先程と比べると明らかに喜色を帯びた声をだしながら立ちあがり、タックルするような勢いでジレの足に抱きついて笑顔を向けた。
「まぁ!!!」
「あらあら」
ジレとセルも驚いて声をあげる。
その場にいたルルテも、目を丸くしてレイレイを凝視している。
「ジレ・・・。レイレイが初めて笑ったな。」
「ええ。笑いましたね。」
ジレの返答は早口だった。
「セル、そなたも見たな?」
「はい。姫様、わたしも、見ましたよ。」
セルも、少し興奮しているようである。
「ジレ、そのものが笑顔に限らず、感情を顔にこのように表すのは初めてではないのか?」
紅潮した顔で、ルルテが尋ねた。
タックルされた時に若干ふらついたものの、体勢を立て直したジレは、
「はい。初めてですね。この子、笑うとこんなに可愛いのですね。驚きました。」
「うむ。たしかにそこそこの器量良しだな。」
ルルテは、そう言うと、今度は自分で焼き菓子をつまんで、レイレイの前に差しだした。
レイレイは、幾分不思議そうな顔で焼き菓子を眺めると、今度もジレに顔を向けた。
ジレがレイレイに微笑みかけると、レイレイはルルテの手からむしり取るように菓子を取り、口に頬張ると、そのまま一口で飲みこんだ。
そして、再びジレに笑顔を向ける。
「む。このものは、ジレにだけしか笑顔を見せぬようだな。面白くないものだな。」
「姫様、私にもレイレイは、笑顔をみせてくれませんでしたよ・・・。」
セルが、ちょっとだけ寂しそうに、つぶやいた。
もしかしたら、怖くてレイレイの世話をジレに任せっきりになってしまっていたのに、少しだけ後悔をしているのかもしれなかった。
それでも、ルルテは不機嫌そうに頬を膨らませる。
喜んだり、興奮したり、気分を害したりと、忙しい限りであった。
「申し訳ございません。」
ジレは、主の顔をみて、さすがに苦笑い急いで頭をさげた。
「よい。ジレが謝ることではないぞ。むしろ、そなたのレイレイに対する献身的な働きがあってこその、結果なのだ。私は、多少面白くないと感じておるが、それは致し方が無いな。」
ある意味、ジレにとっては身も蓋もない言いようであり、言い訳する隙がなく返答に困るものであったが、それをルルテなりの気遣いと受け取ったジレは、困った顔が主から見えないように頭を下げ
「ありがとうございます。」
とだけ、恐縮の意味を込めて返事をした。
ありがとうございます。
レイレイの世話を、セルからジレを中心に変更しています。
これは、前の話のあとがきでも書きましたが、現在書いている話あたりで、どうしてもレイレイが懐いているのがジレである必要性がでたからです。2026.1.9




