新年 その9
ガリンが、扉を開けてルルテの部屋に入ると、部屋の南側テラスに面した大きな窓の前に小さな円卓と椅子が2脚おいてあった。
ルルテは、そのうちの1つに座って、ガリンが入るなり、
「遅い。お茶を入れるのに何を手間取っているのだ。」
そう言って悪態をついた。
ガリンは、眉をよせ、何も言わず、机の上に、カップを2つ並べる。
ルルテは、ソーサーを置かずに、いきなりカップを置いたことにもびっくりしたが、何より急須の口から激しく立ち上っている湯気に目を丸くした。
それでも、何も言わず、自分の前にカップを移動させた。
ガリンは、煮立ったと思われるお茶を、なみなみとカップに注ぐと、急須を机の上において、自分も椅子に付いた。
「よろしいですか?」
「・・・。」
ルルテは何も言わずに、真っ黒になったカップの中のお茶と思われるものを凝視していた。
ガリンは、何かおかしなことがあったかと、自分のカップを眺めたが、特に何も気づくところはなかった。
ルルテは、
「こほん。」
と咳払いをすると、カップを机の脇によけて、椅子をガリンに寄せた。
咳払いと同時に、部屋の天井照明が消える。
「どうして、照明を消すのですか?」
ガリンが尋ねた。
「そもそもこの部屋の照明は、入口の元力石か、となりの女官の部屋からしか制御できはい構造だったはずですが・・・。」
「意思で操作できるようにしたのだ。」
ルルテが短く返答をする。
「しかし、いつそんな改造を?」
ガリンは、そう言って立ちあがろうとする。
ルルテは、急いでガリンの手を取ると、
「いつでも良いであろう。そなたが屋敷をあけておる間に、おじいさまに頼んだのだ。」
そう、付け加えた。
ガリンは、『この計画は王ではなく、先生の企みだな。』そう確信した。
まあ、師が関わっているということは王も知っているのではあろうが・・・。
「そうですか。先生が・・・。しかし、私は何も・・・。」
「よいであろう。それは今この場で議論せねばならぬ問題なのか?」
「いいえ。後日でもかまいませんが。」
「そうであろう。」
ルルテの声に、いささか焦りの色が見え隠れしている。
「それより、ガリン。この屋敷の中には、今、我ら2人しかおらぬのだぞ。」
そう言って、更にガリンに椅子を寄せる。
「それは、ルルテが、女官たちに暇を与えてしまったからではないですか?」
「そんなことは聞いておらぬ。」
あからさまにルルテが不機嫌になる。
そして気を取り直したように、
「こほんっ」
と、ルルテは咳払いをすると、そのまま続けて、上目使いで、
「それより、今日の我を見てみて何か言うことは無いのか?」
と言い、自身の胸に手を当てた。
ガリンは、身を引いて、ルルテを見つめる。
ルルテは、いつもの部屋着ではなく、白い絹を幾重にも折り重ねて、ところどころに金の刺繍をともなった、ゆったりとしたローブを身に付けていた。
またよく見ると、寒くなってからはいつも上に束ねていた髪も、金の細工物で後ろ髪を束ねていた。
ローブの刺繍と、髪飾りが、月明かりに照らされて、それはとても神秘的で、そして美しかった。
ガリンは、息を飲んで、知らぬまにルルテを見つめていた。
その様子にルルテは、笑みを浮かべ、
「何か言うことは無いのか?」
そう、再び問い、ガリンの前に立つ。
「ええ。大変に・・おしゃれを・・していますね。」
ガリンは、若干ではあったが、言葉を詰まらせながらそうつぶやいた。
ルルテが、部屋の照明を落としてくれたことで、自分の顔が赤面しているのを知られなくてよかっと、ガリンは内心安堵のため息をついていた。
「それだけか?」
更にもう一歩ルルテはガリンに顔を近づけて、少女の甘い匂いを漂わせた。
ガリンは、一層落ち着きを失くし、
「そ、そうですね。えーと・・。あーっ。女官に暇をだしているのに、どうしてそのような着付けを自分でできたのですか?」
と、とりあえず思い付いた事を口にした。
「・・・。そんなことを聞いておるのではないわ。」
ルルテは、椅子に座り直すと、再びガリンの前に向き直る。
ルルテが離れたことにより、若干落ち着きを取り戻したガリンは、情けない笑みを浮かべて、椅子に座ったルルテに視線を合わせた。
ルルテは、軽く頷いて再び口を開く。
「今、この屋敷には、2人しかおらぬ。」
口調は子供にものを教える母親のようである。
「そうですね。」
ガリンは、事実であるので、ただ頷いた。
「2人して、夜明けを待つ。とても情操的であろう?」
ルルテが空に浮かぶ星に手を伸ばし、そのまま自分の唇を指でなぞりガリンを見つめた。
ガリンは、年に似合わないルルテの仕草を見て、逆に落ち着きをとりもどしつつあり、返答も落ち着いたものへと変わっていった。
「ええ。大変、お美しいと思います。お父様がご覧になったらさぞかし、お喜びになると思いますよ。しかし、ちょっと冷えてきていますので、何か上に召し物を着たほうがよろしいと思います。」
そう、いつもの口調で分析めいた事を告げると、再び席を立とうとして、納戸に視線を向けた。
ルルテは、急に立ちあがると、ガリンの顔を手ではさんで、自分の方に向ける。
「よい。寒くはないのだ。」
今度はルルテが焦ったように早口でそう言った。
「は、はい。」
ルルテが急にガリンの顔を両手で挟んだことと、ルルテの顔がすぐ目の前に迫った事で、ガリンも再び当惑をする。
「ガリン・・・。」
ルルテが瞳を閉じる。
そして口を尖らせる。
「ルルテ・・・。」
ガリンもルルテを見つめ、名前を呟く。
ルルテは期待しながら一時そのままでガリンを待つ。しかし、ガリンは何もしない。
そして、ガリンが再び、
「ルルテ・・・。」
と、声を掛けた。
今度はルルテは、
『一体何をしておるのだ?』
と、いう意を込めて、
「なんだ?」
と聞き返した。
ガリンから返って来た答えは、
「お茶が冷めますよ。」
であった。
その瞬間、納戸から、
ガタッ・・・
と、物音が聞こえる。
ルルテは素早く物置に目をやると、何事もなかったようにガリンの顔から手を離し、
「ガリン・・・。席に戻るがよいぞ。」
そう、急いで手を引こうとした。
しかし、ガリンは、
「いえ。確かに物音がいたしました。今日は私しかいないのです。確かめねばなりません。」
ガリンは、ルルテの手を丁寧に振り払うと、納戸に向かっていった。




