新年 その5
ガリンとレンは、レンの研究室のある本棟から離れ、学院のもっとも奥に別棟として建築されているエバの研究室へ向かっていた。
ほとんどの晶角士の研究室が本棟前にあるのに対し、このエバの研究室だけが外れにある別棟となっていた。これは、エバが研究している題材と大きく関係していた。
レンも、その道も大家と称していたように、エバは、魔法合成生物、いわゆるキメラの研究を行なっており、マレーン次元文明内では、もっともその分野に関しては長けている文様術士であるといえた。
そして、このキメラの研究は、生物の合成に必要な機材はもとより、そもそも生き物を扱う関係もあり、動物園のような広い空間と設備を必要としていたのだ。
本棟の後ろには、他の実験棟物などを飼うための牧草地と大きな池が用意されていたのだ。
エバだけが使っているわけではないが、エバ自身が使いやすいように、この場所に陣取っていたのだ。
広さ設備以外にも、エバの研究は多くの薬品も使う研究でもあるため、研究施設内には、いつも動物の糞尿の臭いと、様々な薬品の臭いが混じりあった、すさまじい異臭に包まれているのだ。
正直レンは、この匂いが苦手だった。
また、このエバは、晶角士という官職にも興味がなく、他の晶角士ともほとんど交流を持っていない。それに加えて、おおよそ人に嫌われるだろう要素をあまねく兼ね揃えた男であり、わざわざエバと交流を持とうという者は、レンを除けばぶっちゃけいないのも事実であった。
それでも、時々研究室を訪れてくるレンのことは気に入っているらしく、追い返されることはない。
レンと親しいガリン自身も、レンに連れられた学院内の会合などで何度か面識があったものの、研究室に同行したのは初めてだった。
建物は円形の塔で、外から見ると、3,4階の高さがあり、その塔が建っている敷地の広さは、それほどでもなく、細く長く上に伸びているという印象である。
レンは、学院内の中庭に向かって造られている扉の前に立つと、意伝石に指をやり、中にいるであろうエバに意思を送った。
しらばくすると、特になんの前触れもなく、扉はゆっくりと内側に開いた。レンがためらいもなく、足を進めたのでガリンもそれに従う。
一歩足を踏み入れると、扉はゆっくりと元通りに閉まっていった。
扉が開いていた間はそれほど気にならなかったが、扉が完全にしまってしまうと、かなり異様な臭いが立ちこめているのがガリンにもはっきりとわかる。
レンは、その臭いにため息をつきながらも、更に奥にどんどんと歩を進めていくのだった。
外から見たときには上に伸びていたと思われる塔には、壁沿いに研究書が並べられており、特に上に向かって部屋が造られているようには見えなかった。
入口から壁沿いに奥まで進むと、そこには地下に降りる、人がやっと1人通れる幅の階段が下に伸びていた。レンが、ゆっくりと階段を降り始めたので、更に強くなる臭いに顔をしかめながら、ガリンもそれに続いた。
何度か向きを変えながら、階段は下へ下へと伸びている。
「先生、どうしてこんなに地下深くに研究室を作る必要があるのですか?」
ガリンは、レンと自身の木霊する足音を切るようにレンに声をかけた。
その声が、周囲の壁に反響して大きく響いてしまったため、
「こら、びっくりさせるでない。」
とたしなめながら、レンが足を止め振り向いた。
「申し訳ありません。」
ガリンも響いた自分の声に驚いたぐらいなので、今回は素直に謝罪を口にした。
「うむ。エバが言うには、生物の魔法合成には、一定の温度、湿度、そして静けさが必要なんだということじゃ。」
「しかし、それは、空間造成をすればよいのではありませんか?」
確かに文様術は、次元接合門や亜空間に居住領域を造成できることからわかるように、空間造成系の技術は、かなり研究されているし、発展している。その常識から考えれば、物理的に地下に研究所を構える必要性はまったくなかった。
むしろ土木工事、建築という物理的な作業を考えれば、ある意味、時間と労力の無駄である。
そんなことから、レンのガリンへの返答も、
「そんなことわしが知るか。とにかく、やつはこの空間を、実験には最適と信じ込んでおるのじゃ。」
と、エバの個人的な嗜好など知らん・・・という類いの回答となる。
「そうですか・・・。しかし、この臭い・・・。」
ガリンも、『嗜好』といわれてしまうと、受け入れるしかない。それでも臭いは耐えがたいようではあったが・・・。思わず、遮臭の結界を発動したくなるほどである。しかし、これからのこの研究棟の主に会うのに、そんな失礼な結界を張って会うこともできない。我慢するしかないのだ。
「もう少しじゃ、黙って付いてくるんじゃ・・・。」
「はい。」
そう言ってレンが顔をあげると、ようやく階段が終わりを告げ、広い空間が目の前に広がっていた。
「暗いですね。ここはいったい?」
「目が慣れればわかるわい。」
ガリンが、目を凝らしていると、その空間には、見渡す限りの無数の培養槽が並んでいることがわかってきた。かなりの数である。
ガリンは、手前にあるいくつかを覗きこんでみたが、形を為しているものは少なく、何が培養されているかはわからないものがほとんどだった。
「おい、何をしてるんだ。用があるなら、とっととこっちにこい。」
唐突に培養槽が立ち並ぶ空間に、ひどいダミ声が木霊する。
レンは、ガリンに目で合図をすると、声の方に向かって、再び歩きす。
培養槽の部屋を抜けると、ようやくそこに、机や椅子がある、人が居住できる空間が用意されていた。
声の主は、部屋の中央に、大きな椅子を2つ並べ、その上に座っていた。
着ている服は、学院が支給している灰色のローブであるが、改めてみると、かなり大きい。
もちろんローブが大きいのだから、当人も大きい。
身長のほどは、レンとさほど変わり無かったが、その体格は、横に3倍ほど大きかった。
以前に見た時も、大きいとガリンは感じていたが、こうやって改めて本人を目の前にすると、かなり大きい。端的には、まあ太っていた。
しかも髭は、顔のまわりところせましと生え放題で、とても清潔とは言いがたい風体であったのだ。
そもそも生態調整を行なうことができるマレーン文化圏では、極度に太ったりすることはないはずである。
「先生、なぜエンバサーラ殿は、あれほどまでに太っているのです?」
ガリンは、挨拶をする前に、いきなりレンにそうやって声をかけた。
「ガリン・・・。」
レンは、再びため息をついた。
後半で作成した学院全体の俯瞰図に合わせて、エバの研究棟の位置と、その形容を修正。
その他誤字脱字。語尾の修正。2025.12.9




