旅のはじまり その9 ルルテの問い
ガリンがルルテの待つテントへ戻ると、薄暗い中でルルテが横になりながら目を開けていた。つい先ほどまで眠っていたのか、まぶたはまだ重そうだ。
ガリンが入口の布をめくって入ると、ルルテは寝転んだまま、妙に威厳を込めた声で言った。
「ガリン、大儀であったな。」
夜着のまま横になっているのに、声だけは王族そのものだ。
ガリンは苦笑しながら問い返す。
「ルルテ。ありがとうございます。何かありましたか?」
「特に何もないな。」
そっけない返事。しかし、どこか含みがある。
ガリンはその空気を察しつつ、やわらかく尋ねた。
「眠れないのですか?」
ルルテは、少しだけ視線をそらしながら言った。
「うむ。そなたと、あのサラという傭兵の声が聞こえてな。
なにやら・・・『美しい』などという、耳を疑うような言葉が聞こえた気がしたのだが。聞き間違いであったのなら良いのだがな。」
ガリンはぽかんとした顔をした。
『サラがラミア族であることは、まだルルテには話していない。今ここで“ラミアとしての美しさ”を語るのは適切ではないな。』
ほんの一瞬だけ考え、ガリンは素直に答えた。
「ええ、確かにサラの立ち振る舞いや、傭兵としての均整の取れた動きを褒めました。知識も豊富で、私たちは彼女に助けられてばかりですから。」
嘘は言っていない。ただ、ラミア族としての姿を省いただけだ。
ガリンにとって“美しい”は、外見よりも機能美や生き方に対する評価であり、そこに恋愛的な意味はない。
ルルテはガリンの嘘に敏感だが、ガリン自身が嘘だと思っていない以上、見抜けるはずもない。
それでも、じっと胡乱げな目でガリンを見つめる。
『ガリンが他人を“美しい”と手放しに褒めることなど、まずない・・・。』
長年の付き合いからくる直感なのだろう。
しばらく見つめた後、ルルテは小さく息を吐いた。
「・・・なるほどな。確かに、あの者は、美しいと形容するに値する傭兵ではあるようだ。」
諦めたような、納得したような声だった。
だが、そこで終わらない。
「ところでだな・・・。」
ルルテは咳払いをして、妙に慎重な声を出した。
「そなたは、あの傭兵のような容姿を・・・好ましいと思っているのか?」
「はっ?」
あまりに突然で、ガリンは素っ頓狂な声を上げた。
「いや、美しいのであろう?」
『追及はやめたのではなかったのか・・・。』
ガリンは苦笑しながら答えた。
「特に、好ましいという感情はありませんよ。」
「だが、美しいのであろう?」
ルルテは『美しい』に異様にこだわる。
「美しいは外見の評価であって、好ましいとは別です。」
「わからぬな。美しい女将であれば、好きになるのではないのか?」
ガリンは少し考え、逆に問い返した。
「ルルテは、見目麗しい男性が何人かいたとして、全員を好きになりますか?」
「ならぬな・・・。」
「私も同じです。」
「そ、そうか。それなら良いのだ。」
ルルテの顔にようやく笑みが戻り、ガリンは胸をなでおろした。
だが、次の言葉がさらに難題だった。
「では、そなたは・・・誰が好きなのだ?」
ガリンは固まった。
「師や仲間は好きですよ。」
「そういう意味ではない。れ、恋愛の対象としてだ・・・。」
やはり誤魔化せない。
ガリンはルルテと婚約している身だが、恋愛感情はまだ明確ではない。
それでも、ルルテは期待に満ちた目で見つめてくる。
ガリンは深く息を吸った。
「ルルテ・・・。気分を害されるかもしれませんが、よろしいですか?」
ルルテはびくりと震え、目を伏せた。
「よ、良いのだ。そなたの気持ちが知りたいのだ。」
「わかりました。将来、好きになるかもしれない女性なら、一人・・・います。
今は状況もあり、歳の差もあり、あくまで可能性の話ですが。」
ルルテは息をのむ。
「申してみよ・・・。」
「ルルテ。あなたですよ。他に可能性のある女性はいません。これでよろしいですか?」
ガリンは真剣に言った。
既に、ルルテの目には、うっすら涙が浮かんでいる。
ルルテは、呆けたように固まり、次の瞬間、とうとう涙をこぼしながら笑った。
「何を言っているの。あなたは・・・今、私以外の女性には興味がないと言ったのよね?」
「ある意味では、そうかもしれません。」
ルルテは、王族の口調を忘れ、完全に素の少女の顔になっていた。
「私はね、ガリン。これでも、あなたのことを誰よりも知っているつもりなのよ。」
「はい。」
「だから、今の答えが・・・あなたにとって最上の愛のささやきだってことも、ちゃんとわかってるの。」
「愛の・・・ささやき・・・?」
ガリンは絶句した。
嘘は言っていないが、そんなつもりはまったくなかった。
「違うのかしら?」
ルルテの声が、急に危険な色を帯びる。
「い、いえ・・・。」
「ならいいのよ。」
「はい・・・。」
「寝ましょう。」
ルルテは寝袋に潜り込み、顔を隠した。
ガリンもため息をつきながら横になる。
寝袋の中で、ルルテは顔を真っ赤にしながら、ひとり身悶えていた。




