旅のはじまり その7 見張り番の指導
歩きながら、サラは低い声で告げた。
「いいかいガリン。今から見せるのは『旅の挨拶』さね。
お前さんの立場も、商会の格も、自然に伝わるようにする。よく見ておくといい。」
ガリンは何を考えているかわからない、感情が抜け落ちたような表情で静かに頷いた。
やがて、焚き火のそばで荷を整えていた若い商人の前に立つ。白髪を染めず、地毛のままにしている男である。
マレーン文化圏では、基本的に地毛は白い。だからこそ、多くの人が髪を染めている。むしろガリンが地毛で黒いのは相当に珍しい。
その商人の素朴な外見は、少しだけ異質に映るのだった。
サラは柔らかな笑みを浮かべ、丁寧に声をかける。
「こんばんは。王都第2城郭市街の商会の者で、若旦那を連れて旅をしているさね。
こちらは、うちらが護衛してる若旦那さね。学院向けの商材を扱う商会で、少しばかり名の知れたところさね。」
ガリンは胸に手を当て、礼を取った。
「ガリンと申します。学院向けの教材や器具を扱う商会にて、若輩ながら務めております。どうぞよろしくお願いいたします。」
サラが教えた通りの仕草と、言葉だ。
学院向けの商材を扱う商会であれば、そこそこ礼儀も正しいだろうし、貴族との取引もあるはずだ。
基本、品の良い一行なのだ。無理に繕うよりも、そこそこの身分を外に出した方が怪しまれないというものだ。
商人は驚いたように目を瞬かせ、すぐに礼を返した。
「これは丁寧に。私はウクバルといいます。外郭市街の食料品商会の者でして。セルナから小麦製品を運んでいるところです。」
若い商人は、精一杯丁寧に話しているといったところだった。
サラは、あくまで自然に話を続ける。
「そうかい。うちは若旦那とその婚約者を護衛している『護国の騎士団』のサラさね。
まだ新しい傭兵団で、メンバーはあっちにいて防具を付けている奴らさ。
若旦那に装備を揃えてもらったさね。そこそこの腕もあるさね。覚えておいておくれよ。」
ウクバルと名乗った商人はガリンを一瞥し、その後、メンバーたちに視線を泳がせた。
少し驚いたように言った。
「若旦那とその婚約者・・・学院向けの商会ともなれば、大店ですね。防具まで一式とは・・・確かに腕は確かなのでしょうね。」
サラは軽く肩をすくめ、意味深に言葉を添える。
「南街道は油断ならないさね。昨夜も、1つ手前の野営地で少しばかり厄介なことがあったさね。」
ウクバルは自然と背筋を伸ばし、警戒の色を浮かべた。
「そうでしたか・・・気をつけねばなりませんね。」
「お互いさね。では、良い夜を。」
サラは軽く会釈し、ガリンを連れてその場を離れた。
歩きながら、サラは低い声で言う。
「今のが旅の挨拶さね。身分を示し、商会の格を伝え、印象を残し、傭兵団を売り込み、そして『こちらは危険に対処できる』と匂わせる。
覚えておくといいさね。」
ガリンは驚いたような表情で頷いた。
確かに、サラは優秀なのだ。ガリンは、改めてそのことを認識した。
「はい。とても勉強になりました。」
野営地へ戻ると、サラはジレへ声をかけた。
「ジレ、夕食を頼む。うちは周囲を見てくる。さっきの商人の護衛団の名を言わなかったのが気になるさね。」
傭兵団は名を売ってこそ価値がある。
普通は、単なる挨拶であっても必ず名を名乗らせる。名乗らないというのは、何かを隠している証左でもあった。
サラは焚き火の明かりから離れ、静かに周囲へ視線を巡らせた。
夜は、ゆるやかに深まっていった。
2日目の夜。
昨日サラが宣言した通り、ルルテとレイレイを除く4人、ガリン、ジレ、ストレバウス、そしてサラで夜の見張り番を担当することになった。
1日目は、夜番の準備はすべてサラが終えてしまっていた。
サラが他の商隊に挨拶へ行ったり、ガリンと結界の話をしている間だけジレが見張りをしていたが、その後は朝までサラが一人で夜の番を務めたのだ。
1日目は、まずは野営の雰囲気をしってもらうための1日としたのだ。
だからこそ、2日目の夜、サラは改めて3人を焚き火の前に集めて、腕を組んで言った。
「いいかい、あんたら。今日から本格的に『夜の見張りの番』を覚えてもらうさね。
旅は昼より夜の方が圧倒的に危険度が増すんだ。ここを疎かにすると、あっという間に命を落とすさね。」
3人は自然と背筋を伸ばした。
サラは、3人の顔を見渡して、指を一本立てる。
「1つ目さね。まず夜の番で大切なことは、1人あたりの持ち時間は2時間前後とすること。
人の注意力なんてのは1〜2時間が限界さね。
仲間に気を遣って交代しないなんてのは、仲間を殺す行為さね。
優しいようで優しくないのさ。」
3人が顔を見合わせるのを面白そうに確認して、サラは、2目の指を立てる。
「2つ目さね。火は基本、絶やさない。まあ、当たり前と言えば当り前さね。
自分では寒さを感じていなくても、この季節は火がないと身体が冷えて体力を奪われてしまうのさ。
だから、絶対に火は絶やさない。
うちらには、ガリンの遮温結界があるとはいえ、外から見れば不自然さね。
それに、火があるだけで周囲の見通しが良くなって、奇襲を受けにくい。
それに、ガリンの結界が使えない場合も考えておく必要があるからね。」
ストレバウスが小さく頷く。
「ただし・・・。」
サラは一呼吸置いて、話を続ける。
「例外もあるさね。森の中や、どうしても見つかりたくない時は火を炊かない。
状況判断が大事さね。火は便利だけど、同時に『灯り』でもある。特に夜は目立つんだ。
敵に場所を教えることにもなるさね。
動物は火には近づかないが、魔獣は火によってくる性質のものもいるさね。」
魔物の話になると、ガリンはほとんど知識を持っていない。かなり、真剣な表情で聞いている。
「3つ目。交代時間になっても起きてこない場合は、必ず起こす。
『寝かせてあげよう』なんて気遣いは不要さね。
旅では、優しさが命取りになることもある。」
サラは最後に、焚き火を指差した。
「そして4つ目。これが一番大切さね。夜の番は経験がものをいうんだ。
最初は怖いし、眠いし、退屈かもしれないね。ただ、慣れてくれば、夜に紛れた周囲の葉の擦れ合う音や、動物の声などで、危険が分かるようになるさね。
今日は、あんたらにその最初の一歩を踏んでもらうさね。」
確かに経験は大切である。これはある意味で真理である。
3人は真剣に頷くのだった。




