王女と護士 その2
それでも2人の居室は左翼においてはもっとも高い部分に位置しており、それは国賓を迎える場合の来賓室を改造して作られていた。
左翼の中でも一段上に、つまり左翼そのものの上に土を盛り、その上に部屋を造りつけているのである。
そしてその居室は、居間、2人のそれぞれの居室、厨房付の食堂、控えの間のついた会議室(現在は控えの間は倉庫に使用)、女官達の部屋、光浴設備、そして小さいながらも噴水のある庭がある。
光浴設備とは、生力石を通じて、生体調整をする、どの家庭にもある一般的な設備である。
ルルテが今まで生活をしていた右翼の王宮と比べると見劣りするかもしれないが、ある意味、もっと王国内で安全でそして快適な一戸建ての空間とも言えた。
ただ、例外なく高いところに位置する身分の高い者の住む居室には共通してる問題は、依然として残ってはいた。自室に戻るためには長い階段を昇らなくてはならず、いくら生力石の効果によってある程度の疲労を緩和させていたとしても、往来はやはり面倒であった。ある意味、もはや身分に付きまとう義務であったとも言えたが、誰もが喜ぶものではないことも確かだ。
ガリンは、最初にこの居室の話を聞いたときに、できるだけ低いところにと要求をしていたのだが、あまり受けいれられた様子はない。
2人は、左翼の門をくぐり、ルルテを先頭に、階段を徐々に昇っていった。
そして、ようやく居室の前に出た時には、二人とも風を心地よいと感じていた。
ルルテは振りかえると、
「ここが、我らが居室だ。」
と、やはり振りかえらずにガリンに声をかけ、さらに足早に歩を進めた。
2人は、最後の小さな石段をのぼり、居室の前まで来ると、既に2人の女官が膝をつき、到着を待っていた。
ルルテは手をあげて控えを解くと、馴染みの女官に会えた安堵感からか、ようやくガリンの方に向き直り、
「どうじゃ?小さいながらも美しい庭であろう?」
ようやく会話らしい問いかけをした。
しかしながら、ガリンの注意は、既に自分の居室に、どれだけ自分が師に念を押しておいた要求が反映されているかに注がれており、少女の問いかけには、
「そうですね・・・。」
という、生返事のみだった。
ルルテは、一瞬顔を曇らせたが、そのまま
「では中に入り、護士の部屋を案内するとしよう。ジレ、セル、茶を。」
というと、部屋の中に入っていった。
ガリンも自分の部屋を早く見たかったので、すぐさまこれに従った。
ガリンは、少女に連れられたまま、少女の居室の向かいにある部屋に入った。
少女は、ガリンの居室に向かう前に、まずその前面に位置する自らの居室も案内をしたが、ここでもガリンはほとんどうわの空といった風で豪華な調度品の説明に、ただ相槌をうっていた。
ガリンの居室は壁の色合いや、調度品など少女の居室に据えられていたそれと比べるとやや見劣りするものの、そこそこ豪華といえる造りになっていた。
ルルテは、
「うむ、思った以上に綺麗につくってあるのものだな。」
と、素直に感嘆の意を示した。
この新しい住まいには、今日初めて訪れたわけではなかったが、ルルテもようやく今日に合わせて、自分の荷物を移したばかりである。自分の部屋以外をじっくり見たのはこれが初めてだった。
しかし、ガリンは、既に少女のその言葉を聞いてはおらず、眉を一層しかめて、部屋から続く、研究室兼書庫に足を進めていた。
そして、明らかに失意の表情を浮かべると、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
師である宮廷晶角士が、ガリンのこの表情を見たら、おかしくて吹き出すに違いないと言っても過言ではにほどに狼狽をしていた。
「あれだけ先生にはお願いしておいたのに・・・。こんな意味のない豪華主義は必要ないと。私は出来るだけ広い研究の空間が欲しかったのだ。
しかも、ここには、炉もなければ、煙を通す坑もないでは無いか・・・。
こんなところに一日中いるなど、とても・・・。」
ガリンは、その後も部屋のあちこちを調べながら、いつ終わることの無い愚痴をこぼしていた。
ガリンが一通り部屋をみてまわり、どこをどう改造しなければならないか算段へとその思考が移りかけた時、横から予想していなかった声が割って入った。
「あなた!いったい何様のつもりなのっ!!!!」
それは怒りに顔を赤くした王国の王女、ルルテの怒声であった。
ガリンはその声にようやく我に返ると、いつものちょっと眉を寄せ加減の表情を浮かべ、ゆっくりとルルテを振りかえった。
「そう、その顔よ!いったい何なの?」
ルルテの声はいっそう大きくなる。
「あなたは、私の護士なのでしょう?一体何が不満なの?
私は現国王、ルラケスメータ・マレーンの娘であり、正統な王位継承権を持つルルシャメルテーゼ・マレーン・ソノゥなのよ。
一介の晶角士であるあなたに、見下されるつもりなければ、無視されるのも我慢できない。そんな無礼を許すつもりもないのっ!!!!」
ガリンは、心底びっくりした。
物心がついて以来、人に怒鳴られるなど経験した事がないのだ。
ルルテは止まらない。
「だいたい、何の権利があって、私の夢を奪うの?
こんな野暮ったい男が、わたしの王子様であるはずが無いわ。
護士をお父様が付けてくれると聞いたときから、強く精悍な生粋の軍角士の殿方か、聡明で華麗な女将を夢に描いていたのに・・・。
いざ、現れてみれば、ちっとも私を見てくれない。いいえ、それどころか、いてもいなくても同じように部屋に入るなり私このとはすっかりと忘れて、炉がどうのと・・・・・。我慢にも限度があるわ!」
少女は言葉を切り、大きく深呼吸をすると、
「だって、だって、私はどうすればいいのよ・・・。
みんな、みんな私を敬い、可愛がってくれるわ。
私は王女なのよ・・・。」
たたみ掛けるような口調は消えた変わりに、今度は言葉に鳴咽が混じる。
そして、みるみるそれは泣き声に変わり、
「ねぇ。聞いてるの・・・?
今度も無視してるのかしら?
知ってる?
お父様は、あなたを、将来私の大切な人になるかもしれないっていったのよ。
だから、私は晶角士でも、きっとすばらしい人に違いないって信じてたのに・・・。」
もう、少女の言葉はほとんど聞き取れない、消え入りそうな声であった。
ガリンは、あまりに唐突で、予想していなかった少女の行動に、顔からは余裕が消え、むしろガリンには珍しい恐怖にも近い表情が浮かんでいた。
それでもガリンは、自分の行動が、この少女をとてつもなく傷つけてしまったことが理解できないほど鈍くもなかった。
『とにかく、慰めなければならない・・・。』
その言葉を頭の中で繰り返していた。
ガリンの頭の中で、自分が悲しかった時や辛かった時、自分を養子として愛情を注いでくれた師でもある宮廷晶角士の顔を思いだしていた。
そして、師はいったいどうやって、私のような供をあやしたのだろうか?一生懸命に思いだそうとしていた。
ガリンは、今目の前にいる少女のように泣き叫んだ記憶こそないが、何かをせがんだ時に、きつい返答を返され泣いたことは何度もあった。
その時は、決まって師は、後になってとても優しい微笑みをくれたものだ。
ガリンはその師の顔を思いだし、そして、今目の前で泣いている少女に視線を移すと、そのまま少女の肩に手を掛け膝を折った。
そして、
「ルルテ殿、申し分けなかった。
私の至らぬ行動が、あなたを傷つけてしまった。
今後、私も気を付けるので、許してはくれまいか?」
と、少女の目を見据えながら、精一杯の微笑みを浮かべた。
今度は、少女が、そのガリンの予想していなかった行動に泣き声を止めた。
ガリンの声は、今日半日で聞いた、この無粋な護士の声の中ではもっと優しく聞こえた。そして、今日、いいや、昨日会った時も含めて初めてこの男の笑顔をみたのだ。
そして、見えれば見るほど護士の笑顔は奇妙だった。
眉はあいかわらず寄ったままなのに、なぜか顔の下半分が微笑んでいたのだ。
少女は、急に笑い出した。
ガリンはどうして王女が笑ったのかはわからなかったが、自分の行為が功をそうした事を師に感謝をした。
少女は、ひとしきり笑うと、
「あなた、笑えたのね。」
自らの笑い声を、その言葉で締めくくった。




