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㉗ 萩城(山口県萩市堀内1-1)2

㉗ 萩城(山口県萩市堀内1-1)2


■尾崎局、隆元の妻・毛利輝元の母

隆元は、京の香りが漂う山口で、多彩な人々と出会った。

その中で、ひときわ輝く出会いが尾崎局(おざきのつぼね)(1527年- 1572年)との出会いだ。

何度か顔を合わせ、少しづつ会話が弾むようになった頃、義隆が「(尾崎局との)結婚を考えよう」と言ったらしい。

吉田郡山城に戻った時、その様子を嬉しそうに妙玖に話す。


隆元と尾崎局(おざきのつぼね)は惹かれ合っていた。

「大人になったなあ」と隆元を見て微笑みながら、妙玖は、ホッとした思いと寂しさを感じる。

大内義隆は元就の勝利を喜び、この機会に尼子氏を殲滅すると有頂天だ。

そして、大内勢総力を上げて、尼子氏の本拠、月山富田城に攻め込む。

1542年、第一次月山富田城(島根県安来市広瀬町)の戦いが始まる。

元就・隆元も毛利勢総力を引き連れ従う。


だが、月山富田城は堅固な城で、なかなか落ちなかった。

長く対峙している最中、元就の説得に応じ大内方で戦っていた吉川興経勢が、突如、尼子方に裏切った。

本陣の中での裏切りに、大内勢・毛利勢は味方と敵の区別がつかず大混乱した。

本陣中で、右往左往の大激戦となり、大内勢は逃げ惑い、負けた。

勝利を確信していた大内義隆だったが、戦に負け、ひたすら逃げた。


元就・隆元も、富田城からの悲惨な撤退戦(七騎落ち)となった。

ここが討死の地と覚悟した。

僅かな兵に守られ危機が続くが、忠臣ばかり、逃避行の道先案内を死をかけて進み、逃げ戻ることが出来た。

生きながらえた元就は、負け戦の責任のすべてが吉川興(おき)(つね)の裏切りにあると激昂した。


妙玖(みょうきゅう)は、今まで、素直に元就に従わない吉川興経に何度も「時代が変わったのです。まだ若いのだから元就に従い経験を積み、大きな武将になるように」と説得し、了解させた。

そして大内勢の一翼を担い、吉川興(おき)(つね)は出陣した。

だが、裏切った。


「吉川家は高橋家と同じ運命になった」と覚悟を決めるしかなかった。

元就の執念深さ獲物は必ず捕まえる冷徹さ、味方をもだます巧妙な(はかりごと)を見続けていた。

吉川家は、元就の敵ではない。簡単に押しつぶすだろう。


また、水面下で隆元と尾崎局(おざきのつぼね)との結婚の話が進んでいる。

尾崎局(おざきのつぼね)は、大内義隆の養女となり嫁ぐことになる。

毛利家は、主君、大内家の婿となるのだ。

毛利家は大きくなったし、元就はそれにふさわしい武将だった。


妙玖(みょうきゅう)は役割が終わったと感じる。

1545年の秋、元就の偉大さと冷たさを冷静に見ながら、47歳で亡くなった。

「これが私の人生。受け入れるしかない」と静かに消えた。

1546年、元就は、妙玖(みょうきゅう)の死を悼み、妙玖(みょうきゅう)の遺志だと、義隆の養女、尾崎局(おざきのつぼね)と隆元の婚約を願い、了解された。

ここで正式に婚約が成立し、式に向けて話し合いが始まる。

元就は、大内義隆の意を重んじ、隆元に家督を譲り隠居を表明する。


尾崎局(おざきのつぼね)は長門守護代、内藤興盛の娘であり、大内義隆のいとこになる。

義隆の母と尾崎局(おざきのつぼね)の母が姉妹。

義隆が養女とした姫は、尾崎局(おざきのつぼね)しかいない。

それほど、可愛がっていた。

元就は主君の姫を迎える隆元こそ毛利家当主だと、高らかに表明した。


義隆や大内家重臣は元就の大内家への忠誠心の表れだと喜んだ。

ここから大内家重臣と元就の距離感がなくなり親近感を増す。

元就は隠居後も実権を掌握したままだ。


以後、元就の意を受けた者が頻繁に山口と安芸広島を行き来する。

目的は、大内家の姫、尾崎局(おざきのつぼね)との結婚のための取り次ぎだ。

そして、元就は、義隆の命令書をいくつも受け取る。

元就が尾崎局(おざきのつぼね)を通じて願い、義隆が中身を知らないまま了解しただけだが。


こうして、大内家の命令だと吉川家を乗っ取り、安芸を手中にした。

妙玖(みょうきゅう)の不安は的中した。

尾崎局(おざきのつぼね)を通じて得た義隆の命令を振りかざし、元就が安芸の国人衆に命令し、より強く配下にしていく。


同時に、元就は、きしみ始めている大内家の内情を見つめ続ける。

ここから、慎重に探りを入れ、重臣の分断化をもくろみ、諜報活動に主力を移す。

山口で得る情報は重要で、この状態が価値があり、理由をつけて結婚を延ばす。

主君の姫を迎えるための結婚準備に時間がかかると言い続け、煩雑に行き来し、大内氏重臣のそれぞれの思いを知り、友好関係を結んでいく。


尾崎局(おざきのつぼね)も元就の動きに何か考えがあるのだと感じる。

当初は、結婚を待ち焦がれながらも、準備に手間取っているのだろうと待った。

だが、元就の真の狙いが少しづつわかってくる。

結婚を急ぐ大内家中も、隆元も不満が募る。

特に、隆元は「出会って以来12年の歳月が経った。結婚を急いで欲しい」と元就に願う。

隆元は元就の慎重さが納得できない。


尼子攻めの敗戦以来、義隆は戦意を失ない、大内家は元就の軍事力・経済力に頼っていた。

そのため、元就の願いどうりに命令を出したのだ。

元就にとって、今の状態が好都合だった。

そして、大内家の内情をほぼつかんだ。


1549年、周囲に押され元就は結婚を認め、尾崎局(おざきのつぼね)を吉田郡山城に迎えた。

長く待たされた尾崎局(おざきのつぼね)22歳は隆元と結婚する。

結婚適齢期を過ぎて、事情があるのではと思われるほど、遅い結婚だった。

元就は吉田郡山城内に尾崎丸を築き尾崎局(おざきのつぼね)の為に新婚屋敷を建て歓迎した。

ここから尾崎局(おざきのつぼね)と呼ばれる。


翌1550年、元就は大内氏の命令だと重臣、井上元兼らの悪事を暴き殺した。

もちろん、尾崎局(おざきのつぼね)の名を使い義隆の命令を得たのだ。

井上一族は元就の家督引き継ぎを実現させた大恩ある同格の国人でもあった。

元就の後見人を気取り、配下とはならず、勝手気ままに領地を支配し、元就の支配地まで侵入していた。

一族皆殺しだと、元就が檄を飛ばすほどの深い怨念があった。


尾崎局(おざきのつぼね)が元就に与える主君、大内氏の命令という大義の価値は偉大だった。

ここで、毛利家は有力国人の集合体の長から、有力国人を家臣としていく体制を整える。

毛利家の絶対化を図り成功したのだ。

次の狙いは大内家に取って代わることだった。

尾崎局(おざきのつぼね)ももう気づいていた。


隆元は山口で大内家重臣の内藤(ないとう)(おき)(もり)江良房(えらふさ)(ひで)、人質仲間の天野(あまの)(たか)(つな)などと親交を結び、同年代の大内家重臣、(すえ)隆房(たかふさ)(陶晴賢)や弘中(ひろなか)(たか)(かね)らとも親しくした。

隆元帰国後は、元就自ら彼らと緊密に連絡を取り合う。

隆元は元就から無視されていると感じ、信頼されていないと疑いを持つほどだ。


隆元は、山口での人脈を大切にしており、大内家打倒を夢にも考えない。

そんな隆元の性格をよく知る元就は、思いを打ち明けず独自の判断で策を進めた。

隆元は「父上は、当主の私に対し、重要なことを言わない」とつらい日々となる。

ついには「(元就は)私には当主としての能力がないと、考えているのかもしれない」と苦しくなる。


1551年、元就がうまく扇動し、(すえ)隆房(たかふさ)(陶晴賢)が大内義隆を殺す。

尾崎局(おざきのつぼね)は元就の予想通りになったと直感する。

元就の長年の企ては、大内家の内紛による自滅をきっかけとし、大内家を滅亡させるためだったのだ。

それでも、このような展開になるとは読み切れず、恐ろしさに身が震える。


元就は常日頃「内藤家があるから大内氏との連絡を密にできる」と内藤家を持ち上げた。

尾崎局(おざきのつぼね)は、実家を褒め称えられ、悪い気はしなかった。

そんな元就だ、すぐには内藤家と敵対することはないだろうと思う。

それでも、内藤家・陶家の縁戚関係は長く続いており、入り組んでいる。

内藤家の将来も不安になる。


元就はすぐに、(すえ)隆房(たかふさ)(陶晴賢)支持の使いをだし、代わりに安芸の国をまとめる権限を与えてほしいと頼む。

傀儡の大内氏当主を擁し、山口の治安維持と新しい体制づくりに忙しい(すえ)隆房(たかふさ)(陶晴賢)。

このときは山口での政権を確実にするのが一番と、了解する。

以後元就は、大内氏の名を自由に使い、大内氏に臣従する国人を直接毛利家の配下としつつ、陶氏打倒の準備を進める。


尾崎局(おざきのつぼね)は1553年に輝元、続いて津和野局を生み隆元との夫婦仲はよかった。

それでも、大内氏が倒れ、実家、内藤家の影が薄くなっていく現実を見つめ、元就に対しての役目は終わったのかと、恐ろしい。

着々と準備を整えた元就は、1555年、陶氏勢に囲まれた吉見氏の救済する為だと、堂々と、(すえ)隆房(たかふさ)(陶晴賢)への叛旗ののろしを上げる。


吉見正頼(まさより)(1513-1588)は津和野(三本松)城を居城とする石見の有力国人。

吉見頼興(正頼の父)と大内義興(義隆の父)は京での足利将軍家の家督争いに参入し、共に戦って以来親しい関係が続く。

そして、正頼は大内義興の娘婿になる。


(すえ)隆房(たかふさ)の謀叛の時、義隆は姉婿、正頼を頼ろうとした。

それほど信頼していた。

だが、嵐で船が動かせなかった。

船を出すため、右往左往していた義隆は、逃げ道をなくし、殺されたのだ。


義隆の最も信頼する義兄弟だった。

正頼は義隆を助けられなかったことを恥じ、(すえ)隆房(たかふさ)に屈せず対決した。

そこで、元就と連絡を取り合って陶氏勢を引き付ける役目を担った。

元就は、安芸広島で陶勢追い出しの火蓋を切った。

(すえ)隆房(たかふさ)は、信頼して安芸の国を任せた元就の裏切りに怒りと憎しみが燃えたぎる。

必ず元就を倒すと軍勢をまとめる。


だが、吉見勢は戦いを仕掛けた。

やむなく、勢力を津和野に残したまま、元就を殲滅すると安芸広島に向かう。  

(すえ)隆房(たかふさ)は2正面作戦を取らざるを得ず、軍事力は半減され、元就の企ては大成功だった。


元就の(すえ)隆房(たかふさ)を厳島におびき出す作戦は見事成功し、(すえ)隆房(たかふさ)を討ち果たす。

以後、元就は大内氏本拠に向けて破竹の進撃を続け、1557年に大内氏を滅亡に追い込み、西国の雄になる。

尾崎局(おざきのつぼね)は自分の果たした役割の大きさと、元就の偉大さに言葉もない。

内藤家の行く末に不安が募るが実家を守るため、毛利家の奥の要として君臨するしかない。


隆元は、元就の狡猾さに自分の限界を感じる。

自分は後継者として不適格だと思い始めていた。

すると元就の思惑通り、1563年、隆元は亡くなる。


元就は張り切って輝元を薫陶し1571年亡くなる。

元就の死を見届け、輝元に当主としてのあるべき姿、元就や隆元の真実の姿を教え1572年、尾崎局(おざきのつぼね)も亡くなる。


輝元の時代となる。

輝元は元就の全国制覇の夢を果たしたいと、関ヶ原の戦いの西軍大将となった。

だが、完敗。

家康の巧妙な罠にはまったともいえる敗北だった。


輝元は、本拠、安芸広島を手放すが、長州は確保した。

尾崎局(おざきのつぼね)の故郷とも言える地だ。

輝元は、領地内、山口の地に城を築きたかったが、家康は大内氏の本拠であり、元就の再来になることを恐れ許さなかった。


そこで決めたのが、萩城の築城。

長州藩毛利家の居城が萩城となる。

輝元が、父母を思い、毛利家を思い、精魂込めて築く。

同時に、毛利家を落とし込めた家康・徳川家への怨念を込めた名城となる。

その思いを家中が共有し、幕末に花開く。


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