㉖ 広島城(広島市中区基町)2
㉖ 広島城(広島市中区基町)2
■振姫、家康の娘・浅野長晟の妻
長晟は兄、幸長に「妻を迎えたい」と願ったことも度々だった。
思慮深い幸長だ。
良い花嫁を探すが、家康養女と結婚した弟、長重と同等な相手は見つからない。
家康に「長晟の妻に家康様ゆかりの姫を迎えたい」と願ったが返事がない。長晟に答えられなかった。
長晟は、ねねの尽力でなれた足守藩主として中途半端ながらも受け入れ、浅野家一門として生きていくしかないと、あきらめに似た悲哀を感じていた。
そんな時、1613年、幸長が亡くなる。
長晟は兄の突然の死を疑いながらも淡々と受け止めた。
大坂の陣を前にして、次々豊臣恩顧の大大名が死んでいたからだ。
恐ろしい世の動きを感じるが、それが現実だった。
どうすることもできないと、弱気だった。
幸長に嫡男はなく、弟の次男、長晟か三男、長重のどちらかが家督継承者になるはずだ。
決めるのは家康だ。
長晟は秀吉に可愛がられた過去があり、長重は秀忠に気に入られていた。
長晟は長重が後を継ぐだろうと覚悟した。
豊前小倉藩主、細川家も秀忠に仕えた3男忠利が兄を差し置き後継になった。
そんな例はよくある。
家康が気に入るかどうかで幕府への忠誠心を量られるのだ。
豊臣家が存在する以上、家康近くで忠誠を尽くすのが大名家存続に一番重要だ。
また父、浅野長政が長重を一番可愛がったことを、譜代の臣はよく知っている。
浅野家中には、長政が推すだろう長重こそ後継ぎに相応しいという雰囲気がある。
長晟派対長重派との内紛が起こりかねない緊迫した状況になる。
内紛を望むのは幕府だ、それだけは避けたいと、長晟は静かに動かなかった。
家康は「すぐ下の弟が後継にふさわしい」と長晟を指名した。
豊臣家滅亡のシナリオが出来ており、豊臣家恩顧の諸大名を秀頼から引き離す為に当分、ねねを味方とする必要があった。
だが、相続の件以後は良好な関係ではなく、長晟をねねへの抑えと木下家復権の使者とすると決めた。
用心深い家康がねねとの関係を重視した結果だ。
長晟も家康の意図をよく理解した。
父・兄の死を教訓にし長重を牽制しつつ諍いを避け、細心の注意で家中を治める。
ねねとの関係はいつも良好だ。
家督引き継ぎの時、備中国足守藩を木下家に譲る幕府の内諾も得た。
豊臣家と徳川家は険悪な雰囲気になっていた。
秀頼は和歌山藩内に潜む浪人や、浅野家臣に、好条件での仕官の誘いを頻繁にしていた。
一獲千金を夢見て大坂城入りする武将が次々出てくる。
長晟は、豊臣家を重んじようとする家臣にどう対処すべきか悩む。
そして、浅野家を守るため、豊臣系の家臣を厳しく選抜し封じ込める策を執る。
明らかな豊臣支持派は処刑し、豊臣親派には高圧的に決断を迫り引き離しを図る。
藩内を幕府支持派で固めるのだ。
ねねのさびしそうな顔を思えばつらいが、やむをえない。
大坂の陣が始まった。
長晟は、精鋭部隊を引き連れ豊臣方に戦いを挑み、勇猛果敢に激しく戦い、家康への忠誠心を見せつける。
家康は長晟の藩主としての働きに満足し、戦功を高く評価した。
家康は豊臣家の存在を嫌うが、秀吉の天下が15年以上続き、皆が臣従したのは事実だ。
そのため、秀吉を拒否するのではなく、受け継ぐのが家康だと表明することで、内乱を最小限に収めて強固な江戸幕府を築こうとする。
そこで、豊臣家を引き継ぐ家系として浅野家を選んだ。
長晟が、家康の眼鏡に叶ったのだ。
家康は、長晟への恩賞に養女ではなく実の娘、三女、振姫との結婚を決めた。
浅野家中には家康養女と結婚した長重こそ後継者だとの根強い声がある。
その声を知る家康は、娘婿、長晟こそ浅野家嫡流であり和歌山藩主であると示したのだ。
長晟は家康の後ろ盾を得て、万全な藩主の地位を築くことになる。
ねねに感謝しても、しつくされないほどの恩を感じる。
長晟は夢の中にいるようだった。
1616年、振姫36歳と長晟30歳の結婚式が執り行われる。
年を重ねたが、長年夢見た最高の妻だ。
長晟は振姫を敬い惜しみない愛情を注ぐ。
振姫は多くの修羅場をくぐり抜けた涼しい目をしていた。
心の内を素直には表さない。
それでも、年下の長晟をじっと見て、表情をゆるめる。
振姫は今まで家康の娘として気負いすぎた生き方だったと、来し方を振り返る。
徳川家を守るため、家康の思いに沿うことが生きる使命だと考えていた。
家康の期待に沿う働きをし、課された使命を忠実に成し遂げた自負がある。
これからは、もっと楽に生き、人生を楽しみたいと決め結婚した。
子たちや縁者などなど、心配のタネは付きないが、十分、役目は果たした。
嫌なことは忘れ、人生を楽しもうと、紀州和歌山に来た。
長晟は、年下だが、振姫を見つめる目はしっかりしている。
武将としての自信に溢れ、主君の姫、振姫を仰ぎ見る様子は、頼もしい。
夫として申し分ないと思う。
とても、気に入った。
次第に、年齢、立場を忘れて、夫婦として素直に愛し合う。
長晟は逞しい身体だった。
振姫は、長く忘れていた男と女の愛に酔いしれた。
まもなく、長晟の母、ややが亡くなり、長晟が江戸に出向く。
その留守中、振姫は「とても寂しい。早く戻ってきて」と熱い思いを素直に語った文を出す。
長晟は、感激する。
和歌山城内の振姫の屋敷、玉御殿の建築がまだ続いており、あれやこれや指示し、気をまぎらわすが、長晟の戻ってくるのが待ち遠しい。
長晟も必死ですべき用を済ませ、飛んで戻ってくる。
その様子には、長晟の振姫への愛が溢れていた。
長晟が戻ると、毎日のように振姫を訪れる日々となる。
振姫は年を重ねたが、初めて心から気楽に愛せる人に巡り合ったと、はしゃぎ嬉しそうに長晟を迎える。
長晟は、振姫に仕える身だとの立場を忘れることなく、そっと優しく抱きしめ、すべての愛情を注いだ。
すると、振姫は妊娠した。
家中はお祭り騒ぎになる。
振姫は高齢出産となるため、藩政に関わることもなく、体調の維持に万全を期す。
和歌山の名所を巡り、松平氏出身の信誉上人が建立した浄土宗、光恩寺(和歌山市)に詣で安産を祈願し、心安らかに出産に備える。
1617年、家康の孫である嫡男、光晟が生まれる。
振姫は光晟に乗り移ったかのように、いたずらっぽい笑顔を残して亡くなる。
「とても慈しまれ、幸せな結婚生活でした。兄、秀忠にこのことよく伝えました」との遺言を残した。
長晟は悲痛にくれるが、すぐに光晟が後継だと高らかに宣言した。
すでに長男がいたが隠した。
将軍、秀忠は、振姫の思いを受けて、光晟を徳川一門とし、誕生の祝いと振姫への忠節を褒め、長晟に安芸広島藩42万石への国替えを命じる。
こうして、豊臣家を実質引き継ぐ浅野家は、西国の雄藩、安芸広島藩主として幕末まで続く。
長晟は広島城に入り若い頃の不遇の一時期を経て浅野家最高の時を築いたと、しみじみ幸せを味わう。
2年に満たない短い結婚生活だったが、幸運の女神、振姫に巡り合えたことを、一日たりとも忘れることはない。
浅野家を安芸広島藩主としたのは、家康の実の娘、振姫だと肝に銘じる。
振姫の夫、浅野長晟として、西国の雄、毛利家が丹精込めて築いた広島城を引き継ぐ。
豊臣家を引き継いだ外様藩ではあるが、徳川一門であることを、代々伝え、江戸幕府雄藩として変わることなく、広島城を守り、幕末まで続く。




