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㉕ 岡山城(岡山県岡山市北区丸の内)

㉕ 岡山城(岡山県岡山市北区丸の内)


標高十数メートルの小高い丘が連なる地に築城された優美な城。

旭川河口はいくつかに分岐し、その中に広大なデルタ地帯、大洲原があった。

中央が「岡山」西隣に「石山」北西には「天神山」と3つの丘が連なり、砦が築かれていた。


 1520年代、備前守護、松田氏に仕えたこの地の有力国人、金光備前が石山に守りの堅い館を築き、在城した。

この地こそ我が居城とするべきだと1570年、備前・美作・備中東部まで制圧した宇喜多直家が本拠と決めた。

石山を大幅拡大整備し、1573年入城した。

引き継いだ嫡男、宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で近世城郭を造った。


■お福、宇喜多直家の妻

お福は、直家の妻であり、秀家の母。

1549年、美作国勝山(岡山県勝山地方)の国人、三浦氏の一族に生まれる。

この地は出雲と京を結ぶ出雲街道の要所であり、旭川上流に位置し米や木炭・塩などを岡山に運ぶ水運の拠点でもある。


北岡山の政治経済の中心地として勝山(岡山県真庭市勝山)城を中心に城下町は賑わう。

反面、要衝の地、勝山を巡り熾烈な争奪戦が起き、戦いが絶えない地だった。

戦乱が続き平和に生きることの難しい地にお福は生まれた。


お福は戦いを間近に見ながら育つ。

巻き込まれないよう逃げ隠れることも度々だった。

その中でも、血なまぐさい戦いを全く感じさせない神々しい美しさに溢れていた。どのような状況に陥っても、華やかな優しい光に包まれ微笑むのがお福だ。

誰もがうっとりと仰ぎ見る。

勝山でお福の穢れのない美しさを知らない者はいないほど有名になっていく。


1561年、お福12歳で勝山城主、三浦貞勝 18歳と結婚する。

あまりに有名になり、三浦家当主の妻に推されたのだ。

そして、一族の熱い期待を受けて三浦貞勝の妻となった。

分家の姫には過ぎた晴れがましい結婚だ。 


玉の輿ではない過酷な現実があった。

三浦家は非常に不安定な立場に陥っていた。

結婚式の13年前の1548年、貞勝の父が亡くなった。

山陰の覇者、尼子晴久の再三の攻撃にも勝山城を守り抜いた勇猛な武将だったが、度重なる戦いで病に侵され若くして亡くなった。


幼い嫡男、貞広7歳と2男、貞勝5歳が残された。

尼子晴久が当主の死で士気の落ちた今こそ三浦氏を倒す時だと、急襲した。

長年、守りぬいた勝山城だったが、あっけなく奪われてしまう。


家督を継いだばかりの幼い城主、貞広は尼子氏人質として出雲に連れ去られた。

次男、貞勝は、家臣に守られ三浦家の主君、備前守護代、浦上氏の元に逃げた。

それから、勝山は尼子氏支配下に置かれ、貞広の後見と称して尼子氏家臣が城主になり勝山城を治める。

お福ら三浦一族も尼子氏に従う。


11年が過ぎ、貞広の帰りを待ちわび、独立を願う三浦一族に好機が訪れる。

毛利氏対尼子氏の本格的戦いが始まったのだ。

1559年、毛利勢との戦いに加勢するよう城内の尼子勢に出陣命令が来た。

尼子軍勢が大挙して出陣し、守りが手薄になった。

その時を待っていた貞勝ら三浦勢が浦上氏の援軍を得て勝山城を奪い返した。


その時、嫡男、貞広は人質として尼子氏居城、月山富田城に居り動けなかった。

そこで、次男だが、城を取り戻した貞勝が家中と浦上氏に擁されて城主となる。

城を奪い返し三浦勢は、士気が上がり、血気盛んだ。

まず新城主、貞勝の結婚相手を決めようということになる。

そんな時、一族の結束を強め強敵、尼子氏と戦うために、家中の人気の高いお福が、貞勝の妻に推された。


容姿・知性・性格どれをとっても、抜群のお福の相手は誰になるか、近隣で噂されていた。

城主、貞勝は、誰もが賛成するお福の最適の結婚相手だ。

戦いの続く、浦上氏も余裕がなく、お福との結婚を認め、結婚式となる。


だが、いかにお福が光り輝いても、大きく情勢が変わるわけではない。

結婚後も戦いが続く。

尼子氏は追い返したが、毛利氏に属する三村勢の勢力が増し、勝山城に侵攻してきたのだ。

三浦勢は防戦一方で勝てる見込みはない。

お福は貞勝と共に必死で城を守る。


むなしい戦いながらも共に戦い、緊迫した中で愛は深まり、嫡男、桃寿丸が生まれる。

敵、三村勢が一時、兵を引き城内に平穏が生まれる時がある。

そのつかの間の静けさの中で、二人の愛は燃え、嫡男の誕生となった。

貞勝は軍議と戦いを果てしなく続ける。

お福は傷病者の手当や食事の確保など、兵の士気を高めるために働きひたすら浦上氏の支援を待つ。


1565年1月、三浦勢は力尽き、三村家(みむらいえ)(ちか)に勝山城を乗っ取られる。

勝つ見込みのない戦いに嫌気をさした城内からの内通者によって開城されたのだ。

三村氏は、難なく城になだれ込み、奪った。


お福は居城での戦いであり、命尽きるまで、戦わなければならないと覚悟していた。

ところが、急に敵方がなだれ込んできた。

どうすることもできず、近習に促され着の身着のまま嫡男、桃寿丸や夫と共に城を脱出する。

貞勝は戦いの中で傷を負っていた。

逃亡中、戦傷が悪化し亡くなる。


お福との結婚生活は4年だった。

戦に明け暮れながらも、勝山城内で共に過ごした月日は充実した暮らしだった。

お福と貞勝、お互いをねぎらい、礼を言い合い、貞勝は亡くなる。

お福が看取ったがあっけない幕切れだ。

2人で頑張ってきたのは何のためだったのかと、情けなく悲しい。


義叔父(義父の弟)貞盛らは勝山城近くに潜伏し城奪取の機会を狙うと決めた。

お福は、嫡男、桃寿丸を守るため、貞盛に三浦勢を託して別れる。

お福と桃寿丸は牧藤左衛門・江川小四郎ら近習に守られ旭川を下り、縁戚の下土井村(岡山市)の土井氏を頼る。

土井氏の屋敷に落ち着くと、貞盛らと連絡を取りながら三浦家の再起を図る。


お福は、貞盛らに三浦家を任せるだけでなく、独自でのお家再興を考える。

耐えて待つ性格ではない。

夫から託された三浦家だ、早急に再興したい。

柔和な表情の中に闘志が燃えたぎっていた。


逃げた時、貞勝とお福が目指したのは東備前を制する浦上宗景の居城、天神山城だった。

浦上宗景の支援を受けて再起を図るつもりだった。

だが、貞勝が亡くなると、お福は浦上宗景を頼る気にはならない。

貞勝が頼みにした浦上氏だが、今までの援軍は期待とは程遠く、三浦家を守るために必死の支援をしてくれたとは思えない。

浦上宗景は三浦家を守る気もなく、夫は見殺しにされたと、お福は恨みに思う。


身を寄せた土井家当主、土井次郎右衛門は、再三、宇喜多直家の武勇を話す。

宇喜多直家は、浦上家第一の重臣で、主君を凌ぐ実力だと勇名が知れ渡っていた。

お福も名は知っていたが、詳しく知りたくなって、情報を集める。

三浦家再興のために、周囲の状況をもっと知り、策を考えたかった。

そして、結論を出す。

三浦家の再興は、宇喜多直家に託すべきだと。


丁度その時、1566年2月、宇喜多直家が三村家親を殺したとの報が入る。

飛びあがる嬉しさで、直家に会って、三浦家再興を直訴しようと決める。

三村家親は、夫の仇だ。

直家が身近に思え、感謝したい。


直家に会う為にお福は、土井氏の主君であり、直家の妹婿、伊賀久隆への対面を願う。

伊賀家次男が土井次郎右衛門で、その妻は貞勝の叔母だった。

縁戚網は、緻密にできている。


土井次郎右衛門は、喜んで主君、久隆にお福のことを話す。

伊賀久隆も近隣に知れ渡るお福の美しさに興味を持っており、すぐに面会が実現する。

久隆はお福を目の前にし、後光に包まれて浮き上がる美しさに感動した。

直家にお福を差し出そうと考える。


伊賀氏は津高郡(岡山市北区)虎倉城を居城とする西備前の有力国人で15万石と言われるほどの領地を支配した。

直家の一族になっていたが、主君は西備前を制する松田氏だ。

松田氏を倒し成り代わりたい野望を持っている。


そのために直家の協力が必要と、直家の妹を妻を迎え、一族となった

なお一層強い絆を結んで松田氏との決戦に備えたい。

お福は直家への最高の贈り物だ。


伊賀久隆は、直家に三浦家の惨状を話し、支援を求めるお福に会ってほしいと願う。

こうして城を追われて直家に救いを求める薄幸の人、お福を直家に引き合わした。

お福は怒る。

側室にしてはどうかとも受け取れる伊賀久隆からの直家への紹介だったからだ。


三浦家は美作地方を長く治めた勇者の家柄だ。

側室の一人にされては、三浦家再興は果たせない。

伊賀久隆を介しての対面だが無視し、お福らしく頭を下げ、挨拶をした。

そして、静かにゆったりと三浦家臣団の勇猛さを説き、きっと直家の役に立つと訴える。


じっとお福を見つめた直家は、大きく頷き、即座に結婚を申し出た。

直家はお福を一目見たときから釘付けになっていた。

何があっても離したくない衝動に突き動かされたのだ。

驚きつつもお福は、穏やかに受け入れる。


直家は世情の風聞とは裏腹に終始、誠実な態度だった。

直家は三村家親の暗殺には成功したが、弔い合戦を挑む三村勢の決死の反撃はすさまじく、油断できないと肝に銘じていた。

しかも、決戦は近い。

三浦勢が戦いの先頭に立てば、戦力も強まり士気が上がると期待した。


お福は、桃寿丸を三浦家当主に返り咲かせる、との約束を取り付け、1566年直家と結婚し正室となる。

そして1567年、明善寺の戦いが始まり、約2万の三村勢を相手に、わずか5千の宇喜多勢が勝利した。

三浦勢の活躍は大であり、お福は胸を張った。


正室の座を確実にしたお福と直家の仲は睦まじく1570年、容姫が生まれる。

直家は初めて子を持ったように大喜びした。

お福のために念願の大仕事の仕上げをすると得意げに話す。

お福もよく知っており、うれしそうに見つめる。


それは、以前から策を練り、謀を張り巡らしていた岡山城の奪取だ。

直家は、岡山城主、金光氏を配下とし、次いで追い出したかった。

ところが、強い勢力を保持したままで、簡単には思うようにならない。

そこで、策を用いた。

時間をかけて、毛利氏へ内通したとの完璧な証拠を用意したのだ。

準備を万全とし、金光氏に証拠を突きつけ当主、宗高を切腹に追い込む。

続いて、金光勢を岡山城から追い出した。


直家は岡山の地を備前・備中・美作を治める中心だと思い定めていた。

ようやく手に入れた岡山城、すぐに宇喜多家の居城にすると宣言し、拡張整備にかかる。

風光明媚な堅城だが防御機能を備えた居館でしかなく、城郭には程遠かった。

お福に相応しい華やかな大城郭とし城下町を作り、洗練された大都市にするのだ。


1572年、お福は再び身籠もり家中の誰もが待ちかねた嫡男、秀家が誕生する。

翌年、直家はお福・容姫・秀家を岡山城に迎え余裕の表情でさりげなく案内する。

心の中ではこの日を指折り数え、ついに来たと興奮していた。

お福が目を輝かせ直家を頼もしそう見る姿は、すべての苦労を忘れさせてくれる。

お福も三浦勢を率い堂々と入城し、岡山城の華麗な華となる。


次に、直家は、宿願、祖父・父の敵、浦上氏と戦い勝利することに集中する。

お福も、浦上氏への復讐心は強い。

直家から宇喜多家と浦上家と長い確執を聞き、直家の煮えくり返る思いを受け止め、勝利を心から願う。


直家は、実力では主君を上回り、いつでも倒せると考えていた。

ところが、浦上氏は信長に取り入り1573年、備前・播磨・美作3国の領地を安堵された。

それ以来、直家が切り取った領地なのに、わが領地だと高飛車に言い放つ。

信長をかさに着て大きな顔をする主君を許せず、運命の時が来たと決戦を決め奮い立った。


そこで、直家は長年の宿敵、毛利氏に和解を申し出る。

毛利輝元は信長から和議を迫られ考え中だった。

世の情勢を見て、信長との戦は避けるべきだと和議に傾いていた。

それでも西国の覇者、毛利家としては、信長へ屈服する和議に同意しがたい思いがあった。


毛利家当主、輝元は、直家を防波堤に信長と戦い、毛利家の実力を見せた上で信長との関係を決めるのが得策だと、信長の申し出を拒否し、直家と和議を結ぶ。

直家は、毛利家を味方とし、背後の守りが保障された。

浦上氏打倒計画は、思うままに進み1575年、毛利氏の軍事的支援を得て仇の浦上氏を倒す。


直家は名実ともに、備前・美作・備中56万石を領する大大名になり、お福に誇った。

だが、浦上氏を守ることには、関心がなかった信長だったが、毛利・宇喜多連合で信長と敵対したことを怒った。


毛利家も宇喜多家も信長の敵となってしまった。

毛利方の前線を守る直家は、秀吉の全面攻勢を受けることになる。

直家の死・秀家の引き継ぎと宇喜多家は変遷していく。

居城、岡山城の拡張は続き、領民が仰ぎ見る名城とした。

直家のお福を愛する想いがあふれている。


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