㉔ 米子城(鳥取県米子市久米町) 5
㉔ 米子城(鳥取県米子市久米町) 5
一忠と房姫の結婚生活
房姫も、家中の騒動を感じた。
驚いて、道家長右衛門、道家長兵衛に詳細を問いただす。
道家長右衛門、道家長兵衛は興奮していた。
まだ10歳の房姫だ。
理解できることには限界があったが、家中に大きな内紛が起きたと知る。
房姫は、徳川家と中村家をつなぐ役目を持って嫁いでおり、房姫の力で、中村家を盤石にするのだと夢を描いていたが、簡単なことではないと知る。
しばらく、一忠の訪れはなく、不安な日々を過ごす。
1週間ほど過ぎた時、笑顔の一忠が訪れた。
米子のいろいろを話し、藩主として胸を張った。
騒動の詳しいことを聞きたかったが、一忠は話さなかった。
それでも、藩主、一忠の思いを聞き、頼もしく思う。
一忠は、安井清一郎、天野宗杷を亡くしやるせない思いだったが、頭を切り替え、依藤半左衛門、河毛備後の二人を筆頭家老とし、一門筆頭家老に一栄を据え、共に藩政を執る。
だがすぐ、翌1604年の初め、頼りにした叔父、一栄が亡くなる。
一栄は、内膳の死から間もなく、中村家から取り除かれるように亡くなった。
内膳の排除を待ち望み、成功を喜び、元気になっていたのに、亡くなった。
一忠は、不吉な影を感じる。
嫡男、栄忠に家督を継がせる。
嫡男、河毛備後に家督を譲っていた河毛重次(浅井氏旧臣)も同じく亡くなる。
ここで、一忠は、依藤半左衛門と中村栄忠の領地を変える。
中村栄忠が打吹城(倉吉)に行き、依藤半左衛門が八橋城(鳥取県東伯郡琴浦町)に入る。
河毛備後が松崎城(東伯郡湯梨浜町松崎)におり筆頭家老2人を側近くに置くことにしたのだ。
一門筆頭家老、栄忠に米子藩の東の守りとなる最重要拠点、倉吉を任せた。
房姫は、道家長右衛門、道家長兵衛を亡くした事を知る。
信頼していた近習であり、信じられなかった。
これからの結婚生活に不安が渦巻き落ち着かなくなる。
その思いを素直に一忠に話す。
「殿(一忠)は結婚を願っていないのでは。私が待ち焦がれたことなど知らないのでは」と悲しく訴えた。
一忠は「徳川家を第一に、(房姫を)大切に思っている。安心するように」と慰めた。
一忠には初々しい可愛い花嫁、房姫であり、愛おしい存在だったのだ。
こうして夫婦の暮らしが始まる。
時間が過ぎ、房姫は大人の女になり、一忠は徳川家への参勤の為に江戸、次いで藩財政を潤す資金調達の為に大坂・京と忙しく飛び回る。
一忠が不在の時、房姫は、日々を米子藩を知る学びの時間とするしかない。
中村家の歴史を学び、一忠の人となりを自分の目で確かめるようになると、父母から聞かされた結婚によって果たさなければならない役目の重さ・重要性がわかってくる。
一忠は、外様大名であり家康を心から信奉している訳ではなく、幕府に干渉されない独立した藩政を執りたがっていると肌で感じていたからだ。
房姫は直接藩政に携わらず、その為、一忠の施策すべてを知ることはない。
それでも、家康の娘だが、藩主の妻として藩主、一忠の思いを実現させたいと思う心も芽生える。
こうして、房姫は家中の動きに敏感になり、米子藩政とはどのように行われているのか、一忠は何をしたいのか、関心を持って探っていく。
房姫が、一忠の思いに沿いたいと努力しても、家中は房姫を家康の回し者だと考えているという現実を痛いほど感じるばかりで、情けない。
中村栄忠・矢野正倫・矢野助之進・服部邦友・垂井延正・飯田正国などなどは房姫と一線を引こうとしていた。
米子城騒動の家康の一方的な裁定に不満を持っていたからだ。
一忠は房姫を愛おしみ、家康の婿として認められる力ある藩主になりたかった。
だが、横田騒動以来、幕府との関係はぎくしゃくしている。
幕府への忠誠心を見せる機会が与えられず、イライラしていく。
豊臣恩顧の外様大名ではない、幕府に忠実な米子藩主だと自認していた。
父に伴われ秀吉との対面は済ましていたが、まだ幼く、記憶もあいまいで、秀吉を主君と思う前に亡くなってしまい、主君だとの自覚はない。
「(一忠の)主君は家康様のみ、幕府に忠誠を誓っているのに誰も認めない」と腹立たしい。
内膳一派は、藩主、一忠の命令に従わなかった、その為に排除したのであり正当行為だとの確信は揺るがない。
房姫も一忠の満たされない思いが分かり、何か役立つことをしたいと思いをぶつけるが、一忠は笑うだけだ。
徳川の姫として幕府との取り次ぎを務めたく、夫、一忠と力を合わせて幕府と向き合おうとしても、叶うことはない。
房姫は、安芸広島藩42万石に福島正則の嫡男に嫁いだ姉、満天姫(1589-1638)に、思いを訴える。
だが、姉からは、もっと深刻な家中の内紛の種を知らされる。
姉の夫、福島正之(1585-1608)は、嫡男とされているが、養子だった。
結婚が決まった後、正則に実子が生まれ、正則や家中がその子を後継者にと思っているというのだ。
秀吉死後、家康からの「縁戚となり共に豊臣政権を担いたい」との言葉に乗せられ、福島正則は養子を嫡男とし、家康養女を嫡男の妻に迎えた。
だが、婚約後、男子が生まれ、家康の婿を後継とすべきだが、我が子に家督を継がせたい思いも出てきていた。
もうひとりの姉は、筑後柳河藩32万5千石藩主、田中吉政(1548-1609)の嫡男、忠政(1585-1620)に嫁いでいた。
その姉にも房姫のつらい思いを訴える。
だが、姉からは、もっと深刻な家中の内紛の種を知らされる。
嫡男となった忠政は、4男だった。
上に兄がいた。
その為、忠政の家督継承に家中に不満があり、内紛が起きそうな状況だという。
吉政は、嫡男の長男を廃嫡し、4男、忠政を家康の人質とし江戸に行かせた。
家康が気に入り家康の望みだと推しはかり、忠政を嫡男としたのだ。
それが、家康の婿となる前提条件だったからでもある。
そして、姉が輿入れする。
まだ家督継承できる2男・3男の兄がいたために、家康の推挙だけで忠政が家督を継ぐと決めたことに、多くの家臣が納得しなかった。
彼らは、今も、2男・3男を擁して後継にしたいと考えているというのだ。
内紛の種は、ますます大きくなっているというのだ。
二人の姉は、暗に、苛立ちもがく家中に同情しているようだった。
福島正則・田中吉政は、関ヶ原の戦いの恩賞として大藩を得た。
その藩を安泰とし続かせたいと願って後継を選択したが、内紛の種となった。
家康の巧妙な仕掛けに乗ってしまい、袋小路に入ってしまったのだ。
姉たちは、家中が一致して藩主と認める一忠が夫であることはとても素晴らしいことだと房姫に、羨ましそうに言い、それで満足しなさいと諭した。
房姫は、ため息をつく。
姉たちの夫婦仲が良いことを知っているからだ。
後継者としては不安定な夫だが、妻を慈しみ尊び、お家の安定に尽くしたい思いは強かった。
比べて、房姫の夫婦仲は良いとは言えない。
一忠は房姫の後ろに家康を見ていつも緊張している。
温かい心の通い合った夫婦とはなっていない。
「姉たちとは違う。わかってもらえない」とやるせない。




