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㉔ 米子城(鳥取県米子市久米町) 2

㉔ 米子城(鳥取県米子市久米町) 2


■ 悩める藩主、中村一忠。期待の花嫁、房姫。

幕府が幼君と見なした(ただ)(かず)は、家督を受け継いだ時10歳。

大大名となった池田輝政の姉、おせんの方を母とする生まれながらの中村家の御曹司だと自認しており、一人前だと思っていた。

しかも、父から付けられた近習に囲まれつつ、譜代の臣、河毛重次・飯田正国・松下吉綱・垂井昌次・矢野正倫(まさのり)らに厳しく鍛えられ、藩主としての器量を磨いていた。

納得できない幕府の沙汰だ。


優秀な近習に囲まれ育った(ただ)(かず)は、優秀だった。

それでも、母・父の急死は衝撃だった。

両親が相次いで、なぜ亡くなったのか、理解できなかった。

続く、関ヶ原の戦いの恩賞としての伯耆米子への国替え、横田内膳の筆頭家老任命、これも納得できなかった。

横田内膳が藩政を主導し、(ただ)(かず)の出番はない。

亡き父の遺志を裏切る家康の仕打ちだと憤り、横田内膳を好きにはなれなかった。


野一色助義亡き後は、一忠より1歳年上の嫡男、助重が、(ただ)(かず)の元に戻り筆頭家老となるはずだった。

後見は、(かず)(しげ)で十分で、助重が戻ってくるのを待っていた。

幼馴染であり、気の合う側近となるはずだった。

だが、助重は戻りたかったが、秀忠のそばを離れることはできなかった。


ことごとく父の遺命は覆された。

それでも、米子入りし、父を目指して懸命に伯耆米子藩について学び、名君となろうとした。

不可思議な謎が深まり、暗闇でただもがいているような焦燥感ばかりとなる。


江戸城下に屋敷地を得て、米子藩中村屋敷を建てた。

そこには、沼間興清らの重臣が詰めており、徳川家との取次の役目をする。

家康の指示だ。

まだ、参勤交代の制度は定まっておらず、各藩は自主的に江戸詰めを行っていた。

江戸詰めの重臣は、中村家断絶後、旗本として残る者が多い。

この頃から家康が望む中村家の情報を知らせていたからだ。


(ただ)(かず)は、(かず)(しげ)を頼りにしつつ、譜代の臣(和泉岸和田城主となる前までの家臣)に守られながら帝王学を学ぶ中で、天野宗杷(むねつか)・安井清十郎・垂井延正・服部邦友ら側近衆を創っていく。

一方、中村家の中心勢力になることを目論む横田内膳は、筆頭家老として、徳川家の後ろ盾を頼りに自らの縁者を次々召し抱えていく。


内膳は家康の命令で中村家の筆頭家老となったと自負していた。

藩主であっても侵すことは出来ない権限を持っていると。

(ただ)(かず)が何を言おうが、耳を貸さず「殿は、まだ幼少ゆえ内膳に任せられるよう」と言う。

また、徳川家に近い人々と親交を深めており、徳川家が後ろ盾だと一歩も引くところはない。


(ただ)(かず)と側近たちは、藩主を無視して、藩政を取り仕切る内膳に許せない思いが高じていく。

一忠が頼みとする一栄は病に伏せるようになっていた。

このままでは、内膳の専横を防げなくなると恐怖した。

内膳を廃し親政を行わなければならないとの思いが膨れていく。


一忠には、父より付けられた教育係、天野宗(むね)(つか)がいた。

源頼朝の側近、天野氏から始まる家柄だ。

鎌倉幕府開府への功績が大で、各地で地頭職を得て、その地で勢力を拡大し国人となった。

中に犬居城(静岡県浜松市天竜区)を築き、遠江で大勢力を持った一族があった。

今川家に属したが、今川家凋落の後、武田氏に従ったため、家康の怒りを買い、滅ぼされ散りじりになった。


その一族に天野宗(むね)(つか)でおり、一氏が駿府城に入った際、茶道の師として召し抱えた。

名門であり、京に逃げた後、文人としての教養を積み博識だった。

一氏は、その才知を見込んで(ただ)(かず)の教育係りとした。

キリスト教徒だったが、米子での茶の普及に努め、名を残す。


(ただ)(かず)の守役、安井清十郎も、一氏の信頼厚い家臣だった。

一氏は、秀吉に従い大坂城築城に関わり、共に築城に取り組んだ安井清十郎に目を留め、召し抱えた。

土木技術を始め築城に関して幅広い知識を持っていたからだ。

その博識ぶりは、(ただ)(かず)の守役にふさわしいと決めた。

以来、真摯に(ただ)(かず)に尽くし、(ただ)(かず)がどのような難題を出しても答えを見つける、(ただ)(かず)にはなくてはならない守役となる。


安井氏は、清和源氏から始まる河内源氏を祖とし足利一門、畠山氏庶流になる。

河内国久宝寺城(大阪府八尾市久宝寺)を居城とし、畠山氏に仕え勢力を持ったが、畠山氏が没落すると、帰農したり、商人になったり、信長そして秀吉に仕えたりと一族は分かれた。

有名なのが、土木に才があり、商人でもあった安井道頓だ。

大坂城の外堀の掘削を引き受け完成させた。


続いて、城下の発展には欠かせないと城南地域中心部の水路掘削を考える。

秀吉の許可を得て、資材を投じて始めるが、大坂の陣となり、豊臣方として大坂城に入り、討ち死にしてしまう。

それでも、安井一族は意地を見せ、戦後、続行し完成させる。

その堀は、彼の名を取り、道頓堀と名付けられ現在に残る。


また、秀吉義弟、浅野長政の父、安井五兵衛源重継の一族になる安井氏も召し抱えた。

安井氏は、河内源氏庶流、源義光を祖とする安井郷左衛門秀勝(五左衛門信重)を始めとし、賀茂神社を祀る家柄だ。

尾張に招かれ、泥江県(ひじえあがた)神社(広井八幡宮とも呼ぶ)(名古屋市中区錦)・稲荷社・若宮八幡宮・白山社等の社家となる。

在地し分家が出来、一族が形成されると、武力を持ち周辺に勢力を伸ばしていく。


尾張宮後城(愛知県江南市宮後町上河原)を居城とした安井氏が、木曽川沿いに勢力を持つ川並衆となる。

川並衆頭領格の蜂須賀家に従う。


安井重継の子、浅井長政は、尾張国春日井郡北野(愛知県北名古屋市北野)で生まれた。

一氏の養父、一政の屋敷のある尾張中村の隣接地だ。

後に、安井氏は、浅野長政に従う。

尾張中村で生まれた一氏の弟が蜂須賀家の重臣となる事にも通じる。


一氏は、出世と共に家臣を必要とし、優秀な武将を見つけ家臣とする。

同時に、信頼する家臣の一族を新たに召し抱えることで家臣団の層を厚くした。

それらすべてを(ただ)(かず)は受け継いだ。


 だが、横田内膳は、(ただ)(かず)の思い考えを無視した。

(ただ)(かず)は、家康養女を妻に迎え、徳川一門となると決まっていた。

期待の花嫁で結婚が待ち遠しい。

そこで、結婚を機会に「自ら親政を行う」と決意を固めた。

 家康に認められた横田内膳と家康の婿、(ただ)(かず)では格が違う。

必ず、藩主としての自分の力を見せると闘志満々だった。


横田内(ない)(ぜん)は、一氏が領地を得た岸和田支配に貢献した。

京を制した三好氏の生まれで、三好氏の支配地でもあったゆえ力を発揮できた。

頭角を現し、以来、行政手腕や対外交渉力を高く評価された。

そこで、駿府を得た一氏が、駿府の検地、交通路、土木施策などを命じた。

秀吉の天下統一が実現した時だった。

天下人、秀吉の元、新藩主となった一氏が領民から信頼される城下町づくりを命じたのだ。


(ない)(ぜん)は、旧主、徳川家に縁のある在地の武将を活用しつつ、実績を上げていく。

同時に、領地を通り京に向かう家康と出会い、深く尊敬した。

秀吉が亡くなると、家康支持を鮮明にし、家康と一氏を取り次ぐ。

関ヶ原の戦いが始まる直前、自らの屋敷に家康を招き、一氏が出向いた。

ここで豊臣恩顧の中村家だが家康に従うと表明する、歴史的会談を実現させた。


家康は、(ない)(ぜん)の忠誠心を高く評価した。

家康を主君と考え、命じるままに働く姿を信用した。

そこで、伯耆米子藩の付け家老を命じ(ただ)(かず)の後見としたのだ。

中村一氏の妹婿だが後継が生まれず、中村家との縁が薄いのも、安心だった。


(ない)(ぜん)の主君は(ただ)(かず)だが、家康の意向に沿って(ただ)(かず)を育てるのが第一の努めだ。

秀吉に信頼された父を踏襲し、父が喜ぶ藩主となるのが夢の(ただ)(かず)

考えが合わない。


宗教でも(ただ)(かず)(ない)(ぜん)は対立した。

中村家は、臨済宗妙心寺派に帰依している。

秀吉と同じだ。

父、一氏の菩提寺は、臨済寺(静岡県静岡市)。


三好家は、熱心な法華宗信者で、篤く庇護している。

内膳は、三好家が建立した法華宗本山妙国寺(大阪府堺市)で、開山仏心院日珖上人から受法し熱烈な信者になった。

ここ米子城下で、日珖上人の叔父、妙興寺開山日逞と出会った。

以後、意気投合し親交を深める。


米子城及び城下町を作っていくには、莫大な費用がかかる。

また、国替えの引っ越し費用もかさんだ。

領内くまなく検知して厳しく査定し、税収を増やすしかなかった。

(ない)(ぜん)は、増収を企み、古くからの慣習を無視していく。


その最たるものが、山岳信仰の霊場、大山(だいせん)を検地し歴代3千石安堵が慣例だった寺領の一部を没収した事だ。

領民や家中から反発を受ける。

(ただ)(かず)と近習たちも、その地の慣習を重んじた父、一氏の施策にそむくと怒った。


大山寺の住職、天台宗高僧、(ごう)(えん)(1535-1611)僧正も怒る。

尼子氏・毛利氏・吉川氏などの戦国武将から長く守られていた約束を内膳が破ったからだ。

(ごう)(えん)は家康に直訴し、まもなく3千石を安堵される。

家康の知恵袋、天海は、天台宗の大僧正だ。

当然味方した。


この頃から、家康は内膳の行政手腕に疑問を持ち始める。

中村家は豊臣恩顧の外様であり、徳川幕府には不必要な存在だと見なされていく。

家康は、内紛が起きることを面白く待つ。


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