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㉒津山城(岡山県津山市山下) 3

㉒津山城(岡山県津山市山下) 3


■蘭丸との別れ、続く不安とえいの踏ん張り

えいは、義父・夫・嫡男を亡くし、大きな喪失感を抱え肩を落とすが、森家中で気兼ねする人はいなくなった。

幼い当主、長可(ながよし)の母として強固な意志を持ち、こまごまと判断を下していく。

重臣とは信頼関係を築いており、家中の団結は強い。


宗教心に裏付けられた穏やかな微笑みを持ち、選び抜いた言葉を的確に述べ、説得力があった。

家中に信奉者も多い。


森家は皆、必死で長可に従い信長の元、戦う。

えいは、長可(ながよし)の代理となり、信長や濃姫に贈答や時候の挨拶などで、目通りする機会を持つ。

結婚前は、濃姫や信長の側近くで仕えていた。

すぐに、かってのように打ち解けた関係になる。


すると、信長が、長可(ながよし)の弟たちを召し抱えようと言ってくれる。

喜んだえいは、1577年、蘭丸12歳を信長に引き合わせる。

信長は目を輝かせ、うなづき、小姓に選ばれる。

長可(ながよし)に仕える森家一門になるはずだった蘭丸だ。

信長直々の召し抱えとなり、一家を起こすのは間違いなく、異例の出世だ。


森家の戦力、父兄の偉業、えいの推挙、等々抜擢の理由はいろいろあるが、蘭丸の整った顔立ちを信長が気に入ったのも大きい。

えいが見てもほれぼれとする魅惑的な顔だった。

きびきび動く立ち居振る舞いは、絵になった。

また、幼い頃からえいの側で読み聞かせをねだる勉強好きだ。

今では京から招いた識者も驚くほどに学問にも秀でた。


信長も一目で蘭丸の才能を見抜いた。

側近くに置く。

武の長可(ながよし)、知貌の蘭丸の両輪で、信長の重臣の一角に入っていく。

森可成・可隆の頃と比べ、森家は一段と織田家中での位置を高める。

えいが譜代の重臣と共に、森家を束ねた結果でもある。


1579年、えいは政治の表舞台に出る。

信長との和議の交渉が続く本願寺側から信長との間に立って欲しいとの依頼が来たのだ。

本願寺門徒は信長勢と戦い続けていた。

粘り強く戦っていたが、信長の力が増し、共に戦った武将の数がだんだん少なくなり、門徒と織田勢との戦いとなっていた。

戦いは、武将が主力とならないと、門徒だけでは戦いにならない。

防戦が精いっぱいで、勝利の見込みがない状況になっていた。


宗主、顕如は本願寺本来のあり方に立ち戻るしかないと話す。

本願寺と信長の戦いを嘆き、和平を願っていた(にょ)(しゅん)()も同じ考えで、えいも同じ思いだ。

信長も多方面から和議交渉を行っており、和議を勧めることに異論はない。


えいは本願寺の意向をよくよく確かめ、仲裁の役目を担いたいと決意する。

そこで、末っ子、忠政を人質として本願寺に預け、退路を断った。

もし、仲介の役目を果たせない時は、忠政をどのようにでもしてよいとの覚悟を見せたのだ。

蘭丸と共に信長の面前で、本願寺の考えを述べ、延命と庇護を願う。

和睦後の信長の動きを警戒している本願寺の心情を切々と話す。


信長は、蘭丸とえいに「よく話を聞きまとめた。良い働きをした」と労をねぎらい「本願寺が武装解除すれば、その後は心配ない」とはっきりと応えた。

本願寺はえいを信じ、和議を受け入れ、信長は約束を守った。

この成功で、蘭丸は、信長の取次ぎを行う側近にまで大出世する。


蘭丸は、超多忙となる。

蘭丸を支えるため、1566年生まれの弟、(長隆)坊丸。

1567年生まれの弟、(長氏)力丸。

二人とも信長家臣となり、蘭丸の指示に従い、信長の側近くで仕える。

森家は、大飛躍した。

信長の最も信頼する重臣の一家となったのだ。


だが、栄華は短かった。

1582年、本能寺の変で信長は殺され、信長と共にいた蘭丸・坊丸・力丸は、信長を守り戦い、討ち死にした。


信長亡き後、長可は秀吉に従う。

秀吉により岐阜城主となった織田信孝に従わざるを得なかった。

それでも賤ケ岳の戦いの前には秀吉勢だと鮮明にし、柴田勝家と戦い功を挙げる。

あまりにも信長に近かった森家であり、秀吉は信長ほどには厚遇しない。


守家の力を見せるべく、長可は小牧長久手の戦いが始まると、先陣きって戦う。秀次を支え果敢に戦い、個別の戦いでは家康勢に勝利するも、秀次勢は崩れた。

孤立した森勢も敗走、1584年、長女の夫、関成政と共に戦死。


えいは、嫡男・夫・蘭丸・坊丸・力丸・長可・長女の夫と6人の大切な人を失った。

6男2女の子宝に恵まれたといつも得意げに話していたが、結局、残った男子は末っ子、忠政だけとなった。


忠政を本願寺から引取り、信長に仕える段取りができていたが、森家を継がせるしかなくなった。

日の出の勢いがあった森家だったが、秀吉の元、家名を守るため悪戦苦闘することになる。


めげるえいではなく、忠政を強力に支え、秀吉の忠臣とし、森家を安泰としつつ、守った。

忠政もえいの薫陶を受け、立派な武将になった。

一安心だ。

それでも、信長ほどの厚遇はない、秀吉との関係だった。

秀吉重臣の立場は守るが、森家の先行きに不安を持つ。

1596年、頑張りぬいたえい、72歳の大往生となる。


以後も森家には次々、幸と不幸が続く。

忠政は、秀吉死後、まっすぐに家康支持を高らかに唱え家康に従い、東軍となる。秀吉恩顧の大名が次々、悲惨な目にあう中、生き残った。

1603年、忠政は津山藩主になる。

忠政は、母や蘭丸や一族の思いを引き継ぎ、森家の存在を高らかに示したく、津山城の築城に取り組む。


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