表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/81

㉑姫路城(姫路市本町)1

㉑姫路城(姫路市本町)1


姫路城の始まりは1346年、播磨守護、赤松氏が姫山に築いた小さな城だった。

城主は入れ替わり、赤松氏一門、小寺氏重臣、黒田氏が城主となる。

姫路城を得た黒田氏は、1555年頃から、姫山の地形を生かし中世城郭に拡大改修していく。


次いで、1577年、城主、黒田官兵衛が、信長の中国攻めの拠点とすべく、秀吉に提供し、明け渡す。

喜んだ秀吉は、大改修し、近世城郭とした。

以後、豊臣一門が城主となる。


関ケ原の戦い後、池田輝政が、戦功として得る。

1601年から8年の歳月をかけて大改修し、現在の優美な白鷺城に近い形となる。


■家康の愛娘、督姫

大城郭を望み、池田家を播磨姫路藩52万石藩主に導いたのは家康の娘、督姫。

秀吉恩顧の大名、池田氏を家康に従わせ、東軍勝利に大きく貢献させた。

そして、池田輝政を家康の娘、督姫の婿にふさわしい大大名とし、居城、姫路城を大城郭に華麗に創り上げる。


督姫は、1565年12月3日、三河で家康次女として生まれた。

母は、家康が見初めた美人であり、督姫も美しく成長した。

家康は、母が好きだった。

そのため、督姫を「愛しい我が娘」と可愛がり、母も全知全能をかけて育てた。

目を細め、成長する様子を見つめ続け、誰を結婚相手とすべきか、考える。


1579年、家康は嫡男、信康を殺した。

その結果、信長の娘で信康の妻、徳姫を織田家に戻し、信長との縁が薄れていた。

そこで、娘、督姫を信長の嫡男、信忠(1557-1582)に嫁がせようと考える。


信忠は信玄の娘と婚約していたが、武田家と決裂していたからだ。

ところが、1582年、本能寺の変が起きる。

織田信長が殺され、甲斐や信濃が無主状態となる。

天下人を目前にしていた織田家だったが、抑えたはずの各地で反乱が起き、混乱状態に陥った。

家康は、今が好機と、甲斐や信濃を自らの領地とすべく軍備を整え侵攻した。


関東の雄、240万石を領する北条氏政も同じ思いで押し寄せてきた。

徳川対北条の新たな戦いが始まった。

北条氏の戦力は、家康よりはるかに上であり、勝てる相手ではない。

お互いの背後の憂いをなくし、前に進むのが得策と1583年、和睦を求める。

和睦の条件が、督姫18歳と、北条家次期当主、氏直(1562-1591)21歳との結婚だった。


北条氏直は、信長の娘と結婚する予定だったが、信長の死で消えた。

そして、督姫と結婚することになった。

督姫は、信長の後継、信忠と結婚すると考えていた。

お互いが望んだ信長の娘と息子との結婚だったが、予期していなかった事態となり、予期していた結婚は消えた。


北条家の居城、小田原城で結婚式を執り行う。

両家は、和議を結び、領地の線引きをし、友好な関係となる。

家康は督姫に結婚までの経緯、これからの家康の進むべき道、督姫に望むことなど話した。

家康と督姫は仲が良く、思いのたけを自然に話せた。


督姫は、それまでも、家康から結婚について話を聞いたことがあったが、実らなかった。

結婚とは簡単なことではないと知っている。

結婚という人生の節目を重く感じて以来、世の情勢を学ぶようになった。


そんな事があり、督姫18歳での遅い結婚となった。

家康が気にかけていたのをよく知っており焦ることはなかった。

最近は、信長死後の混沌とした状況を知り、結婚相手は氏直しかいないと、感じていた。

予想通りの結果であり、満足の結婚だった。


督姫なりに氏直の姿形、性格、その他の情報を得ており、父、家康からも聞いていた。

氏直を一応理解したつもりだ。

自信を持って、嫁ぐ。

小田原城の人となり、父、家康からもたらされた情報の正確さに改めて感心する。


ただ、氏直は、信長の娘と結婚するつもりだったが、家康の娘との結婚となり、格下の妻を迎えた気分だった。

大切に慈しむというより、人質として迎えただけだと冷たい。

それでも、当時としては晩婚の年齢を重ねた大人同士の二人だ。

思いを秘め、両家の和議が崩れることのないよう平穏な結婚生活を続けた。

次々、姫2人が生まれ、督姫は堂々とした北条家の母の顔となる。


ところが、1890年、関東の雄だとの自負が強い北条氏は、ほぼ天下を統一した豊臣秀吉の上洛命令に従わず秀吉と対決することになる。

北条氏は、秀吉と正面勝負をするつもりはなく臣下の礼を尽くしたつもりだった。

だが、秀吉は、態度が大きい、惣無事令を守っていないと怒った。

その上で、当主に早急に大坂に出向くよう厳しく命じた。


驚いた北条家中。

今、秀吉のもとに行けば殺されかねないと言う重臣もおり家中はまとまらない。

督姫は大阪に出向くべきだと訴え、氏直も賛成した。

氏直は、父、氏政や家中を説得するが、大勢を占めるまでにはならない。

秀吉への対応を決められないうちに、戦いが始まってしまった。


秀吉は、臣従する全国の武将に出陣命令を出し、20万の軍勢を集め、攻めた。

あまりの軍勢の多さに、戦っても、到底勝ち目はないと、北条勢の士気は失われていく。

小田原城に籠城し戦い、持久戦に持ち込み、有利な和議を結ぶはずだった。

ところが、3か月の籠城だけで、戦わずして降伏してしまう。


氏直の父、氏政は、子達家臣の助命を願い切腹して果てた。

夫、氏直は、助命されるが、高野山に追放処分となる。

督姫の父、家康は、娘婿の北条家とのつながりで、北条家の領地殆どを得る。

督姫の夫、氏直は改易となり領地を失うが、反対に最も得をしたのは父、家康。


督姫は、結婚前に、父、家康が関東を奪い取ると語ったことを思い出す。

家康には関東の地は魅力的だったのだ。

北条氏と争ったが、勝てないとあきらめ、和睦した。

その北条氏が支配する地を、今度は、戦わずして手に入れたのだ。


督姫を利用し種々の調略を成し遂げ、実際戦ったのは秀吉勢がほとんどだ。

家康勢は、その一翼を担っただけで、殆どを手に入れたのだ。

父の確かな動きに、その目の付け所の良さに、また感動する。


北条勢が消え去り状況は全く変わってしまった。

だが、督姫の暮らしは変わらない。

家康の領地となった小田原城で、二人の姫と共に贅沢に暮らす。

母が側におり気楽で自由で、資金的には前より豊かで、充実した暮らしだ。

「父上(家康)が関東の地を望んだこと覚えています。私は父の望みをかなえたのです」と母に胸を張る。


督姫は小田原城を気に入っていた。

2人の子に恵まれたが、夫、氏直とは、仲睦まじい暮らしとまではならなかった。

督姫は、内心のいらだちを抑えおっとりと構え、夫婦の暮らしを続けた。

だが、夫、氏直に緊張感とわだかまりがあり、思いの丈を自然に素直に話さない。そんなことが続き、愛されていると実感することは少なかった。


思い描いた結婚生活ではなかったのだ。

その傷心の思いを慰めてくれたのが、日本最大と言われた小田原城の散策だった。

督姫は、二の丸御殿に住んだが、もっと愛されたい、北条家の役に立ちたいとの思いが満たされず、涙ぐむ時が多かった。


こぼれる涙を止めるために、本丸に入り、一番高い櫓に上り相模湾を一望した。

風光明媚で雄大な景観に見入っていると、自分の涙が些細なことに思え、前を向いて生きる力が出た。

体力に恵まれており、時間があれば城内を散策した。

とても広い城内には、次々と楽しい発見があり気が紛れた。


小田原城は後背にあたる八幡山を詰め城とし、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を、総延長9kmを超す土塁と空堀で取り囲んだ惣構えの堅城だ。

上杉謙信・武田信玄の攻撃も撃退した北条氏自慢の城だった。


督姫が秀吉との協調を訴えた時、真剣に聞いてくれたが家中への力はなかった。夫、氏直は、力のなさを思い知らされ、督姫とも離れていくことになった。

また、督姫が生む男子が北条氏後継になるのを嫌がる者もおり、子が生まれるのを嫌悪しているものも多い。


督姫は、小田原城は好きだったが、北条氏家中の大半とは相いれないものを感じていた。

氏直と睦み合い、幸せな時間を共に過ごしたいが、氏直に仕える女人は他にも居り督姫一人を特別に大切にすることはなかった。


督姫なりに北条家の存続を願い働きかけたが、北条家への不満も持っていた。

結局、夫はいなくなってしまった。

寂しさはあるが、母の笑顔に救われ、幸せを感じる。

こうなる定めだったのだと、受け入れる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ