⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)3
⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)3
■凄腕、まつの本領発揮
まつは、利家が信長の指示に従い働き戦うことをすべてに優先させた。
利家の信長への忠誠心は、織田家中一だと自信があり、まつの誇りだ。
だが、光秀・秀吉をはじめ主だった重臣はすでに城持ち大名となっていた。
なのに、信長は、利家を城持ち大名にさせず、じらした。
競争心旺盛のまつは、利家の出世が遅いといらいらしていた。
そんな時が続いた後の快挙だ。
身も心も震えるほど歓喜した。
利家は府中城(武生市府中)を築き、まつを迎え入れた。
荒子城は変らず領するが、越前へ前田家中を引き連れての大移動が始まる。
以後、約6年間、居城する。
まつは前田家の居城、荒子城より遙かに大きい、越前を統治するための府中城に入り、改めて、城持ち大名となった感激に浸る。
翌年、信長は居城を安土城と決め、築城を始める。
まつは居城を持ち、安土城下に屋敷も出来、とても忙しいが二人の仲も睦まじい。
1577年、五女・与免姫が生まれる。
1578年、次男・利政が生まれる。
この頃、一時利家との仲が険悪になるが、仲直りしたとたん子が授かる。
1580年、六女・千世姫が生まれる。
そして末子の斎姫が生まれるが直ぐに亡くなる。
難産での死産。
まつ35歳、2男9女を生み終え、3人の子を亡くし、子を生むのは終わりだと決めた。
失った3人はきっと生きたかったはずだと、可哀想でつらかった。
自分の責任だと、重く受け止めた。
それでも、多くの健康な子達に恵まれている。
驚異的な体力を授けてくれた父母に感謝する。
もう子を失う悲しみに会いたくない。
残された子たちの為に生きると決めた。
まつは子達を通じて、まつ流の新しい前田家を作っていく。
育てるのは乳母に任せ、子育てにはこだわらない、自然に任せた。
子たちを誰と結婚させるかに、大きく比重を置く。
利家の出世に応じて選ぶ相手は変っていくが、常に心がけたのは前田家の結束だ。
前田家の結束を妨げる結婚は拒否し、子達の想いを尊重する結婚をさせると決めた。
信長は、利家・まつの思いを機嫌よく了解し、許してくれた。
長女、幸姫の婿は、荒子前田家の本家筋になる前田家嫡男、長種。
長種は信長に仕えていた。
勢いは、城持ち大名となり重臣への道を爆進中の利家にあるが、本家を大切にする心意気を見せたかった。
幸姫も旧知の長種との結婚に喜んだ。
長種は、信長亡き後、秀吉に従い小牧長久手の戦いに出陣し父、種利と兄、種定を失なう。
ここで、利家に仕えたいと申し出て、家中を引き連れ利家の配下となる。
尾張前田家は、利家の元に統合される。
次女、蕭姫の婿は、中川光重(1562-1614)。
信長のいとこ、中川重政の子になる。
母方は尾張守護、斯波家になる。
斯波家・織田家に繋がる家柄だ。
中川重政と利家は長年の同志だった。
重政が信長の怒りにふれ追放されてしまうのもよく似ていた。
だが、中川重政は、後に信長から許されても、活躍の場は与えられなかった。
利家は、中川重政に同情した。
そこで利家とまつは、織田家につながる名門、光重を引き立て、家名を再興させようと、娘婿としたのだ。
信長死後、光重は利家に仕える。
四女、豪姫は、長浜城12万石藩主、秀吉・ねね夫妻から望まれて、養女になる。
嫡男、利長の妻をだれにするかにまつの手腕が試された。
前田家の将来のために、信長の姫であるべきだと決め願い続ける。
信長と縁続きになることが、前田家の飛躍・安定につながると確信していたからだ。
信長の4女、永姫との結婚を頭に描いた。
永姫の生母と、まつに縁があったからだ。
ちょっと複雑な関係だが。
永姫の母、正覚院は、生駒家で、永姫を生み育てた。
そこで、まつが、永姫と出会い、運命を感じたのだ。
信長の側室は多い。
その一人に、まつの姪、土方氏がいた。
土方氏の父は、土方信治。
母が、まつの姉だ。
まつが、幼い頃からよく面倒を見た姪、土方氏が、主君に愛されたのだ。
1574年、信長の9男、信貞。
続いて、10男、信好の母となった。
信じられない思いと素晴らしさに感動しつつ、姉を誇りに思う。
信長に子は多く、手元で育てることはあまりない。
信貞は、埴原長久に預けられる。
埴原長久は、八条流馬術の名手であり、信長の軍馬を育て調教する役目だった。
そこで、信長が与えた長久の居城は、生駒家の居城近くだった。
生駒家は、馬を使う輸送業者だった。
信長の資金源になっており、馬の供給もしていた。
信長は、貴重な馬を通じて、両家を結び付け協力させた。
信長との縁を大切にしたいまつは、信貞を訪ねる姉、土方氏に前田家家臣を付き従わせる。
もともと土方家と前田家は、共に織田家に仕える武将であり通婚もあった。
信長の子たちの縁で、信長次男、信雄の母の実家、生駒家・土方家・埴原家は、強く結びついた。
生駒家は、まつの前田家・母方の実家、竹野氏と前野氏・娘婿、長種の前田本家・蜂須賀家との親しい付き合いもある。
そこに、信貞を預かる埴原家が加わった。
永姫の生母、正覚院(1557-1618)は、尾張国丹羽郡小折邑(愛知県江南市)に居住する生駒家の縁戚。
信長は、信雄が生まれた時、生駒家で生み育てるようにと命じた。
そして、生母、生駒の方の意向に沿い、信雄の乳母を決めた。
その女人が、正覚院の母。
正覚院を生んだ直後で、溢れる乳があり、信雄の乳母となった。
正覚院は、信雄の乳姉になる。
1558年生まれの信雄の乳母とも言われるが、1574年に永姫が生まれている。
乳母の役目を得て16年が経っているのだ、不可能ではないが、子を生むときは過ぎている。
信玄が亡くなり、天下人に向けて準備が整ったと誰もが認め、岐阜城での祝宴が続き、祝いに訪れる人も増えた。
その中に、生駒家長ら生駒家一門とともに、正覚院と母が居た。
生駒家一門として控えめに挨拶をしただけだが、信長はよく覚えていた。
信雄が、小牧山城に移っても、乳母だった正覚院の母は生駒屋敷を動かず、正覚院を育てながら、生駒の方に付き従い最期を看取った。
信長は、美しく知性豊かに成長した正覚院を見つめた。
生駒の方を彷彿させる姿に目を留め、懐かしそうに話し、側で仕えることを望んだ。
生駒家長らが、きっと信長が気に入ると自信を持って対面をお膳立てしたのだ。
こうして正覚院17歳が、信長に愛され、1574年、生まれたのが、永姫だ。
まつの姪の子、信長の9男、信貞と10男、信好と永姫は、異母兄弟妹になる。
まつも折に触れて、会うことができた。
我が手で利長に信長の姫を迎えたい、そんな幸運を掴みたいと何度も何度も、永姫と利長の結婚を信長に願ったが、なかなか良い返事はなかった。
返事がなければないほど、闘志が燃え上がる。
永姫しかいないとまつは固く決意した。
1581年、この年から3年は、まつの度胸と知恵が試される激動の年になる。
まず、信長から能登国23万石を与えられた。
初めて独り立ちした一国一城の主となった。
信長から府中10万石を3人に与えられ、利家はその中の府中城を居城とし治めた。
3万3千石を得たのだが、個別に与えられたわけではない。
次に、ようやく「利家旧領を利長に与える。そして、永姫との結婚を許す」と信長から申し渡される。
信長の娘婿となり、織田家一門・重臣の地位が確立するのだ。
織田一族になれる、まつと利家は天にも昇る気持ちだった。
こうして、永姫と利長の結婚が実現した。
家中一同の祝福を受けて、滞りなく式を終え、感無量だ。
信長に、末代までの忠誠を誓った。
信長も上機嫌で祝福した。
その時は短く、1582年、信長が亡くなり、激動の時が来る。
信長亡き後、前田家がどうあるべき悩むが、まつは、豪姫を養女に出した秀吉・ねねにかけると決める。
秀吉に従い、主君筋になる柴田勝家を滅ぼし、勝家の甥、佐久間盛政の居城、金沢城を得る。
信長の死で、前田家は大きく飛躍した。
金沢城は、まつの生き方の集大成であり、二人で築き上げた前田家の象徴だった。
金沢城にまつと利家が入る。
ここで、利長を守山城に入れた。
同時に願い続け、支援を続け、少しづつ仲を深めていた義兄、利久・安勝・秀継を迎えた。
利政が小丸山城に入り、安勝の子利好が七尾城に入る。
前田兄弟一族が、利家の元そろった。
利家は手を取り、頭を下げ心から感謝した。
まつは、微笑み見守った。
まつは、長齢院から受け継いだ前田一族を一人の落伍者を出すこともなく利家の元に結集させた。
利家の元一丸となって信長のために働く前田家の結束を作り上げたと、長齢院の菩提に胸を張って報告する。
そこには、まつを支える大切な親戚である家臣がいた。
まつの生家、篠原監物家。
母の再婚先、高畠家。
両家とも一族挙げてまつ・利家に仕える。
高畠定吉はまつの甥だ。
母の再婚先の嫡男になる。
利家に従い、まつの縁で、利家の妹、津世姫(長久院)と結婚し、前田家一門になった。
1万7千石を得た重臣だ。
篠原一孝は、まつの実家を継いだいとこ。
利家に従い、まつの縁で、利家の弟、佐脇良之の娘と結婚し、前田家に繋がった。
1万5千石を得た、前田家重臣だ。
彼らは、利家とともに、前田家の躍進を支えた。
同時に、一番身近で頼りにしたのが、まつだった。
まつは、まつ自身でも、家臣団を創り上げていった。
前田家の礎を共に築き上げた篠原家・高畠家。
それぞれ立場をわきまえ、利家に尽くしている。
まつは、実父母に感謝しつつ、前田家を支え、力を持っていく重みを感じる。
「前田家の要は私だ。よくやっている」と子たち親族をまとめ、自信満々だった。
永姫と利長の結婚が信長存命中であったのが、幸運だった。




