⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)2
⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)2
■まつが支える前田家当主、利家
1569年、家中をまとめた利久は「後継を利益にしたい」と信長に願い出た。
だが、信長は許可しなかった。
それどころか、反対に、利家に家督を譲るよう命じた。
利久は10年間、前田家を率い信長に仕え戦っている。
十分忠誠心を発揮していると自信を持っていた。
自らが決めた、娘婿養子、利益に家督を継がせることに何ら問題はないはずだった。
なのになぜ認められないのか、それどころか、弟、利家に家督を譲るようにとの命令だ。
そんなことがありうるとは考えたこともなかった。
信長の利家への家督引き継ぎ命令に前田家は大騒ぎとなる。
利益の後継で前田家中は納得していたのに、利久は隠居、利家の家督引継ぎとなったのだ。
信長は、利久も利益も気に入らなかった。
利家がとても気に入っていたのだ。
利久は問題なく前田家を率いていた。
だが、それ以上に、信長は利家の才能を高く評価し好きだった。
それだけのことだ。
利家が前田家を引き継ぐのは当然だと、利久が何を願おうと問題にしない。
長齢院は、当然のことと冷静に受け入れた。
利家の器量を見込んでいたし、やはり我が子に前田家を継いで欲しかった。
まつに「利家の妻としての力を信長様から試されているのです。立派に役目を果たしなさい」とにこやかに話す。
まつの頭は、こんがらがって収拾がつかない。
目の前で一触即発の喧嘩騒ぎを見たのだ。
紛争の中に身を置くのは、初めての事だった。
しかも、今まで最も親しい関係だと羨ましかった、兄弟間の激しい対立が始まったのだ。
利家と利久・利玄・安勝が対立し、屋敷内は怒号が飛び交い、緊張感が漂った。
荒子城代の筆頭家老、奥村永福も利久派であり、利家の家督引継ぎに反対した。
譜代の臣も利久に従い、利家は不利だった。
利久の妻も抵抗した。
前田家を継ぐと信じた、慶次郎利益の怒りと落胆ぶりも激しい。
家中では、当主、利久の存在は絶対だったのだ。
その時、利家は、荒子城から遠のき、いなくなった。
母と妻に家中の押さえを任せた。
利家は美学に生きている。
戦で見せる勇姿が自分でも気に入っている。
数学的に理詰めで判断し策を練るのは得意だし、先陣切って華々しく戦うのは、それ以上に好きだ。
知謀の人であるより、単純明快で明るく信頼される人であることを好んだ。
兄弟間のもめ事に時間を使うのはむなしく、嫌った。
信長の臣に徹し、戦い抜くだけだ。
孤立無援となったまつは、長齢院に頼るしかない。
長齢院は、笑って引き受けた。
堂々と、子達を前に、粘り強く信長の決定には逆らえないと諭した。
我が子を諭す力は老いても健在だ。
利久には、前田家を守るために苦渋の決断をすべき時だときっぱりと話す。
前田家の将来のために冷静に利家の力を評価するべきだ、と説いたのだ。
「母の最後の願いです」と熱く言われた利久は、剃髪して僧となり城を出た。
まつは、義母に引っ張られ、なすすべもなく、黙って従った。
そして、長齢院の説得力のすごさ、母として家を守る根性に目を見張った。
利家が姿を隠しても、動じることなく、家中をまとめ笑顔を絶やさない長齢院の姿を目に焼き付けた。
家中の大勢を占めた長齢院は「前田家を継ぐのは利家とまつだと思っていました。初めて会った時から私を継ぐのは、まつだとわかっていました」とホッとしたように話した。
この時の神々しいまでの長齢院の笑顔を、まつは生涯忘れない。
家中が、利家が当主だ、とまとまった頃、利家は意気揚々と荒子城に戻ってくる。
利家30歳、まつも見とれる堂々とした城主だ。
再び、夫婦のむつまじい暮らしが始まる。
信長から、織田家追放の処分を受けた時。
前田家家督引き継ぎの時。
と行き詰まると自分勝手に逃げてしまう夫であり、尻ぬぐいをして、にこやかに迎えないと戻らない夫だが、まつには大切な人だ。
利家とまつは、兄たちの納得できず苦渋の中にいる姿を当然だと見つめ合った。
無言で去った兄の姿に感謝し、利家が力を持ち迎える日まで惜しみなく援助を続けようと。
目の前に利家が居ると、すがりつき抱かれたくなるのがまつだ。
ほおが緩み潤んだ目で見つめ続けてしまう。
だが、家督引き継ぎの心労は大きかった。
すぐに妊娠するが女児を流産する。
続けて未熟児で喜意が生まれ、まもなく亡くなる。
母子共に疲れ果て、授かった二人の子を亡くしてしまった。
亡くなった子たちに申し訳ない。
健康に自信があったが、前田家の為に自らの身体の管理に気を配らねばと戒める。
利家は颯爽と戦いに臨み、戦果を上げていく。
利家の明るさと、底知れない威力を見て、家中も「当主は利家様だ」と納得し従っていく。
1572年、9年ぶりに三女、摩阿姫が元気に生まれる。
利家に「よくがんばった」と褒められ、歓喜の涙を流す。
翌年、義母、長齢院が穏やかな満足そうな表情で亡くなる。
「まつに出会えて良かった。すべてを任せる」と感謝の言葉を残し、別れを告げた。
ここから名実共に、まつが前田家の奥を束ねていく。
利家は柴田勝家の与力として越前攻めを続けていた。
1574年、四女、豪姫が誕生する。
翌年、利家は、越前府中3万3千石(10万石を3人で分割統治)を得て初めて大名となる。
利家とまつは手を取り合い、喜びを分かち合う。




