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⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)1

⑬金沢城(石川県金沢市丸の内1-1)1


加賀一向一揆の拠点となった浄土真宗、尾山(おやま)御坊(ごぼう)に築かれた金沢城。

大坂城とよく似た経緯だ。

一揆勢を攻め落とし上機嫌の信長が、戦功のあった佐久間盛政に与えた。

尾山(おやま)御坊(ごぼう)を解体取り崩しつつ佐久間盛政が築いたのが、金沢城の始まり。

 佐久間盛政が討たれ、得たのが、前田利家。

大幅に拡大改修した。

秀吉から得た金沢城を江戸時代も守り抜いた前田家。


前田家が、加賀120万石(後、支藩を作り残り100万石)居城とし、豪壮な大城郭に磨きをかけ続け、天下第二の藩としての意地を見せた。


■前田利家の妻、まつ

柴田勝家を裏切り秀吉に与して得た金沢城。

まつ(1547-1617)と前田利家(1538-1599)が悩み苦しんで出した結論だった。


まつが前田利家と結婚したのは11歳。

結婚の翌年、1559年、まつは12歳で母になる。

長女、幸姫が生まれたのだ。

当時でも、早熟で並外れた体力があった。


利家は喜びながらも、まだ早いという顔だった。

まつより9歳年上の利家は、子供が子供を産んだように赤児の世話に奮闘しているまつに苦笑いをするだけだ。

そして、まつが、子育てに忙しいのを見て、喜んで、遊びに出る。

帰ってくるのが遅くなったり、帰らなくなった。


利家は主君、信長が大好きだった。

まつの元に戻らなくなって、女人との遊びを楽しむときもあるが、ほとんど、信長の元に詰めて、そば近くで務める。

信長に近侍する同朋(どうぼう)(しゅう)、拾阿弥を蹴落としたかったからだ。

結婚前、利家と信長の寵愛を競っていた、ライバルだ。

利家が結婚し、信長の側近くにいる時間が減ると、信長の寵愛を独り占めにしていた。


再び、利家は、信長に近侍することができるようになったが、拾阿弥がより信長の側近くにいて、勝ち誇った大きな顔をして利家を見る。

その顔が許し難く、どうにかして成敗したいと考えた。

いつか必ずと、時期を待った。


そして、利家の刀に付けていた(こうがい)(髪の乱れを直す小道具)を盗んだ罪で拾阿弥を自ら成敗した。

利家の刀なども自分のものであるかのように我が物顔で扱い、利家は、馬鹿にされた悔しさで、逆上していた。

信長の見ているところで斬りたくて、思いを成し遂げ気分爽快だった。


ところが、信長は、見過ごすことはなかった。

利家の乱暴を怒り、勘当し、追放を命じた。

利家の信長への愛をうれしく感じるところもあり、拾阿弥が図に乗って利家をいじめていると知っていた。

それでも筋を通すべきと追放した。


まつは、留守がちになった利家に不満だったが、それでも家に戻り娘を可愛がる様子を見ると、武将の妻として耐えなければならないとあきらめていた。

ところが、まつには理解できない事件が起き、利家は追放され、戻らなくなってしまった。

隠し事なく何でも話す伴侶でありたいまつだ。

利家が一番大切にすべきまつに何も知らせず事件を起こしたことが悲しく、悔しく泣いた。


利家は追放されても、義兄の加藤家勝の資金援助を受け、松倉城城主の坪内利定(生駒家や前野家の縁者)の庇護を受け、上司だった柴田勝家の支援もあり、変わらない暮らしを続けている。

信長が出陣するときは、村井長頼・小塚藤右衛門・高畠定吉ら荒子7人衆を率い参陣する。そして、戦い功を上げている。

利家は、相変わらず自由な暮らしをしていた。


残されたまつは、生活の目処が立たず、やむなく娘を連れて清洲城下の屋敷から前田家の居城、荒子城に戻る。

幼い時、父の死・母の再婚と続き、利家の母になる叔母、長齢院に引き取られ、居候暮らしとなって、成長した。

結婚によって一人前と見られるようになり、清須に新居を得たと喜んでまだ、2年だった。

居候だった苦しい暮らしは嫌で、荒古城に戻りたくなかったが、戻らざるを得なかった。


妻として至らないばかりに利家が追放されたと非難されるだろうと覚悟し、小さくなって荒子城に戻る。

だが、義母、長齢院は丁重に迎え入れてくれ、とても優しかった。

「信長様と利家を信じなさい。きっと望みは叶えられる」と笑いながら話し、客人をもてなすかのように招き入れ孫、幸姫を抱き上げた。


病いの床についていた義父、利春も「側にいてくれれば、これほど安心なことはない」と手を握りしめる。

誰もまつを責めることはなく、利家を心配する者も居ない。

1560年、まつは長齢院と共に利春の最後を看取る。


嫡男の兄、利久が前田家を継ぐが、利家は現れない。

利久に子はいなかった。

そこで、妻の連れ子、慶次郎利益(とします)に、弟、安勝の娘を養女とし婿養子に迎え、前田家の後継とすると決めた。

長齢院や弟たちも認め、利益(とします)と安勝の娘の祝言となる。


1561年、信長は利家を許した。

まつは、祈り続けたご加護があったと涙を溢れさせた。

利家は数々の戦いに自力で参戦し、武将として大きく成長しており、将としての風格と決断力を備えていた。

すぐに、信長の親衛隊である強力軍団、母衣(もほろ)(しゅう)に再加入し見る見る頭角を現す。


まつは2年間、独り寝の寂しさに耐えた。

追放中の利家の日々の暮らしは、村井長頼や高畠定吉から報告を受けており、無事だということはよくよく知っており心配はなかった。

ただ、利家にはいつも女人の香りがしていることが話の端々から感じられ、腹立たしく、情けなかったが。


まつは、利家が戻れば、言いたいことが山ほどあり、必ず言うと心に決めていた。

だが、胸が詰まって言葉は出ない。

いまさら言っても仕方がないと、あきらめた。

めそめそ泣き言を言うのを思いとどまり、笑顔でそっと利家の側に寄り添う。


利家は2年間の留守を一応詫び、まつを抱いた。

気むずかしい信長の寵を得て、多くの女人を騒がした、利家だ。

もてる要素をすべて持っていると自負している。

まつを喜ばせるのは簡単なことだった。


再びの夫婦の暮らしが始まり、まつはうきうきと利家の世話をする。

利家に二度と信長が怒ることをさせないと固く決意しながら。

1562年正月、嫡男、利長が誕生。

1563年、次女、蕭姫が誕生。

この頃まで、とても仲睦まじく、利家とともにいることも多かった。


利家は信長側近として戦い続け、すばらしい戦功を上げていく。

そして、猛烈に忙しくなり、まつの側に居る時は少なくなっていく。

まつも、2年間の利家の留守を経て、再び仲睦まじい日々を過ごし、大きく成長していた。


幼いころは、怖い怖い養母だった長齢院。

でも、今は、優しい義母に変わった。

人は変わるのだ。

受け入れるべきことは受け入れるしかないと、一歩引いて大きく物事を見るようになった。


夫を看取った長齢院は、当主の妻から前当主の妻となり、利久の妻に代替わりして、気分的にも時間的にも悠になった。

幼いまつの賢さを見込み、利家と結婚させたのが長齢院だ。

自分の身内のまつであり、前田家の嫁として落ち度があってはならないと、厳しく仕込んだ。

今、まつは、信長が高く評価する利家の妻の役目を十分果たしていた。

長齢院が教えることはない。

まつをにっこりと見守るだけでよかった。


長齢院が、まつとゆっくりした時間を過ごし、過去を振り返りながら前田家での経験を話し始める時が来た。

まつは、大人になり表面的な表情だけでなく、内面を見る力が少しづつ出来てきていた。


静かに義母の話を聞きながら、前田家を守ることの意味を実感し、前田家の歴史、置かれている現状を学んでいく。


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