⑨新発田城 (新潟県新発田市大手町)3
⑨新発田城 (新潟県新発田市大手町)3
3.新発田藩の生き残り ー肥沃な穀倉地帯へー
溝口秀勝は秀吉の生存中から、家康の実力を天下一だと高く評価し、礼を尽くしていた。
秀吉死後、次男、善勝をすぐに秀忠に仕えるよう江戸に送っている。
人質とし、徳川家へ従う事を表した。
天下分け目の戦いは、越後で上杉景勝が煽動した一揆を鎮圧し、家康方として乗り切る。
領地は安堵されたが、豊臣恩顧の大名なのは明らかで、外様つぶしの難題が降りかかる。
慎重に、対応していく。
溝口秀勝の主君筋である堀忠俊は、一族が内紛を起こし藩主としての統治能力がないと責められる。
外様の常でもあり、1610年、あえなく改易だ。
堀氏は、嫡男の妻の実家であり連座責任を追求される。
家中の内紛ゆえの改易であり、関係なしを貫いた。
豊臣敬家臣を召し抱えており、火の粉が降りかかることもあるが、家康に忠誠を尽くし藩政は安定していた。
家中は皆、秀勝に忠実で、付け入るすきがなかった。
秀勝は信長から美濃の斎藤道三の縁者、長井源七郎の娘との結婚を勧められた。
二人の仲は睦まじく、2男5女が生れていた。
嫡男、宣勝は、秀吉から堀秀政の娘と結婚するよう決められ、喜んで迎えた。
その時は、信長の寵臣で秀吉の重臣、堀氏の一門となれば溝口氏の将来は安泰だと考えた。
家康の世となり、秀吉恩顧は否定すべきこととなったが、たとえ堀氏が改易されても宣勝は妻を大切にし、離縁などを考えることはなかった。
溝口家は、堀家の内紛との繋がりはないと筋を通した。
それどころか宣勝の妻は、宣勝に大切に庇護され、静かに、溝口家の奥を仕切り続けた。
時間が経ち影響がなくなったと見ると積極的に縁者を集め庇護し家臣とし実家を助けた。
1610年、堀氏に代り越後入りしたのが、松平忠輝。
家康から松平忠輝を支えるよう命令を受け、与力として支える。
忠輝の居城、高田城の築城に加わり、人も物資もふんだんに投入し忠臣ぶりを発揮する。
石垣工事の得意な大名は東国には少なく、秀勝の技術力は見事でひときわ目立った。
忠輝は褒め、秀勝も家康の六男、忠輝との親しい関係は益ありと、積極的に忠勤に励む。
次男、善勝は前田利家の娘婿、長種の娘(利家の孫)と結婚した。
前田家との縁を大切にした。
かっての主君、丹羽家から離れたが、外様大名の筆頭、前田家とは親しい関係を続ける。
ただ、家康にひれ伏するだけではない、意地も見せる。
長女は、戦国大名、朝倉義景の庶子、土橋光景を婿に迎えた。
朝倉義景は、越前守護だったが滅亡し、信長やその家臣に仕えた武将もいたが、ちりじりになっていた。
二人の間に生まれた広景を溝口伊織家の祖とする。
一門家老家となり、藩政に力を持つ。
次女は公家、中院通村に嫁いだ。
秀吉の元、京で詰め、伏見城築城でも京都公家との縁を深めていた。
そして細川藤孝の孫、中院通村と知り合い、結婚となる。
溝口秀勝は、築城術も抜群だが、博識であり、文人でもあった。
三女亀姫は、松平忠輝の最も信頼する家老、花井氏の嫡男、義雄に嫁ぐ。
四女宮姫は、秀勝と同じ忠輝の与力、越後村上藩主、村上頼勝一門の吉武久七に嫁ぐ。
子たちを、将来を見据え、結婚を考え、順調に閨閥を広げた。
溝口家は安泰のはずだった。
秀勝は、忠輝に引き立てられ、まだまだ飛躍すると、豊臣系大名を脱した自信を持った。
末っ子、糸姫の結婚だけは見届けることができなかったが、生きる道は創った。
上出来の生涯に感謝し、1610年、62歳で亡くなる。
死に臨んで嫡男、宣勝に「幕府に忠誠を尽くし溝口家を守れ油断するな」と強く遺言する。
引き継いだ宣勝は、遺言を守り忠輝に仕え幕府の命じる江戸城手伝い普請も積極的に従う。
父、秀勝を亡くし、家康は豊臣家に対し強硬姿勢で臨んでいた。
外様の宣勝は、幕府との関係で、藩政に不安もあった。
それでも、対外的政治はひたすら守りに入り、豊臣家には与しない態度をはっきりとった。
そして秀勝の一番の願い、新発田を肥沃の大地に変える事に邁進する。
父を引き継ぎより大きな肥沃な大地を創るのが、藩主の第一の使命とした。
未開墾地の沼地でもある阿賀野川・信濃川河口を農耕地とする、土木灌漑に全力を賭ける。
次第に、努力が実り、湿地帯に黄金の稲穂が広がり、豊かな農耕地帯と変わっていく。
その様子を家臣・領民と共に、心躍らせ見た。
新発田藩主であってよかったと感動だ。
秀勝の遺言で、弟、善勝に1万2千石を分けた。
秀忠から与えられた2千石と併せ、善勝は、越後沢海藩主となった。
宣勝は、秀忠の側近くで忠誠を尽くし続けるための資金だと言明した。
溝口家と幕府の緊密な関係を保つことが役目だと。
溝口家を2つの大名家とし、成し遂げた良い気分だった。
ところが、大久保長安事件が起こり、再び改易の危機が迫る。
長安は、忠輝に莫大な資金を調達した筆頭家老だった。
長安の資金で、忠輝の藩政は順調で、家老、花井氏の取り組む事業も滞りなく進む。
長安の勧めで、溝口秀勝3女亀姫は、松平忠輝家老、花井氏の嫡男、義雄に嫁いだ。
長安や伊達政宗の支援を受け、忠輝は藩主としての実績を上げ自信を持った。
ところが、家康は、その力、豊臣家との結びつきを懸念した。
そこで、忠輝の後ろ盾、大久保長安の不正を暴くことで、忠輝の追い落としを図り、幕府への忠誠心を試す。
莫大な資産を持った大久保長安は、一族家臣縁者を支援し、皆それなりに利益を享受した。そのため、長安の不正に連座していると、厳しい幕府の処罰を受けた。
亀姫の婿、花井義雄の妹は長安の子、右京に嫁ぎ、右京は連座して切腹を命じられた。
花井家と親しい宣勝にも厳しい追及があり長安との仲を疑われた。
宣勝も、忠輝に忠誠を誓い、主君だとも思い、尽くし続けた。
その縁で、大久保長安から薫陶を受けることはあったが、表立っての利益供与はなかった。
自信を持って幕府の追求の使者を受け入れ、思うように調べさせた。
利益を得た証拠は見つからず、一応難は逃れるが、まもなく大坂の陣が始まる。
宣勝は幕府の疑いに対し潔白を証明する場を大坂の陣と決め、決死の覚悟で臨む。
幕府へのわだかまりを持つ忠輝に従いつつ、独自に家康への忠誠を貫き戦う。
善勝も、秀忠に従い戦功を上げ、忠輝とは一歩引いた関係であると示した。
こうして、幕府一筋の律儀な性格と、安定した内政、優れた行政手腕が光り、生き残る。
だが、4女宮姫の婿の主君、隣国、村上忠勝は、妻が花井義雄の妹であり、長安との連座から逃れられず、改易。
続いて、忠輝も改易となる。
ここで、宣勝は与力を外れ、念願の完全独立となる。
新発田は肥沃な穀倉地帯に生れ変わっていく。
新発田藩5万石の表高だが、実高は遙かに超えた。
豊かな資金が生まれ、学問を奨励し、藩校を充実させ、城下町は繁栄した。
それでも、飢饉もあれば内紛もありで、藩政も順風満帆までではないが、新発田藩を守り続けた。
幕末近く、表高を幕府の了解を得て、10万石に高直した。
すべき役目も増え負担が増すが、幕府への忠誠心を見せつけた。
幕末を迎えると官軍に転じた。




