第5話 世界(前編)
ようやく更新できました。
他の作品に精を出していたのもありますが、話の畳み方に苦慮してしまっていました。
第5話 世界(前編)
(ここは、どこだ──?!)
崎の叫びは音ではなく、想いとして直接、自分の心に還ってきた。
重力を感じない。
宇宙? 否、虹のような色彩の連なりが流れてゆく。崎が見たこともない色もある。
光の川のなかに溺れてしまったようだった。
これは、現実なのか?
(ボクは……あッ?!)
自分の体を見た瞬間、崎は言葉を失った。
グシャグシャの、真っ赤な肉塊。それが今の崎の姿だった。
半分になった胴体からは肋骨が突き出ている。もとが何だったかも判らない肉片があたり一面に浮かんでいて、そのなかには千切れた手足もあった。
(嫌だ──どうして、ボクは──)
ふと、色彩の川のなかに別の流れが生まれた。
──渦だ。
見えない力が水面を穿ったかのように、崎は回転の中心へと引きずり込まれる。
(わあああ──!)
強烈な圧迫感に悲鳴を上げた。
激痛が走る。心と体がミキサーに掛けられているようだ。
遠のいていく意識のなか、渦の向こうに、巨大な鉄の双眸が見えた。
「あ……ッ?!」
巨神の体内で、崎は目を覚ました。
戦闘は起こっていない。
(ボク、いつから……?)
ここへ来る直前のことを思い出す。
家を出て、草原を渡り、巨神に話しかたところで、記憶は途切れていた。
ここ一ヶ月、不気味なまでの静けさが続いていた。
渓谷での大規模な戦闘を最後に、ヒト軍もエルフ軍も、すっかり巨神討伐の手を止めたようだ。
その間、崎とエオルは別の山間部に放棄された民家を見つけ、そこを仮住まいとしていた。
軍の接収を受けなかったようで、家財道具もひととおり揃っていた。家人がなぜ消えたかは分からない。
狩りが出来て獲物も捌けるエオルが食糧調達と調理をほぼ一手に引き受け、崎は彼女から調理法だけ教わりつつ、それ以外の雑事をこなした。
電気とガスを封じられた崎の不便さにエオルが呆れることもあれば、二人で巨神の手に乗って周辺を散策しにゆくこともあった。
いつまた敵の襲撃があるかもしれない。それでも、二人で過ごす緩やかな時間は、これまで味わったことのない充足感を彼らにもたらした。
しかしその間にも、崎が抱えるもうひとつの不安は深まる一方だった。
(結局、ボクは何なんだ……?)
巨神に護られる存在。
しかも、自分ただ一人かと思いきや、《ラムシェハイダ》の暴動からはエオルをも助けてくれた。
あるいは気付かなかっただけで、最初からエオルも護られていたのか?
分からないことが多すぎる。
やはり巨神に何かが隠されている──あるいは、巨神自身が何かを隠しているのではないか。
そんな疑念に引っ張られるように、崎はある日、エオルが狩りで留守にしている隙を突いて、巨神のもとへ向かった。
家から百メートルほど離れた場所に佇む、その足下へゆき、話しかけた。
「教えて欲しいことがある」
巨神は言葉を発さないが、こちらの意志を理解しているのは疑いようもない。
「お前の知ってること、全部だ。ボクはどうしてここにいるんだ。なんで、ボクの世界で使われてた文字が、お前のなかにあるんだ。お前とボクの関係はなんだ。全部、知ってるんだろ?」
その問いへの答えが、唐突な内部への招待と、いまの幻視だったのだ。
(ボクは……そう。あのときに死んだ。死んだんだ!)
銀色の部屋のなかで、崎は自らの肩を抱いて震えた。
まるでテレパシーを受けたかのように、幻視が告げた意味を、崎は理解していた。
ニューヨークでの爆発が、すべての元凶だった。
それは、何兆分の一という奇跡のような確率で起こった偶然だった。爆風と炎は崎の身体を引き裂いただけでなく、三次元空間そのものにも亀裂を生じさせ、〇.〇一秒にも満たない刹那、次元間を繋ぐワームホールを出現させた。
そのワームホールに、バラバラになった崎は吸い込まれたのだ。
そして、生ける死者となって超時空間を漂う崎を、今度は別の力が三次元に引き戻した。
それが巨神だった。
石像に身をやつしながらも巨神はすでに目覚めていたのだ。
その力は崎を呼び込むだけでなく、バラバラになった体すら再生させた。
だが、千切れた肉や、粉砕した骨を繋ぎ直すことは出来ても、爆発によって完全に焼滅してしまった物質を復活させることは、巨神でも不可能だった。
結果、肉体の残量をもって、遺伝子の記憶をもとに再構成された崎の体は、かつての十三歳前後の姿となったのだ。
「出せ! ここから出せよッ!!」
崎は叫び、手近な壁を力いっぱい叩いた。
すぐさま視界に閃光が走った。
緑の大地と、青空。草と土の匂いが崎を包む。
巨神の足下に戻ったのだ。
「う……えぅ……ッ!」
その場で、崎は吐いた。
戦慄と混乱が頭を酩酊させていた。
──怖い──苦しい──痛い──
爆発による全身の痛みが脳裏に甦る。涙が止まらない。
「あうッ」
駆けだした足がもつれ、土に顔をぶつける。
(嫌だ! 嫌だ!)
頬を汚しながら、這いずるように立ち上がり、家へと逃げた。
振り返らなかった。背後には巨神の、抗い得ない力を顕すような威容がそびえ立っている。
これまで頼りにしてきた守護者は今や、崎の──そして世界の──運命をもてあそぶ、恐怖の神へと変じていた。
(あいつは待っていた……ボクがひとりで来るのを、待っていたんだ!)
自分がこの世界の実状を知り、覚悟を決めて問うまで、巨神は真実を秘めていたのだ。
こうして、すべてを告げる時を待っていたのだ──ただ崎ひとりに。
家のなかに転がり込み、崎は泥も払わずベッドに飛び込んだ。
布団のなかで、震えを抑え込むように体を丸める。
ひどく寒い。体の芯が凍ってしまったようだ──まるで死体のように。
(嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……)
死者となった自分の姿が、脳裏にさまざまとよみがえる。
生ける死者、動く屍、人間であって人間ではない。巨神という大きな意志に引き寄せられた、魂の傀儡…………
(違う……ボクは生きてる……ボクは生きてるぞ……)
必死に、自分に言い聞かせる。
だが誰がそれを認めてくれよう──自分が生きていることすら信じられないというのに。
「──あゎッ?!」
背中に何かが触れ、崎は驚いて跳ね上がった。
「ミサキ……?」
恐るおそる、布団の外を覗く。
窓から差す朱色のなかに、エオルがいた。
「エオル──ッ!」
彼女の体に、崎は縋りついた。
「エオル……ボクは生きてるよね? 死んでないよね? 怖いんだ。死にたくないよ……怖い、怖い……!」
エオルの腰をかき抱き、うわごとのように問う。
すると、深青色の腕が、震える身体を包んだ。
背中を撫でる掌が、肩から首筋へと伝って、頬に触れる。
(あ──)
と、思ったときには、唇が重ねられていた。
柔らかく、温かく、そして不思議な甘さを匂わせるその感触に、崎は胸が爆発しそうになる。
前に水を口移しした唇とは、まるで別物のようだ。
「怖くない。エオル、いる。ミサキ生きてる」
そう囁く唇が、ふたたび崎を覆う。
口も身体も抱きしめられたまま、崎は力を失って、ベッドに倒れ込んだ。
胸と胸が重なって、鼓動が──出逢ってからこれまで(この一ヶ月はことさらに)何度も張り詰めては抑え込んできた想いが──共鳴した。
*
鉦の音で、崎とエオルは目覚めた。
(ラムシュラの鉦だ)
何年も前のことのように思えた。
あの人達がまた来たのだろうか。
エオルと顔を見合わせ、一緒にベッドから抜け出す。
衣服を整えて窓板を開ければ、空は青白く、草原は霧で薄く煙っている。
陽は昇り始めて間もない。朝の六時ちょっと前かな、と崎は思った。時計のない生活にすっかり慣れたおかげで、今が一日のどの辺りかが身体で判るようになっていた。
外に出てみると、ちょうど鉦の音とともに、朝霧の向こうから、馬にまたがった二人の人影が近づいてくるのが見えた。
やがて姿を現した彼らに崎は驚き、エオルも眉を顰めた。
ヒトとエルフの二人組──しかも、明らかに両軍の兵士だった。
崎達の前まで来ると、兵士達は下馬して諸手を上げた。
友好の挨拶──崎も同じ仕草を返した。
互いに名乗り合い、兵士達は「自分達は使者である」と告げた。
「単刀直入に申し上げる。貴殿らには我が帝都へとお越しいただき、ヒトとエルフとの和平条約締結の、証人となっていただきたい」
今度は崎だけでなく、エオルも目を円くした。
「さる二週間前──」
エルフの兵士が言った。
「──ヒトの皇帝と、エルフ同盟の盟主達との間で、両陣営の無条件停戦と和平の合意が交わされました。今日まで、末端の兵による散発的な暴走はあるものの、小隊規模以上の衝突は起こっていません」
「じゃぁ、戦争は終わったん……ですね」
崎は唖然とした。
望ましいことのはずなのに、あまりに唐突で、実感がない。
「でも……あの、変な質問ですけど、どうして急に?」
「巨神」
「え?」
「我らは使者ゆえに多くは語れぬが、貴殿の巨神の力であると申し上げておく」
「もし、我々とともに来ていただけるのでしたら、竜を手配して空から送らせていただきますがいかがでしょう」
どうしようか──崎が考えていると、エオルが腕を握ってきた。
その表情は苦い。
乗り気ではない、というより、崎と同じように迷っているのだろう。
「考える時間を、貰ってもいいですか?」
崎は兵士達に問うた。
「無論だ。今日はこちらの要望を伝えに参った。また明朝、御返答をうかがいに上がろう」
そう言うと、兵士達は馬首を返し、草原の向こうに走り去って行った。
「──どうする?」
家に戻り、テーブルに着いたところで崎は切り出した。
「ボクは、平和になったのなら、それは嬉しいことだと思う」
「エオルも同じ。でもこれ、罠かもしれない」
「……うん。巨神の力で戦争が終わった、って言ってたけど、どういうことだろう?」
「ヒトとエルフの軍隊、巨神と戦ってメチャメチャになった。戦う力なくなった、と思う。それでみんな、巨神怖がってる。ヒトも巨神を神様にするかも」
「ヒトはエルフの信仰を受け入れるのかな? 有り得なくはないけど……」
疑い出せばキリがない。
だが、希望も捨てたくない。
二人の話は、夜更けまで続いた。
*
翌朝も、使者達は薄霧のなか、鉦を鳴らしながら崎達の家にやってきた。
「あなた達と一緒に、帝都に行きます」
崎は使者に告げた。
「ただし条件があります。エオルも一緒に行くこと、ボクらは巨神に乗って行くこと。このふたつです」
昨夜、ふたりで出した結論だった。
「あい分かった。では、我らがドラゴンで先導する。貴殿らは巨神で追ってこられよ」
思いのほか、すんなりと要求は呑まれ、崎は胸を撫で下ろす。
巨神が一緒なら、向こうで事件に巻き込まれたとしても何とかなりそうだ。エオルもひとまず安堵した様子だ。
草原にたたずむ守護神を見上げ、キッと睨みつける。
脳裏に浮かぶ記憶と幻視を振り切って、崎はその足下に向かった。
エルフの巨神と、ヒトでもエルフでもないものが、世界を滅ぼす。
その予言に決着をつけるときが来たのを、崎は感じとっていた。
(巨神……メガノア。ボクはこの世界の滅亡なんか望まない。お前にも、壊させはしないぞ!)