第3話 巨神(後編)
私事ですが、1週間ほどアメリカに行っていたので、その準備含めもろもろあって書きあぐねいていました。
第3話 巨神 後編
「なるほど、お前が巨神に選ばれたヒトの子か。不死身なのか?」
崎は瞼を開いて、声のしたほうを見た。
自分のランプとはまた違う(それこそランタン型の)灯火に照らされた、広い部屋。
ところどころ崩れているが、どうやら広大な地下通路の一角らしい。
光の届かぬ闇を背にして、青年がボロボロのソファに身を預けていた。
灯火の影に溶け込むような、宵色の肌。耳は長く、三角形に尖っている。
ダークエルフ。少女よりも、ひと周りは年上に見える。
青年の左右に並ぶ十数人もまた、いちように同じ。ダークエルフの集団だ。
崎が戸惑っていると、奥の暗がりから亡霊のように、新たな人影が現れた。
腕に少女を抱えている。さっきの誘拐者だ。
フードの外れたその顔に、崎は一瞬、怯む。
女だった──無論、ダークエルフの。
歳は二〇歳くらいか。少女に似た美しい面立ちのはずだが、その顔の半分以上は、重い火傷の痕で覆われていた。
「その子を返してくれ。アンタ達は誰だ」
「抜かす小僧だな。お前、この宵の子とどういう関係だ?」
眉を吊り上げて青年は問い返す。
崎は、返答に窮した。
「ボス、それよりこの子を」
誘拐者が、腕のなかの少女を青年に示す。
「そうだな……おい」
青年は少女の身柄を受け取ると、取り巻きのひとりを呼びつけた。
呼ばれたダークエルフは、少女に歩み寄ると、短い木の枝のようなものをかざした。
「∥⊿□∀*☆♯▽∥⊿□∀*☆♯▽∥⊿□」
崎には意味不明の言葉が繰り返され、木の枝が淡く光を放つ。
やがてその光が、少女へと流れ込み始めた。
「何するんだ! その子は病気なんだぞ!」
「知った口を利くな!」
ダークエルフのひとりが一喝し、崎を尻込みさせる。
「そう怒鳴ってやるな。まだ子供だ」
頭目の言葉に、取り巻き達から笑いが漏れる。
崎は黙って耐えるしかない。
ここで突っ込んでゆくのは簡単だ。巨神の加護を利用すれば、あっという間に連中を皆殺しにも出来る。
だが、少女が巻き込まれない保証はない。今の状況は、人質を取られているのと同じだ。
「ボス。このガキ、回復魔法を見たことがないらしいぜ。おい、背負ってるのはなんだ? 見せてみろ」
別のダークエルフが歩み寄ってきて、崎から包みを取り上げた。
「やめ──!」
抵抗した拍子に結び目がほどけ、瓶がそこらじゅうに転がる。
そのひとつひとつを眺めたダークエルフの顔が、怒りに強張った。
「てめぇ、ガキの分際で! あの子をどうするつもりだ?!」
バリン──瓶のひとつが踏み砕かれる。
「どうする、って……ボクは、薬を探して──」
「ああ薬だろうともさ。殺虫剤に、殺鼠剤。植物用の肥料もあるが、どれも毒だらけだ! あの子の病気も、お前が盛ったんだろ!」
崎は愕然とする。
あの店は、薬は薬でも、病人のための薬屋ではなかったのか。
情けなかった。それらを見つけたとき、一瞬でも「これで助かる」と思ってしまった自分が情けなくて、悔しくて、たまらなく恥ずかしかった。
「違う。ボクは……文字が読めないんだ……」
まさか、こんな台詞を口にする日が来るとは思ってもみなかった。元の世界では考えられない自分の姿に、崎はうつむく。
「どれが効くかわからないから、全部持って、分かる人を探そうとしてたんだ」
「白々しい! ヒトってのはガキでも字が読めるように躾けられてるんだろ!」
「本当に読めないんだ。信じてくれ」
「黙れ! ヒトは簡単に嘘をつく」
「待て。少なくとも毒ではない」
崎に助け船を出したのは治療者だった。
「マガ熱だ。肺が少しやられているが、この術ですぐによくなる」
彼の言うとおり、光のなかの少女は、かなり落ち着きを取り戻して見えた。火照りは静まり、荒かった息も穏やかになっている。
「よかった。治るんですね……よかった」
安心感から、崎はその場にひざまづいた。図らずも、ダークエルフ達に頭を下げる姿勢になる。
「小僧」
頭目の青年が言った。
「いまのお前の話が本当だとしよう。お前はこの子を助けようとした。なんのために?」
「なんのため……?」
頭目の言葉の意味が解せない。
目の前で死ぬかもしれない人がいるのに、助る理由がほかに要るのか?
「お前ひとりでこの子を奴隷に出来るとも思えん。それどころか、女を知っているようにも見えん」
「男に掘られそうな顔はしてるがな」
崎の頭がカッと熱くなる。
「ボクは、そんなことのために彼女といるんじゃない……!」
「じゃぁなんだ」
煮えた心が瞬時に凪ぐ。
なんだ──そう訊かれれば、なんと答えていいのだろう。
「答えられないのなら、さした意味もあるまい。命は取らずにいてやる。この街から去れ」
心の靄は晴れないまま、しかし争いは避けられたらしい。崎は少女を迎えに行こうとして一歩踏み出し────
「勘違いするな。お前ひとりで出てゆけと言ってるんだ」
頭目の言葉に足を止められた。
「どうして? その子を返してよ!」
「もともとお前のものでもないのだろうが。この子は俺達の仲間に加える。ひとりの宵の子として、女として立派に扱ってやるさ」
「ッ?! その子はまだ子供だぞ!」
嘲笑が崎を包んだ。
「エルフの歳すら分からんのか。お前は本当に何も知らんのだな」
「……どういう?」
「この子の見た目で、自分と同い年とでも思ったか。お前の軽く二倍は生きているぞ」
あッ、と崎は心のなかで声を上げた。
エルフは長命──自分のいた世界でも(架空の種族ながら)それは通説だった。まさかこの世界でも同じとは。
「可哀相に。この子も長い歳月、苛酷な役を課せられていたのだろう」
「宵の子はみんなそうなの──いや、宵の子って何なんだ?」
その問いに答えたのは治療者だった。
「およそ数万人にひとりの割合で生まれる。理由は分からん。肌の色以外も何も変わらん。だがエルフどもは我々を〝忌み子〟と呼び、呪詛の依り代や、生贄に使う」
「なにも……そう」
ただの突然変異。特別なことはなにもない。崎は安心すると同時に、彼らに対する世界の扱いに憤る。
「ここには、俺達を虐げる連中も、穢らわしいヒトもいない。この場所で俺達と共に生き、俺達の子を産むことが、この子にとっても幸せなのだ」
くっ……崎は奥歯を噛み締める。
「どうしてアンタが決めるんだ?」
「あ?」
ダークエルフ達が眉根を顰める。
「なんでアンタがその子の幸せを決めるんだ! なんで本人に決めさせられないんだ!!」
これまでにない崎の怒声が、地下世界を震わせる。
「……この子に惚れたか。ヒトの分際で?」
この男はなんて人の話を聴かない奴なんだろう。しかし憤りとは裏腹に、気勢は後退してしまう。
図星だった。
だから崎は、思い切って心の栓を抜いた。
「あ、ああ……そうだよ。それがおかしいか?」
想いが一気に流れ出すのを感じた。
「ボクはヒトで、彼女は宵の子だ。彼女は喋れない。だから名前も分からない。けれど、彼女はボクと一緒に来ることを選んでくれた。好きになっておかしいか!」
「おかしい!」
怒りと憎しみのこもった否定。
「宵の子がヒトとともに行くのを選んだ? 自分から?! 妄想もいい加減にしろ!」
「妄想なもんか!」
「もういい、今すぐここから消えろ! それとも、この娘を奪うために、巨神の力で俺達を焼き払うか?」
崎は動けない。
彼らは巨神と自分の関係を知っている。そのうえで少女を盾に、自分の(巨神の)動きを封じている。
(どうすればいい……)
頭目の言うとおり、このまま諦めて去るのが彼女にとっても最良なのだろうか、とさえ思えてくる。
そのときだった。
──ずぅん
重低音とともに、世界が揺れた。
(地震──?)
「上?!」
崎とダークエルフ達の眼が上下に逸れる。
──ガァン!
天上が崩れ落ちる。ダークエルフ達は散らばって避け、崎はバリアで難を逃れる。
その隙を突いて、動いた者がいた。
「が──ッ?!」
頭目が後ろに仰け反った。
抱かれていた少女の手刀が、その喉元に決まっていた。
そのまま頭目の腕を脱し、崎へと走る。
(きみ!)
驚きと歓びが崎の顔を綻ばせる。
かたや頭目は、信じられないという顔で、少女の背中を見つめた。
「クソッ!」
ダークエルフのひとりがクロスボウを少女に向ける。
「やめろ!」「やめろ!」
崎と頭目の叫び声が重なった。
──ギィン
間一髪、射線に飛び込んだ崎のバリアが、矢を弾く。
その瞬間、天上を貫いたビームが射手を消し、地下道の屋根にとどめを刺した。
ダークエルフ達の悲鳴が轟音に消える。
(いったい、なにが……)
次々に動く状況のなか、崎は少女の身体をしっかりと抱き寄せる。
振動と爆音はやまない。
地上で何かが起こっているのだ(恐ろしい何かが)。
すると、七色に光る膜が崎達を包んだ。
バリア……ではない。身体の感覚が薄れてゆく。
これも巨神の力なのか?
意識が途絶える寸前、崎は光のカーテンの向こうに、頭目と誘拐者を見た。
瓦礫に下半身を潰された女のそばに膝を突き、その手を握りしめ、頭目はこちらを見つめていた。
その眼からは、憎しみ以外のなにものも感じ取れなかった。
「え?」
次の瞬間、崎達は見たことのない場所にいた。
部屋──金属、あるいはプラスチックのような材質の壁に囲まれた、殺風景な空間。
「ここは……?」
崎に応えるかのように、目の前の壁に、文字が映し出される。
スクリーン──だがそれ以上に、文字そのものに崎は息を呑んだ。
『MEGAーNOAH』
まごうことなき、アルファベット。
「めが、のあ……?」
探るように、訊ねるように、その文字を読む。
画面内の様相が変わった。
周囲360度が一挙に明るくなった。
光──空から降り注ぎ、そして地上で爆ぜる、おびただしい炎。
燃えさかる景色は、おそらく崎達が今いる廃都のものだ。
また、戦争が──?!
上を見た快晴の眼に、空を覆い尽くさんばかりの竜、怪鳥、そして飛行機らしき物体が飛び込んでくる。
ヒトの軍隊だというのか。いつか聖地に攻め込んできたものとは比べものにならない数だ。
それらは死の街を包み、ひとつの生物のように身をうねらせ、崎へと襲いかかってきた。
「うわぁ?!!」
悲鳴を上げ、身を縮こめる。
だが、放たれた火砲、火球、魔法のような雷撃、光球はことごく中空で弾ける。崎には爆散の振動すら感じられなかった。
そして、反撃が始まった。
何百何千という数のビームが、画面手前から発射され、大軍を撃ち落としていった。
(映像……! 巨神の見てるものが、ここに……じゃぁここは、巨神のなか?!)
それにしても、この敵軍はなんだ?
地下にいたダークエルフ達を討伐しに来たにしては、激しすぎる。
やがて崎は確信した。
これは、巨神を破壊するための軍隊なのだ。
左から何かが襲いかかってきた。
巨神? 否、巨大ではあるが、鎧を纏った生物に見えた。巨人族だとでもいうのか。
それが何体も、武器を振り上げて、こちらに向かってくる。
ごっ──
ビルもひと砕き出来そうな鉄の棍棒が、巨神の身体を撃つ。
が、巨神は身じろぎもしないばかりか、相手の腕を鷲掴みにし、即座に握りつぶした。
飛び散る血肉と悲鳴。そこに、なおも爆音が重なる。
空と地上からの両面攻撃を受けながら、巨神は圧倒的な力でそれらを叩き潰してゆく。
竜も騎手も焼き尽くし、大地を巨人の血で染め、淡々と(しかし、彼らの必死の攻撃を嘲笑うかのように)、手向かう者の命を狩ってゆく。
(もう、いい……やめて……)
崎は震えていた。怖かった。攻めてくる連中も、容赦のない巨神も。
「ふ……あはは」
その声がどこから聞こえたのか、崎はすぐには分からなかった。
「ははははッ! あはははははは!」
少女が、笑っていた。
「きみ……」
驚く崎の手をすり抜け、正面のモニターの前に立つ。
そして、いつか風に向かってそうしたように、両手を大きく開く。
「あはははは! はははッ!」
愉快でたまらないとばかりの、絶え間ない哄笑。
「やめて…………やめてくれ!」
崎も立ち上がった。
背中から、少女を強く抱き締める。
「もう充分だ! お願いだ! もう殺さないでくれ!!」
腕が、冷たく濡れるのを感じた。
頬から滴る涙──少女は、笑いながら泣いていた。
「…………ッ」
悔しさが、崎の瞳をも潤ませる。
静かに涙を流しながら、それでも少女を抱き締めた。
世界、巨神、少女──誰もが自分を置いていってしまうように思えるなかで、それだけが、崎に出来る唯一の反抗だった。
*
「エオル」
──戦いが終わり、朝陽に目覚めた少女は、自らをそう名乗った。
舞台移動→出逢いと会話→ジェノサイド、がもはやテンプレと化しております。
さぁ、打開策は見つかるのか。
そして、あと3話で畳めるのか。